日本ではカメラや携帯電話をレストランやカフェに置き忘れても盗まれずに保管されている、日本では夜道を女性が一人でも安心して歩ける、といった訪日外国人の驚きの体験談をネットで散見する。警視庁によると、ある年の携帯電話の落とし物26万件中の61%が、財布の落とし物40万件中の93%が落とし主に戻っている。海外ではこんなことは考えられないようだ。米ミシガン州立大学教授の行った社会実験によると、東京では携帯と財布を合わせて落とし物の約90%が拾得物として届けられたが、ニューヨークでは6%ほどに留まるという。
落とし物が高い確率で戻ってくる理由として、文化的規範、仏教、神道の影響、日本では近所にお巡りさんのいる交番があることなどが挙げられる他、日本人は人々の視線が届く限りはモラルを守る、といった分析を散見する。
落とし物が戻ってくるような社会の伝統は江戸時代に培われたと私は思うのだがどうだろうか。ここで、熊沢蕃山の逸話を思い出す。江戸時代のはじめ、蕃山が良師を求めて旅していたとき、旅先で出逢ったある飛脚から正直な馬子の話を聞いた。その話のなかに出る中江藤樹こそ探し求めていた師だと確信し、入門して藤樹に学んだ。藤樹は後世、近江聖人と呼ばれるようになる陽明学者である。
加賀の飛脚が金子二百両を預かって京に上る途中、馬子を雇った。飛脚は宿に着いて金子二百両が失われているのに気づき、色を失った。馬子の名は知らず、探し出すこともかなわず、悶々として死を覚悟した。ところがその夜、宿の戸をたたく者があり、出てみると日中雇った馬子が金子を持って立っていた。馬子はその日自宅に帰り、馬のすそを洗おうとして鞍を解いたところ、鞍の下から二百両の金子が出てきてびっくりし、返しにきたという。飛脚は思いもかけないことに狂喜。お礼にと、十五両を渡そうとしたが、馬子は受け取らない。飛脚は自分の気がすまないのでどうか受け取ってくれと懇願。馬子はそれでは手間賃だけいただきますといって二百文だけ受け取ると、その金で酒を買い、宿の人たちと一緒に飲み、よい機嫌になって帰ろうとした。飛脚はつくづく感心して、あなたはいかなる人ですかと問うたところ、馬子は「名を名乗るほどの者ではありません。だだ、近所の小川村で中江藤樹先生の教えを聴いている者です」と答えたという。
この逸話は勿論当時の人々が皆馬子のように正直だったわけではなく、珍しかったので逸話として残ったのだろう。しかし、この頃戦国時代が終わり、平和な江戸時代になって社会が安定し、正直の倫理規範が広がりつつあったのではないかと思う。
また、「三方一両損」という江戸時代の有名な古典落語がある。左官の金太郎が三両の入った財布を拾い、持ち主は大工の吉五郎だとわかったので、吉五郎に届けたが、吉五郎は受け取らない。互いに金を受け取らない喧嘩となり、奉行所で大岡越前の裁きとなる。大岡は自分のポケットから一両出して合わせて四両とし、二人に二両ずつ与え、これで三人とも一両ずつ損をして平等だとまるくおさめた。この話はあくまで作り話であるが、庶民の心に触れるものがあった。金は受け取れないと言って喧嘩までする倫理感覚を江戸市民は肯定した。
江戸時代、あらゆる職業で最も重視された道徳は正直だった。子どもを嘘つきにしないのが教育の最重点となっていた。これも現代日本につながる江戸の文化的成熟の一つだと私は思っている。
(令和5年12月15日)
神田 淳(かんだすなお)
元高知工科大学客員教授。
著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』などがある。 |