防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   1024号 (2020年4月1日発行)
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読史随感
神田淳
<第50回>

新聞記者は出て行ってくれー佐藤栄作

 昭和の佐藤栄作首相は、1972年(昭和47)6月17日、長期政権(7年8ヶ月)の退陣を発表したが、記者会見の席で、「新聞記者は出て行ってくれ、偏向している新聞は嫌いだ、私は直接国民に語りかけたい」と言い、記者たちが憤慨して出ていった会見場で一人テレビに向かって語り続けた。
 翌朝の新聞は、囂々たる佐藤栄作非難記事に満ちていた。私は当時、社会人3年目の若造であったが、佐藤首相の行動は非難されるべきで、新聞の方が正しいと思っていた。しかし、社会人として経験を重ね、新聞がいかに真実を伝えないかを知るにつれて、佐藤首相の方が正しいと思うようになった。佐藤首相は、何かにつけて曲げて報道する新聞に我慢ならなかったのである。
 新聞はしばしばウソを報道する。いわゆる虚報である。二、三例を挙げる。
 1982年(昭和57)6月26日、日本の各紙が、「文部省の検定によって日本軍の中国への『侵略』が『進出』に書き換えられた」と報じた。後で判明するがこれは大誤報であった。事実は、検定によってそのような書き換えを行った教科書は一つもなかったのである。しかしこの報道は重大な外交問題を生んだ。中国・韓国は日本に抗議し、教科書の書き換えを強く求めた。当時の日本政府は、「政府の責任において教科書記述を是正する」、「検定基準を改め、アジアの近隣諸国との友好、親善が十分実現するように配慮する」という宮沢喜一官房長官談話によってこの外交問題を収めた。この談話は、その後の日本の歴史教科書に大きな負の影響を残した。
 今、韓国が従軍慰安婦に関するウソで固めたプロパガンダを世界に拡散しているが、その発端は、朝日新聞が吉田清治という人物の「私は慰安婦狩りをした」というウソを、長期間にわたって報道し続けたことにある。
 また朝日新聞は2014年5月、事故を起こした福島第一原発職員の行動に関し、ウソを世界に流した。朝日は、福島第一原発職員の9割が2011年3月15日の朝、吉田昌郎所長の命令に違反して、原発から撤退した(命令に背いて原発から逃亡した)、と報道した。しかしこれは虚報だった。事実は、福島第一原発の原子炉事故が進展する中、第一原発には総勢700人の関連職員がいたが、事故対応に必要な最少人員の数十名を残し、それ以外は安全な福島第二原発に待避せよ、という吉田所長の指示どおりの行動だった。朝日の報道に、これが虚報と知らぬ世界のメディアは大きく反応した。朝日は虚報によって、日本人を貶めたのである。
 日本の新聞の特徴は、社是、特定のイデオロギー、主義主張に沿う事実だけを見つけて報道することにある。そして主義主張に不都合な事実は、報道しない。上から目線であり、事実を真摯に発掘する姿勢に欠ける。特定の主義主張の運動体のようになった一般紙に、果たして存在意義があるのかと私は思う。
 戦前、満州事変以降、日本のほぼ全紙が戦争を煽った。新聞を信頼する国民は戦争を支持し、悲惨な敗戦を経験した。新聞とラジオしか情報源がなかった戦前に比較すると、現在はインターネットで個人が自由に発信する情報にアクセスできる。ネット情報は玉石混淆であるが、中には新聞が報道しない情報や、新聞に見られない良質な情報もある。我々は複数の情報源に目を通し、正しい情報を獲得していきたい。
(令和2年4月1日)

神田 淳(かんだすなお)
 高知工科大学客員教授
著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』など。


目指せ献血日本一駐屯地
<名寄駐屯地>
 名寄駐屯地(司令・武本康博1陸佐)は3月9日、同駐屯地で、「目指せ!献血日本一駐屯地!」「献血車、満タンお願いします」をスローガンに献血を実施した。献血車1台に対して、受付113名を受付し献血した。北海道赤十字血液センター旭川事業所と共に、年度4回を計画し実施しており、今年度の献血成果は毎期受付100名以上を達成している。
 この日、朝10時の受付開始から開始されたが、受付をする隊員の列が途絶えないよう業務隊衛生科が駐屯地放送を実施し、駐屯隊員に協力を呼び掛けた。受付の列が長蛇になった場合は、業務隊長室を開放し待合室として使用させ、午後4時過ぎに受付100名の目標を達成した。北海道赤十字血液センター旭川事業所によると、献血車1台で受付及び献血は100名が限界という。同駐屯地は、昭和60年に「北海道赤十字社北海道支部長感謝状」、平成4年に「北海道社会貢献賞(献血功労)」、平成6年に「厚生労働大臣感謝状」、平成30年に「厚生労働大臣表彰状」の表彰を受けている。
 名寄駐屯地は、新型コロナウイルスの影響で、医療用の血液が不足している中、助け合いの心をもって、これからも積極的に協力していく。

第19普通科連隊 64周年記念
 第19普通科連隊(連隊長・今村英二郎1陸佐=福岡)は1月25日、福岡駐屯地体育館及び隊員食堂において、春日市長、太宰府市長をはじめとする部内外から多数の来賓の臨席のもと、連隊創隊64周年記念行事を盛大に挙行した。
 式典に先立ち、連隊長から、混成団長表彰のOB会長・木藤眞仁氏をはじめOB会・後援会・即応予備自衛官雇用企業の功労者に対し感謝状を、永年勤続表彰等を受賞した即応予備自衛官に対し、それぞれ賞状と記念品を贈呈した。じ後、体育館において記念式典及び講話、隊員食堂において祝賀会食を実施した。
 祝賀会食では、春日市長・OB会長・後援会長・歴代連隊長・協力者の方々による鏡割りや各中隊対抗余興大会等を実施するとともに連隊長以下、連隊本部幹部による祝い目出度及び博多手一本で盛会裡に終了した。

第46普通科連隊 50周年記念
 第46普通科連隊(連隊長・大江良治1陸佐=海田市)は3月6日、海田市駐屯地体育館において、連隊創隊50周年記念行事を挙行した。連隊は昭和45年(1970年)3月10日に創隊、今年で50周年という大きな節目を迎えた。
 世界及び国内において流行している新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止のため、予定していた祝賀会食を取り止め、記念行事の内容も大幅に変更、御来賓、歴代連隊長及び招待者等の部外者は参加しない、部内(隊員)のみの形式で開催となった。
 式典に先立ち、殉職者に黙祷を奉げた後、創隊から50年間の連隊歴史を振り返るスライドショーの上映、令和元年度連隊ナンバーワン隊員表彰等を行った。執行者式辞において大江1陸佐は、これから10年先、50年先の後輩達、部隊、日本に向けて今日よりも明日、少しでも進化した戦士・部隊となるよう努力することを自らに誓うとともに、隊員に要望し、行事の幕を閉じた。

第20普通科連隊 64周年記念
 第20普通科連隊(連隊長・梶恒一郎1陸佐=神町)は2月16日、神町駐屯地において、「連隊創立64周年記念行事」を挙行した。
 本行事は、感謝状贈呈式、祝賀式、祝賀会食が行われ、祝賀式に先立って行われた感謝状贈呈式では、日頃から連隊に協力頂いている協力団体及び個人に対し、連隊長から感謝状が贈呈された。祝賀式は、駐屯地体育館で実施され、山形県内各自治体、協力団体等多数の来賓・招待者を迎え、連隊の一年間を動画で紹介し、また、連隊から選抜された隊員による「らっぱ吹奏」や上級格闘指導官による「格闘訓練展示」が実施され、それぞれが終了する度に、大きな拍手が沸き起こった。
 隊員食堂で実施された祝賀会食で連隊長は「連隊全員が一丸となり、これからも愚直に任務を遂行し、霞城連隊としての輝かしい伝統をこれからも継承してまいります」と謝辞を述べるとともに山形の代名詞でもある「花笠踊り」を披露し、会場内を盛り上げた。

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