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スペーサー
自衛隊ニュース   1098号 (2023年5月1日発行)
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読史随感
神田淳
<第124回>

柴五郎と会津武士道
 柴五郎(1859-1945)は幕末会津藩の上級武士の家に生まれ、9歳のとき戊辰戦争(会津戦争)を経験した。1873年陸軍幼年学校に入学、士官学校を卒業し、陸軍軍人の道を歩む。日清、日露戦争に従軍し、陸軍大将、軍事参議官となり、1930年退役した。
 中佐になった柴五郎は1900年北京駐在武官として着任し、この年義和団の乱(北清事変)に遭遇する。この事変で柴は、戦乱を逃れて北京の公使館区域(東交民巷)に籠城した約千人の外国居留民(日本人を含む)の保護に貢献した。各国公使館(日本を含む)の護衛兵と義勇兵が義和団と戦ってその攻撃から居留民を守ったが、この籠城戦を実質的に指揮したのは柴中佐であった。2ヶ月後、8カ国連合軍が北京を占領し、居留民は無事解放されたが、籠城戦における柴中佐の見事な働きは世界から賞賛された。
 柴五郎を生んだ柴家は典型的な会津藩の上士で、のちに人が会津士魂、会津武士道と呼ぶ武士の精神で生きてきた家だった。会津武士道は会津藩祖保科正之(1611-1672)に始まる。正之は家訓15条を定め、会津藩の根本精神とした。一、大君(=将軍)の儀、一心大切に忠勤を存すべくーーー。一、武備は怠るべからず。ーーー上下分を乱すべからず。一、兄を敬い弟を愛すべし。一、婦女子の言、一切聞くべからず。一、主を重んじ法を畏るべし。一、家中風義を励むべし。一、賄を行い媚を求むべからず。一、依怙贔屓すべからず。一、士を選ぶに便辟便侫の者を取るべからず。一、政事は利害を以て道理を枉ぐべからず。僉議は私意を挟みて人言を拒むべからず。一、法を犯す者は宥すべからず、等々。以下省略。
 また、会津藩士の子弟は「什の掟」といわれる厳しい教育を受けて育った。一、年長者の言うことに背いてはなりませぬ、一、年長者には御辞儀をしなければなりませぬ、一、虚言を言うことはなりませぬ、一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ、一、弱い者をいぢめてはなりませぬ、一、戸外で物を食べてはなりませぬ、一、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ、 ならぬことはならぬものです。
 柴五郎は会津戦争で祖母、母、姉、妹が全員自害するという悲惨な経験をしている。柴家の男子(五郎の父と三人の兄)は皆出陣し、五郎は幼少のゆえ、親戚にあずけられた。官軍が城下に侵入したとき、柴家の女性全員ーーー祖母つね(81歳)、母ふじ(50)、兄嫁とく(20)、姉そい(19)、妹さつ(7)が自害した。叔父よりこれを聞き、あまりのことに五郎は茫然自失、泣くに涙流れず、目眩を起こして倒れた。柴五郎は晩年書いた遺書に述べる。「ーーー父母兄弟姉妹ことごとく地下にありて、余ひとりこの世に残され、語れども答えず、ーー悲運なりし地下の祖母、父母、姉妹の霊前に伏して思慕の情やるかたなく、この一文を献ずるは血を吐く思いなり」
 戦争でなぜ柴家の女性は自害したか。男子は一人なりとも生きながらえ、藩の汚名を天下に雪ぐべし。戦闘に役立たない婦女子はいたずらに兵糧を浪費せぬため籠城せず、敵侵入とともに自害して辱めを受けないようにすると、女性は話し合って決めていたという。
 会津武士道の鏡のような柴家でこの悲劇が起きた。武士道は完全に消滅してはおらず、今なお日本人の道徳の中に生きており、私はそれをよいことと考えている。しかし、武士道は生命尊重の思想が弱かったのではないか、男女の生命に軽重があり、その点に問題があったのではないか。柴五郎の家族の悲劇を知ってそのような思いがした。
(令和5年5月1日)
  
神田 淳(かんだすなお)
 元高知工科大学客員教授。
 著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』などがある。

がんばれ若桜! それぞれの入校式
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防大 女子学生が過去最多
 4月5日、防衛大学校(久保文明学校長=横須賀)は、井野俊郎防衛副大臣の出席の下、令和5年度入校式を行った。今年、防衛大学校には103人の女子学生を含む本科第71期生522人、本科留学生23人および留学生を含む研究科学生91人の計636人が入校した。
 式典のなかで井野防衛副大臣は、女子学生が過去最多となったことに触れ、「自衛隊全体でも女性が増え、性別を問わず活躍できる環境となっていることを改めて認識し、性別を問わずお互い切磋琢磨し、これから学生生活を送ってください」と訓示した。久保学校長は、わが国を取り巻く厳しい安全保障環境について触れ、「自衛隊に対する期待は高まっていますが、同時に責任も増しています。ぜひともこの期待に応えるべく、精進していただければと思います」と式辞で述べた。
 その後、学校グラウンドにおいて在校生による観閲式、防大出身者による祝賀飛行及び儀仗隊によるドリル演技が行われ、入校生の晴れの門出を祝した。
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防医大 自衛隊衛生の担い手に
 4月7日、防衛医科大学校(四ノ宮成祥学校長=所沢)は医学科第50期、看護学科第10期の入校式典を挙行した。
 本年度の入校式では、鈴木防衛事務次官、町田人事教育局長、鈴木衛生監、南雲統合幕僚副長、真殿海上幕僚副長、荒木航空幕僚副長、菊池陸上幕僚衛生部長、中村所沢副市長、長谷防衛医学振興会会長、瓜生田防医大同窓会会長が臨席のもと行われた。
 入校式には、医学科80名、看護学科自衛官コース72名、看護学科技官コース41名の計193名が出席し、四ノ宮学校長による学生への任命の後、代表学生が「防衛医科大学校生たるの名誉と責任を自覚し、日本国憲法、法令及び校則を遵守し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身をきたえ、知識をかん養し、政治的活動に関与せず、全力を尽して学業に励むことを誓います」と宣誓した。
 鈴木防衛事務次官の訓示、四ノ宮学校長の式辞、南雲統合幕僚副長の祝辞を、新入生たちは緊張した面持ちで、真剣に聞いていた。
 厳粛な雰囲気の中、入校式は最後まで無事に執り行われた。
 防衛医科大学校は「新入生たちには、これからの6年間ないし4年間、防衛医科大学校において、様々な楽しいことや困難が待ち受けているかと存じますが、保護者の方々には、温かく見守っていただければと存じます」としている。
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高工校 家族約600名が見守る
 陸上自衛隊高等工科学校(武山)は、4月8日、井野俊郎防衛副大臣が臨席し、陸上幕僚副長小林弘樹陸将が立ち会いの下、第69期生(353名)の入校式を挙行した。
 新型コロナウイルス感染症の影響もあって、今年は4年ぶりに保護者の参列が叶い、晴れの日を心待ちにしていた新入生家族約600名がその様子を会場で見守ることができた。
 新入生は、全国各地から期待と不安の入り交じる中ここ武山の地に集い、約1週間で「気を付け」「敬礼」に始まる自衛隊員として最も基礎的な訓練を終え入校式に臨んだ。
 式は、国歌斉唱に続き、任命・申告・宣誓と進み、特に宣誓では、新入生代表の道下優生生徒(石川県出身)が力強く宣誓し、頼もしい声が響き渡った。
 学校長式辞では、「成長を実感できるよう目標をもち、日々の教育に取り組むこと【日々成長】」「人生の基礎、自衛官の基礎、正しい基礎を身に着けること【躾】」「同期の絆を育むこと【絆】」との3つ要望があり、新入生の心に深く刻み込まれた。
 また井野副大臣からは、「何よりも大切な友人、生涯切れない友情を育んでほしい」「3年間を通じ、自衛官としての自信と誇りを身につけてもらいたい」との激励の言葉が贈られた。
 その後、学校グラウンドにおいて在校生による歓迎パレード及び本校出身者の操縦による祝賀飛行が披露され、晴れの門出に花を添えた。

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