防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   1062号 (2021年11月1日発行)
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読史随感
神田淳
<第88回>

日本の近現代史150年

 今はもう昔のことになったが、昭和の後半、日本は経済大国を実現した。1970年代、国民の90%以上が自分を中流階級だと考える一億総中流意識が実現していた。世界第2位のGDPをもち、1人当たりの所得も欧米先進国並みとなった。1979年、米国人による『ジャパン・アズ・ナンバーワン』という著書も現れた。
 IMD(国際経済開発研究所、在スイス)は1989年から『世界競争力年鑑』を公表しているが、1989年から1992年まで日本の競争力の総合順位は1位だった。競争力総合順位は、経済状況、政府効率性、ビジネス効率性、インフラ等国の競争力に関する統計データと、企業の経営者層を対象とするアンケート調査結果を収集し、作成される。
 ところが、日本の競争力総合順位は1990年代後半から急速に下落し始め、2020年には34位にまで凋落した。上位には、1位シンガポール、2位デンマーク、3位スイス、4位オランダ、6位スウェーデンといった国が並ぶ。米国は10位、ドイツ17位、英国19位、中国20位、韓国23位である。
 国の総合競争力はGDPに直結する。1995年世界第3位だった日本の1人当たりGDPは2020年には24位まで凋落した。日本の国力は低下し続け、このままでは2030年には日本は恒常的なマイナス成長国家となり、先進国から脱落するだろう。
 日本の国力低下がなぜ起き、低迷が続くのか。内外のエコノミスト、ジャーナリストは言う。日本の失われた数十年の原因は、日本が構造改革を行わなかった結果であると。痛みを伴う構造改革は避け、景気対策として公的資金を投入し、日本は赤字国債なしでは立ち行かない国になった。過去、日本企業はVHSやDVDといった技術開発でトップに立っていたが、世界のデジタル革命に完全に立ち後れた。日本はGAFAのような企業を生み出すことができなかった。
 戦後76年が過ぎたが、前半(昭和の終わりまで)は興隆の時代、後半の平成以降は衰亡の時代だったと歴史家は総括するだろう。実はこの歴史観には既視感がある。戦前、明治元年から太平洋戦争まで75年だが、前半は興隆の時代、後半はつまずきの時代だった。明治の日本は富国強兵の道を歩み、近代国家の建設に成功した。日露戦争にも勝ち、5大国の仲間入りを果たした。しかし、その後日本はつまずく。昭和に入り、軍部が日本を支配した。日中戦争が泥沼化し、太平洋戦争に行き着き、大日本帝国を滅ぼした。
 40年サイクルで盛衰する日本の近現代史だが、世代のサイクルにはタイムラグがある。興隆時代を実現した日本人はその時代に生まれた世代ではない。その前の世代である。明治日本を建設し、興隆させたのは、江戸時代に生まれた武士だった。大正、昭和時代になり、武士教育で人間形成をした指導者がいなくなって、日本はつまずいた。経済大国をつくりあげた人たちも戦後生まれの世代ではない。戦前の社会と教育で人間形成をした人たちである。石坂泰三、松下幸之助、土光敏夫、井深大、盛田昭夫、永野重雄、本田宗一郎、出光佐三、小林宏冶などの経済人がその代表である。
 私は、明治も戦後も日本を興隆させた人たちに、歴史、文化に根ざす日本の伝統精神を見い出したい。それは日本に誇りをもち、かつ「智識を世界に求める」精神である。日本は現在、今まで経験したこともない苦境に直面している。この苦境の中で育ち、日本の魂を失わず、創造的イノベーション能力と人間力を形成した世代が苦境を打開すると信じる。
(令和3年11月1日)

神田 淳(かんだすなお)
 元高知工科大学客員教授。著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』などがある。


知恩報恩<3>
航空自衛隊OB 吉田浩介
日本生命における元自衛隊員の活躍

 私は平成28年12月に日本生命に入社し、5年が経過しました。
 日本生命は平成14年から防衛省共済組合事業である団体保険の幹事会社を務めており、現在、日本生命では防衛省・自衛隊を退職した総勢32名の元自衛隊員が顧問、自衛隊担当マネージャー、主任という役職で様々な部署に配置され、勤務しています。
 『国民を守るのは自衛隊、その隊員と家族を守るのは日本生命』
 歴代社長の申し送り事項となっているこの言葉をモットーとして、本社、地方営業本部、支社を巻き込んだ『Team防衛省』という全社横断的な取り組みを通じて、全国各地に所在する約280の駐屯地等に約390名の常駐員を配置し、団体保険の各種手続きのみならず、ライフプランセミナーの開催など分屯基地、通信所等全ての部隊で勤務する隊員とその家族のため保険事業を支援しています。
 私は現役時代に航空大事故で2名、病気で1名の同期生を、また病気で2名の部下を失いました。私と同様に日本生命で勤務する元自衛隊員もそのような経験を持っています。部下や仲間を失うということほど悲しく、辛いことはありません。何かしてやれることは無かったのかと自責の念にかられ、その思いがその後の事故防止や健康管理の動機付けとなったと考えています。
 部下や仲間を失ったことだけでも辛いことですが、辛さが増すことは保険に加入していない、あるいは加入口数が少ない場合です。更には、結婚しているにもかかわらず、保険金の受取人を配偶者にしていなかったような場合、子供をかかえた奥様の将来を考えると辛さが倍増します。そして多くの場合、この問題は亡くなった本人が予期もしていない遺族間の争いに発展するのです。本当に悲しいことです。
 このように悲しく、また辛い事案を経験しているが故に、日本生命で勤務する我々元自衛隊員は保険の重要性を肌身に感じており、保険の勧誘や見直し、解約・脱退防止に真剣さが表に出てしまうのかもしれません。
 防衛省共済組合の団体保険は歴史と伝統があります。団体生命保険は自衛隊創設以前の警察予備隊の時代に創設されています。保険会社の常識からすれば、リスクに応じて掛け金が決まるのですが、防衛省共済組合の団体生命保険は年齢、性別、階級、職種に関係なく1口が100円の保険です。創設以来67年目を迎える防衛省では昨年、殉職者が2000名を超えました。自衛隊の任務は常に危険と隣り合わせであり、相互扶助の精神に則り、この制度が現在に至るまで堅持されています。
 平成14年に成人病で入院、手術する隊員や家族が増加してきたことに鑑み、新たに団体医療保険が創設されました。そして成人病の中でも3大疾病による支払い事由が増加したことに鑑み、平成28年から3大疾病の補償を手厚くした特約が団体医療保険に付加されました。平成31年からは退職前に2年間以上団体医療保険に加入していれば、退職後に無審査で同等の個人医療保険に移行できるなど、隊員を取り巻く環境の変化と隊員からの要望を基礎として団体保険は充実、発展を遂げてきています。
 平成17年春、自衛隊入隊直後に訓練中の学生が亡くなる事案がありました。その隊員は団体生命保険への加入申込を済ませていましたが、死亡保険金は支払われませんでした。保険は掛け金が支払われた日を責任開始日とし、その日以降に発効します。自衛隊の場合、保険料は源泉控除されるため18日が責任開始日となりますが、その学生は給料日前に亡くなったため、保険料が引き落とされていなかったので、保険金は支払われなかったのです。この事件を契機として、隊員が保険加入申込を済ませた段階で保険が発効する即時保障という自衛隊独自の制度が創設されました。(即時保障の場合は、申し込みを行った月の掛け金が後日請求される)保険は商品であり、自分にあったものを選んで買うものだと思っていましたが、この事案を契機に保険はニーズに応じて創り上げていくものと認識を新たにしました。団体医療保険の退職後無審査での個人保険移行についても、隊員からの要望が多かったので、引受会社である日本生命が2年の歳月をかけて制度化したのです。
 これまでは事故や病気で亡くなる、あるいは入院や手術等の経済的負担を軽減することに備えることが保険の役割でしたが、寿命の延伸に伴う老後資金不足に備える保険商品も出現しており、保険会社で勤務する我々の役割も大きく変化してきているように感じます。我々は防衛省・自衛隊での経験を活かして、長年に亘り築きあげられた共済組合団体保険を通じて、隊員が職務に後顧の憂いなく専念できる環境整備のお手伝いを行うとともに、団体保険では保証できないその他のリスクの存在と、それに対する個人保険による補完の必要性を訴えることにより、防衛省・自衛隊への恩返しができればと日々願いつつ、東奔西走しています。

(著者略歴)
 防衛大学校25期生卒、在ロシア防衛駐在武官、第5航空団司令(新田原)、統幕首席後方補給官、空幕技術部長、幹部学校長、航空総隊副司令官、補給本部長を歴任し平成28年に退官。現在、日本生命顧問


うちの子は自衛官
息子が成長!

 今年長男が海上自衛隊横須賀教育隊に入隊しました。私も東区家族会に入会させて貰い、それぞれ新しい生活が始まりました。
 息子は高校3年の夏に海上自衛隊に進路を決め、『すぐ辞めて帰ってくるだろう』という親戚や友人たちの予想に反して頑張っています。なにしろ運動が大の苦手で、部活の経験もなく、体育の授業がある日はたびたび朝から体調を崩すほどだったのです。そんな息子が毎日のように長距離を走ったり泳いだり、教育隊のさまざまな訓練や生活に耐えられたのはきっと一緒に頑張る同期の仲間たちのおかげなのでしょう。
 最初の頃は日々の生活だけで精一杯だったのに、徐々に慣れて時間にも気持ちにも余裕が出てきたのを毎日の短い片言のようなラインの遣り取りで感じました。そして母の日や父の日のプレゼントや外出した時のお土産やたくさんの自衛隊グッズなどを送って来てくれたり、いつのまにか気遣いが出来るようになったんだなと思います。
 私は家族会の人たちとの集まりやグループラインで自衛隊について教えて貰ったり、いろんな話やわからないことを先輩ママさんたちに聞くことが出来て、とてもありがたかったです。
 初帰省では久しぶりに祖父母にも元気な姿を見せて喜んで貰いました。日焼けした顔と少し締まった身体が息子の成長を感じさせました。コロナ禍で入隊式も修業式も見ることが出来ませんでしたが、新しい配属先でも元気で頑張って欲しいと願っています。
(札幌市東区支部会員 今藤 亜矢子)


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