防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   993号 (2018年12月15日発行)
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「頑張っています」新しい職場
活躍するOBシリーズ
富士航空整備株式会社 東 俊一郎
指揮官の配慮が大きな助けに
東氏は、平成29年6月に航空自衛隊第1術科学校を1空佐で定年退官。56歳(記事作成時)
 私は、平成29年6月に航空自衛隊を定年退職し、海上自衛隊、航空自衛隊の初等練習機や飛行訓練装置の整備を受注している富士航空整備株式会社に入社しました。入社後は、静浜事業所に配属され、航空自衛隊小牧基地においてU‐125A型機用シミュレータの保守整備を行う駐在技術員として勤務しています。
 入社後すぐに、技術員として社内認定を受けるための実地教育を受けました。はじめは、複雑なシミュレータの操作手順が覚えられずに失敗することもありましたが、担当教官の丁寧な指導に助けられて、3か月後には技術員認定試験に合格することができました。現在は、訓練装置課長として、当社駐在技術員の作業管理と他社駐在技術員との調整などを担当しています。
 私は、経歴を生かすために航空機整備関連会社への就職を希望していました。当時の上司は就職援護の経験が深く、定年退職を迎える部下に細かく助言をされていました。上司の親身な助言と手配のおかげで、何度かの援護担当者との面談を経て、幸いにも富士航空整備株式会社の求人情報をいただき、応募を即決できました。
 私は、指揮官の配慮が退職予定者の大きな助けになることを自ら体験しました。援護担当者は求職者の希望に沿う求人の確保に日夜努力してくれていますので、指揮官職にある方には、定年退職を迎える部下の未来のために、何から始めてよいかを悩んでいる退職予定者と援護担当者をつなぐ親身な助言をお願いしたいと思います。
 当社は、今年で創立30周年を迎え、これまでに多くの自衛隊出身者が高品質な整備を提供してきました。これからは、私も新たな活躍の場を得て、良き伝統をつないでいく所存です。これから定年退職を迎える方は、退職後への不安が大きいと思いますが、再就職は新しい活躍の場を得るチャンスでもありますので、希望をもって進んでいかれることを望みます。

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(防衛ホーム英語教室)
アイム タイド アップ ナウ
I'm tied up now!
今は手が離せないんだ!

Hi! How are you doing? 皆さん、お元気でしょうか。今年も押し迫ってきました。なぜか仕事がたくさん溜まっていますね。笑 今年は景気が良いわけではありませんが、バブルっぽい演出もあり、来年への期待もありで不思議な感じがする年末になっていますが、皆さんはどう感じておられるでしょうか。一年を通して、何かと話題となることが多い年であったように思います。来年はイノシシですが、猪突猛進になるのか、落ち着いた1年になるのか先が見えません。個人的には引き続き陽気で楽しく、一歩でも前に進んでいきたいと思っています。ご多用とは思いますが、ちょっとした静寂な時間を生活に取りいれて過ごしたいものです。
 さて、今回の表現は、"I'm tied up now!"「今は手が離せないんだ!」です。tied upは、直接的には「縛り上げるとか、縛って動けなくする」という意味です。この場合は、「手がふさがっている、手がいっぱいである、手が動かせない」という意味で使います。単純な表現でいろいろな場面で使うことが出来るので、「手が離せない」以外にもいろいろな気持を表現できます。お手伝いできない気持ち、助けたいけれども時間の余裕がなくてできない気持ちを表現できます。できる限り残念そうにいうのがテクニックです。しかし、その忙しさの中に、優しさはあるのです。

 昨年は、木枯らし一号が吹いて、寒くなってきたと書きましたが、今年は木枯らしも吹かず、暑い日と寒い日が交互に来ています。寒暖の差は、何かと体にこたえます。着脱が簡単にできる防寒用品を持ち歩くのも対策になります。寒いと思ったら、そのときは風邪をひいているかもしれません。風邪の予防をしながら、年末に向けて多くの方と意見を交わしながら過ごしたいと思っています。健康に留意され、楽しく陽気にお過ごし下さい。それでは、皆さん。See ya!
<スワタケル>


近間から遠間から
桑沢 慧
自衛隊原体験は特撮映画

 1971年1月。小学校低学年の私は、初めて生で見る怪獣の異様さに立ちすくんでいた。口も鼻もない顔には、巨大な目だけが縦に付いている。様々な色が絡んだ、溶けていく途中のような姿に「こんな気味悪い奴より、ゴジラに会いたい…」そう思い見回すと、ゴジラはしゃがみこみ首が取れ、顔を出した人間がタバコをふかしていた。映画『ゴジラ対ヘドラ(監督・坂野義光)』の撮影を見学に訪れた東宝撮影所の特撮ステージ。坂野監督にゴジラは熱線をどうやって吐くのかと質問したが教えてもらえず、記念写真はゴジラと映りたかったのにヘドラの前に立たされた。少々期待外れはあったものの、私は大好きな特撮の世界に自分がいて、これから目の前で怪獣たちの戦いが始まることに興奮していた。そんな私をじゃまにならない場所に導いたスタッフのお兄さんが「ここで静かに見ていてね」と優しく声をかけてくれた。子供心にも感じる撮影中のピリピリした空気の中で優しくしてもらえたので印象的に覚えている。あれから37年、私はあのお兄さんとおぼしき人と再会した。2008年8月9日、日本科学未来館で開かれたトークイベント「翼竜vsラドン」。出演者は元東宝映画の川北紘一特技監督と、東大総合研究博物館の遠藤秀紀教授。特技監督と特撮好きな動物解剖学教授が語り合うイベントの、私は司会を務めていた。
「人が着ぐるみの中で演技する、いわゆるスーツアクションには人間ゆえにどうしても動きに限界があるので、光線が飛び交う光学合成によってスピード感を出そうとしたんです」
 私が川北監督作品の魅力を遠藤教授に尋ねると、彼は『ゴジラvsビオランテ(監督・大森一樹)』に代表される川北特撮の真骨頂『ゴジラvsシリーズ』で見られた眩い光線技の応酬を上げ、その美しさを評したのを受けて川北監督がそう応じた。対談の司会役の私も、ゴジラの熱線やウルトラマンの光線に憧れたことをわくわくしながら思い出していた。
 川北紘一は1942年12月5日、東京日本橋の生まれ。終戦時は2歳だったので戦中の記憶はないそうだが、空襲が激しくなることを案じた父が45年3月に母と共に茨城県へ疎開させたお陰で東京大空襲の惨禍からまぬがれた。少年の頃からメカや兵器好きで、発足して間もない自衛隊に装備された戦車を操縦したくて入隊しようと思っていたという。そんな中、円谷英二特技監督の特撮で評判となった57年公開の映画『地球防衛軍(監督・本多猪四郎)』を見たことが、その後の人生を決定づけた。地球よりはるかに進歩した科学力で侵略してきた宇宙人に対し、世界は地球防衛軍を組織し科学の粋を結集して開発した超兵器で防衛戦に挑むこの映画で、初めて宇宙や科学へ意識が向き、困難に立ち向かうため仲間と力を合わせることの素晴らしさに気付き、自分もこんな映画を作りたいと熱望した。62年、大学を中退し東宝に入社。円谷監督に師事する中で、テレビの『ウルトラマン』が爆発する赤い光の中から拳を突き上げて出現する有名な変身シーンの光学処理を担当した。ゴジラシリーズで初めて関わった『ゴジラ対ヘドラ』では、ヘドラの目から発射される怪光線で撃墜される自衛隊ヘリのミニチュア演出などの他、助監督も務めていたので現場に見学に来た子供の世話も焼いたと思うが、撮影が難航して大変だったこと以外は覚えていないらしい。だが、あの場に若き川北監督がいて、戦う自衛隊のミニチュア演出を手掛けていたことは間違いない。ゴジラと協力し人々を守るために戦っていた、武器を持つ戦闘服姿の大人の集団を自衛隊と呼ぶことを、幼い私が初めて知ったのがこの映画だった。私たちはあの日から自衛隊を共通点に縁が繋がっていたからこそ、長い年月が過ぎた末に再会できた気がするのだ。その川北監督亡き今、かつての私のような子供たちのためにも、正しい自衛隊像を魅力的に伝える特撮映画が作られ続けていくことを、期待してやまない。

桑沢 慧(くわさわけい)
 明治神宮武道場至誠館剣道科出身のフリーライター。これまでセキュリタリアン(防衛弘済会)、歴史群像(学研)などに執筆。


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