ゴラン派遣輸送隊長 湯下兼太郎 防大52期生の皆さん、御卒業おめでとうございます。私は平成16年3月から7月まで第221小隊指導教官を務めていました。かつて新入生として迎えた皆さんが、小原台での4年間を立派に終え、今まさに幹部自衛官として大きく羽ばたこうとされていることを、非常に嬉しく思います。 私は現在、ゴラン高原派遣輸送隊長として、中東・ゴラン高原の大地で、北東北3県を中心に全国各地から集まった42名の隊員達とともに、国際連合兵力引き離し監視隊(UNDOF)で日本の代表として日々勤務に励んでいます。 UNDOFは、第4次中東戦争後の1974年に、シリアとイスラエル間の兵力引き離し及び停戦監視を目的として設置されて以来今日まで続く、伝統的な国連PKOです。現在は、主にオーストリア、ポーランド、インド、スロバキア等から派遣された約1000名の軍人等から構成されています。このうち日本隊は、インド隊とともに後方支援大隊の一部として、生活物資等の輸送、道路の整備・補修、除雪、故障車の回収等の業務に携わっています。 最近は報道されることも少なくなったゴラン高原派遣ですが、平成8年の第1次隊派遣以来、これまで約12年にわたり日本隊はUNDOFで黙々と任務を続け、その士気、規律、そして何より仕事の質に対して現地では高い評価を受けています。これは1次隊から続く諸先輩方のたゆまぬ努力のお陰ですが、それを支えるのは、実は国内における平素からの教育訓練の成果です。私をはじめ43名の隊員は皆これまで第一線部隊で勤務をしてきましたが、ゴラン高原にきて感じるのが、部隊での教育訓練で身に付けた知識や技能がそのまま現地での勤務に役立っていることです。このことから、世界においても自衛隊が高いレベルを有していることを改めて実感するとともに、誇りに思う次第です。 私は平成3年から7年まで本科学生として小原台で過ごしました。冷戦終了、そして湾岸戦争と、国際社会が大きく変動する中で、自衛隊の任務や役割が大きく変わり始める時期でした。1年生の春、カッター競技会の応援の最中、ポンドの遥か向こうの東京湾を海上自衛隊のペルシャ湾派遣艦艇が太平洋へ向け進んでいく姿を、今でも覚えています。また3年生の時には、陸自部隊が初めてカンボジアPKOに参加しました。 それから現在に至るまで、国内外の要求に応えて自衛隊の役割は変化を続けるとともに活動の場も国際社会へ広がってきました。そして近年では、自衛隊の本格的な統合運用態勢が始まり、防衛庁の省昇格とともに国際平和協力活動が自衛隊の本来任務となり、また海外任務も担う中央即応集団が発足するなど、冷戦期には考えられなかったような変化を遂げつつあります。実は、UNDOF日本隊も、このような変化と無縁ではありません。我々は、陸自唯一の海外派遣部隊として、中央即応集団の一員として現地で任務を遂行しています。また日本隊は陸海空各自衛隊の隊員から構成されていますが、第一線部隊の隊員にとり「統合マインド」を涵養する数少ない貴重な場でもあります。このような時代に幹部自衛官として自衛隊に奉職できること、また隊長としてこのようなUNDOF日本隊の素晴らしい隊員達を統率できることを、名誉に思っています。 そのような現在の私が、ゴランの大地で遥か防大時代を顧みると、やはり小原台の4年間が現在に至るまでの基礎となったことを改めて実感します。皆さんはこれから指揮官として、部下隊員達の生命を預かり統率することになりますが、防大の大学教育で身に付けた教養、学生舎生活や校友会活動で学んだリーダーシップは、いかなる状況下でも部隊が進むべき道を見出し、部下隊員をして一致団結して任務達成に邁進させる上で必ず役に立ちます。また4年間の生活で培った陸海空を越える同期の絆は、まさに「統合マインド」の基礎となるとともに、必ずいつか役に立つ日が来ます。どうぞ皆さん、自信を持って幹部自衛官への道を進んでいただきたいと思います。 これから陸海空幹部候補生学校にそれぞれ進み、その後全国各地の部隊に配置されることになりますが、部隊の仲間達は皆さんを待っています。当初は様々な不安もあると思いますが、若い幹部は部隊の活力の源です。どうか大いに、失敗を恐れず、様々なことにトライしていただきたいと思います。 改めまして、御卒業おめでとうございます。先輩として、かつての指導教官として、ゴラン高原の地から、皆さんのご発展とご活躍を願っています。同じ幹部自衛官の仲間として、今度は部隊で、お会いしましょう。