防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   982号 (2018年7月1日発行)
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(防衛ホーム英語教室)
イトル ビ イグゾースティング イン ジス ヒート
It'll be exhausting in this heat!
この暑さじゃ、ぐったりだろうね!

Hi! How are you doing? 皆さん、お元気でしょうか。沖縄地方は、梅雨明けしたようです。今年は天候不順な傾向がありますので、季節に対して例年より敏感になっている気がします。生活の中で、季節を感じる瞬間が多くなっているのではないでしょうか。日々におきる変化を体感しながら、自然とともに生きている素晴らしさを実感し、さらに自然の恩恵に感謝出来たら最高ですね。

 さて、今回の表現は、"It'll be exhausting in this heat!"「この暑さじゃ、ぐったりだろうね!」です。heatは、暑さです。in this heatで、「この暑さの中では、この暑さでは」という状況を表します。exhaustは、「へとへとに疲れさせる、疲弊させる、クタクタにさせる」という意味です。will be〜ingで「きっと〜になるだろう」とそうなる可能性が高いことを表現しています。ここでは、暑さでばててしまうだろうと予測しています。「ばてるかもしれない」と言っているのではないので、発言を重く受け止めて「大丈夫ですか?」、「無理しないでね」と一声かけるといいですね。

 世界中サッカーで盛り上がっているような感じですね。いろいろなドラマや自分にとって都合の良い奇跡が起きそうですね。(笑)現地入りしている日本人ファンの試合後の清掃が、また話題になっています。他チームのファンにも広がりつつあると嬉しい報道もあります。リアルタイムで試合を見るのも良いですが、生活のリズムを崩さずに、楽しみたいものです。勝敗のみでなく、ゲームを楽しみたいですね。陽気で楽しく、ストレスの少ない日々をお過ごしください。それでは、皆さん。See ya! <スワタケル>


近間から遠間から
二・二六の咄家
桑沢 慧
 2002年5月19日、渋谷の乗泉寺境内は次々と訪れる会葬者でひしめいていた。喪服姿の黒山の真ん中を、江戸火消しの鳶装束の一団が木遣り歌をうなりながら練り歩いていく。葬儀では禁忌なはずの朱が入った半纏が歩を進めるたびに、喪服の群れが左右に開いていく様はいなせな風情を超えた荘厳さがあった。剣が振り下ろされて開いた道を、師匠の魂が昇天していくようなこの光景に、私は最初に頂戴した稽古を思い出していた。
 「人間国宝の頭を打ってもいいのか?」私の脳裏をよぎった懸念は、防具の垂れに大書された「小さん」の名を見てさらに大きくなった。目の前で竹刀を構える面金の奥の顔はあの高名な咄家、五代目柳家小さん師匠だ。だが、テレビで見慣れた愛きょう溢れる表情とは別人のような無表情のまま、歩み足で接近してくる。通常の剣道は継ぎ足だが、師匠は七段の高段者であることに加え、江戸後期に千葉周作が創始し坂本竜馬なども遣った北辰一刀流の免許者でもあるという。大胆な歩み足で間合いを詰められ竹刀が交差し私があわてて面を打つ。また歩み足で攻められ面を打つ。いや、打たされる。これを何度も繰り返す内に息が上がり「人間国宝の頭を・・・」という遠慮が消し飛び、余分な力や欲も抜け、真っ直ぐな面が打てたところで師匠が無言で蹲踞し、私も応じて竹刀を収めた。
 小さん師匠の本名は小林盛夫。1915年長野で生まれ、3歳から浅草や丸の内で育つ。麹町小学校の剣道部で手ほどきを受け、一時は剣で身を立てようと志し修行を重ね、以来87歳で亡くなる約3ヶ月前まで稽古を続けた。私が接した晩年の師匠は寡黙で会話はあまりしていないが、3階の道場へ防具を担いで階段を上るその背中に触れぬよう、万が一の用心に手を差し伸べたことは何度かある。思えば人情咄のような2人だけの時間だった。
 16歳の頃、給仕として勤めていた法律事務所の弁護士に連れられて寄席に行ったのが落語との最初の出会いとなる。「別世界に来たような気持ちで、病みつきになって(咄も剣も自然体・東京新聞出版局)」寄席通いを続け、親の反対を押し切り四代目柳家小さんの弟子になる。栗之助の名で3年半、前座を務めるが兵役検査に合格し36年1月、麻布の歩兵第3連隊に入隊し、あの事件に巻き込まれる。まずいツラだと殴られるなどの理不尽な初年兵いじめに耐えて日々を過ごしていた入隊翌月の26日未明、非常呼集で実包を渡され、わけもわからぬまま出動する。演習ではない雰囲気に、二年兵に尋ねると「偉いやつを襲撃するやつがいるから、その警備に行くらしい」。着いた先は警視庁。警官たちは演習だと思いのんきに見物していたので、着剣した小銃で部隊が突入するとあっという間に占拠できた。この時点でもまだ警備のためと思い込んでいたという。だが翌朝、大雪が降る中で班長が持ってきたひとつの丼を1個小隊で分けると言われたとき、自分たちの方が偉いやつを襲撃する反乱軍であることに気づいた。鎮圧部隊が出動したとの情報に意気消沈する兵隊たちを元気づけるため、班長から「一席やれ」と言われ無茶だと思いつつ挑むが1人も笑わすことができず、咄家人生で最も受けなかった戒めの一席となった。
 投降後は国境警備兵として満州に2度渡り、一度除隊し咄家に復帰。前座から二つ目に昇進し活躍していた最中、43年12月に2度目の応召で南部仏印へ送られ兵長として仏軍討伐、米軍機迎撃などの戦闘を潜り抜け、終戦後に中国軍の捕虜となり46年5月に復員した。真打ちに昇進し、九代目小三治を経て五代目柳家小さんを襲名したのは50年9月、35歳のときだった。肝心な修行時代を軍隊に費やさざるを得なかったが、師匠の綴った軍隊や戦争談は苦労の中にも軽妙な味があり、生死をかけた体験を肥やしに成長していったことがわかる。そして、咄家初の人間国宝(95年5月)という大樹となったのである。
桑沢 慧(くわさわけい)
 明治神宮武道場至誠館剣道科出身のフリーライター。これまでセキュリタリアン(防衛弘済会)、歴史群像(学研)などに執筆。

「頑張っています」新しい職場
活躍するOBシリーズ
JA共済連 高知損害調査部 高吾サービスセンター小島 毅
小島氏は平成27年2月、自衛隊高知地方協力本部を1陸尉で定年退官。56歳(記事作成時)
 私は、平成27年2月24日に自衛隊高知地方協力本部勤務を最後に定年退職し、翌日より土佐市農業協同組合に嘱託職員として採用され、同年3月よりJA共済連高知損害調査部高吾サービスセンターに出向職員という形で勤務しております。
 再就職にあたっては、自分が自動車保険に興味があったこともあり、現職時より援護課の担当者にその旨をお伝えして、希望通りの勤務先に就職できました。援護課には感謝しております。
 高知県は東西に長いため、県全体を5つのブロックに分割し、地域ごとにサービスセンターを設けております。私はその中でもほぼ中央部に位置するサービスセンターで快適に勤務しております。私が所属するセンターにはセンター長以下24名がおり、その内の16名が自動車損害調査担当審査員として勤務しています。各農協より出向されている職員の方々も皆さん良い方ばかりでいろいろと気にかけて頂いております。特筆すべきは、自動車損害調査担当審査員16名中3名が自衛隊OBであり、その3名がそれぞれ陸・海・空の自衛隊生徒出身者であるということです。海上17期生の先輩を始め、航空23期生、そして私が陸上23期生です。やはり生徒出身者ということで気心も知れ、非常に勤務しやすい環境です。
 私の現在の業務内容は交通事故によりケガをされた方への対応です。
 当然、事故にはいろいろな形態があり、契約者やそのご家族、同乗者、相手方等事故形態に応じ、ケガをされた方への対応から示談までを行っております。
 勤務し始めた頃は物損事故担当でしたが、こちらは即時対応が求められ、双方に過失割合が生起する事故についてはその調整も担います。相手損保担当者とのやりとりから契約車両や相手車両の修理の調整、またその他に損害物等があればその対応など、一日中、息つく暇もないほど忙しく、プリンターに印刷物を取りに行くのも小走り状態でした。現在のケガ担当も同様ですが、どちらも契約者や相手方、そしてその親族等が介在します。過失割合で納得しない人や様々な要求をしてくる人等々、週初めの出勤時には気が重くなることも度々ありました。経験が無いながらも自分で責任を持ってやりたいとの気持ちから余計にストレスを溜めていたように思います。自衛官現役時には業務に対して感謝されることはあっても直接非難されたり、人間の欲が絡む部分での調整に接する機会がなかったこともあり、業務に戸惑いを感じたことも多々ありました。
 そんな中でも徐々にですがうまく進捗させるコツが分かり始めました。自分が進めている案件の中でも同僚等に相談すれば解決できることと上司に判断を求めるべき事項の仕分けを適切に実施していれば、自分にストレスを溜めることなくうまく解決まで持っていけることが判り、比較的快適に業務に取り組めるようになりました。これには、先述の自衛隊OBの先輩や同期の存在があることはもちろんですが、当方所属のサービスセンターの皆さんが良い人ばかりであったことも大きな要因です。日本全国どこの職場もこのような雰囲気であるとは限りませんが、私はJAでお世話になり、本当に良かったと感じております。
 最後に、これから再就職される方は、不安もあると思いますが、自衛官として培った不撓不屈の精神を忘れずとにかくまじめに、そして明るく一生懸命取り組みさえすれば、活路は開けてくると思います。再就職先の大半は、過去に自衛隊OBを採用したか、現在も採用中の会社がほとんどであると思いますので先輩方が築いてきたものを壊すことなく、自分なりの色を出していけばよいと思います。皆さん頑張ってください。

防衛ホーム俳句コーナー
富士塚へ堤灯連ね夏祭  榎 利風
掃海艇に賑はふ埠頭南風  本多 令佳
縦走の広げし地図に汗落つる  宮本 立男
胎の子へ会話の夫へ団扇風  古賀 芳川
映ゆる雲蹴散らし沼のあめんぼう  塩見 惇子
扶け合ひ子の墓洗ふ夫婦かな  高橋のぶ子
路地に来て振り鐘鳴らし氷旗  中尾惠美子
雲の峰昨日越え来し峠かな  折口 桂子
蒲の穂に絡みし綸の浮子うごく  尾野千惠子
音をたてラムネを抜きし峠茶屋  永澤美沙子
祖母思ふ手塩の畑の草を刈り  川村 和栄
何事も先延ばしせし酷暑かな  谷崎 義弘
たっぷりと水の打ちある見番前  細野 綾子
名刹の切り岸被ふ岩煙草  松野 藤枝
さづかりしどの句もいとし花野ゆく  辰巳 一郎
矢狭間より覗けば眩し若葉山  田中 雅巳
丹沢の山塊焦がし夏落暉  棚橋 弘子
夏椿あたら命を零しけり  西田真由美
選 者 吟
名園の西湖の堤草萌ゆる  畠中 草史
(「栃の芽」誌提供)

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