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自衛隊ニュース   2011年4月15日号
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第2弾 激励メッセージ 12面 (PDF)

10万統合部隊懸命に救助活動
東日本大震災
初めて米軍、海保、警察、消防と行方不明者捜索
 3月11日に発生した東日本大震災の被害は、4月10日までの1カ月間に死者1万3013人、行方不明者は1万4608人で、死者・不明者の総数は2万7621人に達し、戦後最大の自然災害となっている。
 防衛省・自衛隊は、宮城県など各県知事の災害派遣要請を受けると同時に、陸自東北方面隊を主力に災害派遣部隊を地震や津波による被災地に派遣、救出活動を開始した。また、東北方面総監を指揮官とする10万人を超える規模の陸海空統合部隊を編成、行方不明者の救出・捜索、物資輸送、瓦礫の除去・道路啓開、給水・給食・入浴などの支援を続けている。
 4月1日から3日にかけては、宮城県などの沿岸を中心に、米軍、海保庁、警察、消防と共に、行方不明者を一斉に捜索、その結果、計79人の遺体を発見し収容した。
 北澤俊美防衛大臣は米海軍原子力空母「ロナルド・レーガン」、海自護衛艦「ひゅうが」、空自松島基地や被災地で救護活動にあたっている隊員を相次いで視察、感謝の言葉とともに厳しい任務の労をねぎらった。
〈6師団〉
 宮城県知事、福島県知事からの災害派遣要請を受けた第6師団(師団長・久納雄二陸将)司令部では、ヘリや渡河ボートなどを使用しての被災者の救助活動、給水・給食等の民生支援を行った。
 行方不明者の捜索活動で捜索の確実性を高めるため、「捜索活動実施状況確認表」を作成し、いつ、誰が、どのような捜索をしたのかを記述し、捜索した1軒1軒にその用紙を貼り確認作業を進めていった。また、移動経路を確保し、作業効率を上げるため、重機で瓦礫に埋もれた道路の啓開作業を行い、復興に向けた活動も続けた。
 これらの活動と並行して民生支援活動でも6師団は活躍した。給水・給食、炊き出しなどによる生活支援、また、医官による巡回診療なども行われ、避難所での生活で体調を崩す人や津波で薬を流され避難した慢性疾患の人などにとっては、大きな存在となっていた。各避難所では医療の手が届かない所が多く、住民からは感謝の言葉がたくさん聞かれた。
 第6師団広報では、「温かいおにぎりを頬張りにっこり笑う子供たち。医官の診療を受けて安堵の表情をする老人。口々に聞かれる『ありがとう』の言葉が、隊員たちの励みとなり更なる力となっている」と話している。
〈10師団〉
 第10師団(師団長・河村仁陸将)は震災後、東北地方に進み、3月12日に東北方面総監の指揮下に入った。宮城県南部地区における人命救助活動等を実施する任務を受けると、直ちに被災地へ向かった。名取市、岩沼市、亘理町、山元町の4市町ですでに活動していた第2施設団から任務を引き継ぎ、翌13日から本格的に救助活動を開始した。
 津波で破壊され重なり合った瓦礫や、あたり一面に深く溜まった海水が救助活動を困難にしたが、ボートや胴長靴等を駆使して人命救助を急ぐ隊員たち。「一刻も早く、一人でも多くの生存者を発見し救出する」という強い信念と、懸命に献身的に誠心(まごころ)をこめて行動し、次々と生存者を救出した。
 津波による直接的な被害を受けなかった沿岸から離れた地域では、広範囲で電気、ガス、水道等のライフラインが停止したほか、燃料や生活用品が不足するなど、避難者をはじめとする多数の市民生活に影響を与えた。10師団は、人命救助活動を続ける一方、活動地域を西側に隣接する市町まで拡大し、給水、炊き出し、入浴、医療、人員・物資輸送支援等の民生支援活動を逐次拡大して行った。18日、第3師団の第3後方支援連隊を基幹とする第3生活支援隊が師団に配属され、主として亘理町での救助活動や民生支援活動を開始、師団の活動が更に活発化した。

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