2012年、横浜DeNAベイスターズ監督に中畑清氏(58)=元巨人=が就任したと聞いても、誰も驚きもしなかった。何しろ4年連続最下位のチーム。誰がやったって同じこと、ぐらいにしか考えていなかった。
最後に優勝したのは1998年、権藤監督のときだ。その前は1960年、あの知将・三原修監督(故人)で勝ち、パの覇者・大毎に4連勝して日本一に輝いたが、以後はチーム名が変わっても、監督が交代しても5、6位の定位置にどっかと腰を据えたまんまのチームだったのだから「救いようがない」といわれても仕方がなかったのだ。
まあ、それでも「熱いぜ」をキャッチフレーズにしたヤッターマン・中畑が、どこまで選手を鍛え上げ、チームを引っ張っていくかという楽しみが少しはあった。
それが勝率3割がやっとでは、ファンもあきれてしまって、観客動員数もリーグ最下位(1試合平均16194人。巨人は40333人)だ。これでは話にならない。
それでも中畑監督は「秋のキャンプ(奄美大島)で徹底的に鍛え上げ、13年はあっといわれるようなチームに生まれ変わらせてみせる」と「死のキャンプ」を宣言していた。
中畑監督が「死のキャンプ」といったのは、かつて長嶋・巨人の時代、選手・中畑は鍛えに鍛えられ「死ぬ思いでレギュラーを手にした」記憶があったからだ。そのことを思い出し筒香(21)=4年目、山崎(27)=5年目=ら若手内野手を相手に「お前らが倒れるか、オレが先か」というほどの猛ノックの雨を降らせていた。
なのに、なぜか「監督の顔色が冴えない」「グラウンドを離れると急に元気がなくなる」といった声があったのは、いまにして思うと愛妻・仁美夫人(59)が体調を崩し(子宮頸がん)ずっと入・退院を繰り返していたからだった。夫人は周囲の厚い看護もむなしく、12年12月5日、入院先の病院で息を引き取っている。
「おかあちゃん」と呼び「おとうちゃん」と呼ばれた相思相愛の仲だった夫人の死は、中畑監督にとっては「あきらめ切れない」事態だった。「60歳までに優勝、日本一になると約束してきた。オレは野球以外何もできない男だったので、女房に支えられっ放しでやってきた。その女房に優勝を報告できなかった、と思うと…。とにかく選手には"死んだ気で出直せ"とハッパを掛け続けている。オレ自身もDeNAのユニホームでグラウンドに倒れる覚悟でいるんだ」と。
その監督が告別式後、初めて笑顔を見せたのが、新入団の白崎浩之内野手(22)=D1位、駒大=が、なぜかあわてて引き返してきたことだった。白崎は「線香をあげ、手を合わせて帰ろうとしたら、大事な香典を置いてくるのを忘れてしまい、出直した」といっていた。
駒大の後輩のこのあわてぶりに、中畑監督は「ああいう愉快な男こそ、チームのムードを盛り立てるのに必要不可欠。いい働きをしてくれるだろう」と、頼もしい後輩にエールを送っている。
いろいろあったが、専門医を呼んでチームをあげて「禁煙」を宣言したり、中畑・DeNAベイスターズの2013年、改めて注目してみたいと思うきょうこのごろだ。 |