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自衛隊ニュース   874号 (2014年1月1日発行)
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強く、明るく、麗しく
女性自衛官教育隊 創立45周年記念行事
 12月12日、陸上自衛隊朝霞駐屯地にある女性自衛官教育隊(隊長・寺井優子1陸佐)で、創立45周年記念式典が行われた。
 昭和43年3月に婦人自衛官制度発足と同時に編成された「婦人自衛官学生隊」、同年12月第1教育団(現東方混成団)の隷下部隊として「婦人自衛官教育隊」が編成完結。平成15年に「婦人自衛官」から「女性自衛官」へ呼称が変更すると同時に「女性自衛官教育隊」と名称が変更になった全国唯一の女性自衛官教育専門部隊。これまでに約24,800名が巣立っている。
 「昭和54年に女性にも戦闘訓練が開始され男性隊員と同一の教育課目表での教育、限定されていた職種・職域も大きく解放が進み、基本的には男女の別ない同等の勤務姿勢に、高い信頼と期待を寄せられている。現在陸自の女性隊員は約7,000名。女性自衛官の比率の特に高い部隊・職域などは、女性自衛官の力なしには機能発揮は困難であると言われるほどになった。隊の歴史は、女性自衛官の歴史でもある」などと寺井隊長は式辞を述べた。
 引き続き、「はなみずき」の記念植樹が行われた。素晴らしい伝統を継承しつつ、教育部隊としての強靱性を高める任務を遂行すること、益々の女性自衛官の活躍を祈って閉会となった。
 14日には、期別もまちまち、現在の状況もまちまちの元婦人自衛官たちが全国から集まり、女教隊の協力会である「白鳩会」の創設20周年記念祝賀会が行われた。歴代女教隊隊長なども集まり、昔話に花を咲かせていた。閉会前に、昔の婦人自衛官教育隊歌(現在の隊歌は女教隊創立25周年時に若干変更)の合唱があり、胸がいっぱいの表情で皆合唱していたのが印象的だった。「20年振りに会えた人がいた」「あの頃受けた教育がまだ身体にしみついている」など、女性自衛官の道を切り開いて来た人達の自信に満ちた笑顔はとても麗しかった。

海上自衛隊 艦船補給処 創立15周年記念行事
多様化する任務を全力で支える
 艦船補給処(処長・松浦清1海佐=横須賀田浦地区)は12月6日に創立15周年記念行事を行った。艦船補給処は、平成10年12月8日に新設以来、年間約500億円を超える予算を執行するに至り、約36万品目に及ぶ物品の需給統制を実施し、艦艇の乗員整備や修理、定期検査等に使用される部品の提供やCOSAL品の充足に取り組むことで、海上自衛隊の後方支援を支えてきた機関である。
 記念行事は、表彰式及び訓示、その後、祝賀会が開催された。表彰式では職務に功績のあった処員に対し、松浦処長から賞状が授与された。また、松浦処長は、処員総員に対し「限られた資源の中で一致団結、創意工夫を行い多様化する任務を全力で支え、これからも国民の負託に応えて行く」と訓示した。
 祝賀会では来賓として、米海軍から横須賀艦隊補給センター(FLCY)司令(フィールズ大佐)及び国防流通廠日本国横須賀支部(DLA)司令(バッツァライス大佐)ほか米海軍補給部隊関係者117名が、横須賀北消防署長はじめ田浦官公庁、横須賀病院院長(海将補・平田文彦)ほか近隣部隊及び艦船補給処の歴代の処長など22名が参加した。
 祝賀会は、松浦処長の挨拶にて始まり、来賓による鏡開きを行った。また、横須賀出身であり、国内外のコンクールに多数入賞しているソプラノ歌手の松永知史(まつなが ちふみ)氏によるリサイタルを行い、会場にいる全ての参加者が美声に酔いしれた。その他にも餅つきやビンゴゲーム、艦船補給処バースデーケーキ入刃などにより祝賀会は盛大に盛り上がった。
 米海軍FLCY司令のフィールズ大佐は、「艦船補給処が15周年を迎えられて嬉しく思う。記念行事にお招きいただき益々お互いの友好が深まった。なお、餅つきの際には相の手を打たないように気をつけたよ」とジョークを交えて語った。また、第3代処長の加藤典男氏は「リサイタルなど趣向を凝らしたイベントがあり楽しく過ごせた」とコメントした。

ここ数年を上回る来場者
陸自相浦駐屯地58周年記念行事
 10月20日、爽やかな秋晴れの空の下、相浦駐屯地(駐屯地司令・曽田健史1陸佐)は、創立58周年記念行事を実施した。部内外から多くの来賓及び一般来場者が注目する中、国旗が入場。観閲部隊指揮官石橋1陸佐が観閲官曽田駐屯地司令に敬礼し、観閲式がスタートした。観閲官曽田1陸佐は、式辞において、「我々相浦駐屯地に所在する隊員一同は、それぞれの職務を着実に遂行していくことが、西部方面隊の任務遂行に直結することを深く認識し、諸先輩方が築いて来られた輝かしい伝統を継承し、自らを磨くとともに、如何なる任務を与えられようとも、整斉と任務を完遂し、皆様の期待に応えます」と誓いの言葉を述べた。
 引き続き、隊員256人、車両37両、航空機3機による堂々の観閲行進を披露。更に迫力溢れる模擬戦闘訓練を展示し、会場からは絶え間ない拍手が送られた。
 その後、隊員食堂においては各界来賓との祝賀会食が催され、また各会場においては、西部方面音楽隊による音楽演奏、高機動車と軽装甲車の体験試乗、ヘリコプターや74式戦車等の装備品展示、ロープ渡り等のアスレチックやゲームコーナーが実施され、ここ数年を上回る約3200人の来場者で賑わい、58周年記念行事も盛会のうちに終了した。

50周年プレ行事50試合ソフトボール終了
一致団結 空自 第一高射群
 航空自衛隊第1高射群(司令・田中耕太1空佐)50周年記念プレ行事のひとつ「1高群50試合ソフトボール大会」の決勝戦及び閉会式が、12月13日入間基地4高隊内の通称「デルタスタジアム」で行われた。9月12日の始球式から始まり、1高群の4つの高射部隊のあるところを持ち回りで50試合を行ってきた。優勝は整補隊チームで7チームの頂点に輝いた。
 3ヶ月前よりも現場の雰囲気が真剣かつ和やかになっている。部隊毎に薄くあった垣根がなくなり、1高群という600名超の隊員がひとつの球になったように感じられた。その日は実況アナウンス付だったが、アナウンスする方もされる方にも信頼感が感じられる。試合中のグランド整備をする人も微妙にパフォーマンスを加え、整備が終わったら起こる拍手で更に試合が盛り上がっていく。これは「各地で試合をする度に『団結会』を行った成果」なのか。田中群司令の「業務任務訓練の合間を縫って長丁場の試合を行い、これが長期の任務となった時の行動に役に立つのではないかと思う」という最初の言葉と合致した。「試合毎にメンバーが違うから色々な隊員と触れ合い、知り合い、仲良くなった」この50周年記念プレ行事のひとつであるソフトボール50試合。昭和39年4月1日に陸上自衛隊から航空自衛隊にナイキ・アジャックス・システムが移管されてまもなく50年。次のプレ行事は、「50連の凧揚げ」を企画中だとか。

神奈川県唯一の航空自衛隊 49周年
「栄光への道」
第1高射群第2高射隊
 12月7日、神奈川県横須賀市の航空自衛隊武山分屯基地(司令・川口礼人2空佐)で創立49周年記念式典と年末恒例の「もちつき大会」が行われた。
 武山分屯基地は陸上自衛隊第101高射大隊第2中隊を前身としており、首都圏防空に任務や各種自体への対応にあたってきている。
 川口司令が「地理的環境から、台風や大雨などで発射地区が水害に遭いながらも当時の隊員が一丸となって器材を防護し高射隊としての待機態勢を堅持することもあった。その他幾多の厳しい苦難を乗り越えながら、武山分屯基地創設に尽力された諸先輩方の合言葉である『栄光への道』の歴史と伝統を受け継いで来た」などと語った。
 式典の後は所属車両の訓練展示と17台の車両による車両行進。ペトリオットPAC—3の発射機の大きさに招待客らは驚いていた。
 その直後に行われた「もちつき大会」は、武山分屯基地を支える「武山高友会」創立20周年の祝賀も行われ和気あいあいと隊員も家族も招待客も楽しんでいた。
「我が国最初のミサイル部隊が改編されて武山に来た時は嬉しかったなぁ」「装備がナイキからペトリに変わった時は色々大変だった」などと昔を振り返る人「子どもに主人の働いている姿を見せられてよかったです」(隊員家族)「2高隊はいい伝統を引き継いでいるよ」(OB)など各人の思いと共に時間を過ごし、隊員の突いたお餅を持って分屯基地を跡にした。

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