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自衛隊ニュース   2011年11月15日号
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遠航部隊156日間の軌跡
各寄港地で親善交流図る

 遠洋練習航海部隊が10月27日、東京・晴海埠頭に帰国した。アメリカ大陸など6ヶ国14寄港地を歴訪し、各地で艦の一般公開や音楽演奏会など親善行事を開催した。また、実習幹部は部隊研修や史跡研修などで現地の現状や文化などを学んだほか、航海中は各部署訓練や操艦訓練などを実施し、初級幹部として必要な基礎的な知識・技能の育成を図った。実習幹部の感想とともに156日間の航海の軌跡を辿る。

【太平洋を横断】
 5月24日、東京・晴海埠頭を出港した練習艦隊は、約2週間の航海を経て米国アラスカ州アンカレッジ港に入港した。この模様は現地新聞の1面でも取り上げられた。実習幹部はフォートリチャードソン陸軍基地とエルメンドルフ空軍基地を研修で訪れ、F—22など最新鋭の航空機などを見学。その他、米国人戦没者とアッツ島日本人戦没者慰霊碑への献花などが行われた。
 「アンカレッジは1964年のアラスカ大地震で地震・津波の被害を経験しており、東日本大震災に対する関心も高く、『日本は大丈夫か?』と聞かれることもあった。その度に米国からの支援に対する感謝を伝え、いま復興に向けて動き始めていることを説明した。練習艦隊が外交上においても大きな意味を持つことを最初の寄港地で強く実感した」(田中慎一郎2尉=みねゆき)
【北米から南下】
 アンカレッジを出港後、「かしま」は米・シアトルとサンフランシスコ、「あさぎり」「みねゆき」はカナダ・バンクーバーと米・サンディエゴにそれぞれ途中寄港しパナマに向かう。
 今年はサンフランシスコ平和条約調印60周年という節目の年に当たり、「かしま」実習幹部は調印場所となったオペラシティなどを訪れるなど、歴史の重みを感じた。「みねゆき」「あさぎり」が寄港したサンディエゴでは、米海軍の沿岸戦闘艦「フリーダム」と病院船「マーシー」見学などが行われた。
 パナマシティを目指す航海では気温は劇的に変わった。北米から一気に南下し赤道付近まで到達すると真夏の暑さに。また、遠洋練習航海では蛇行運動、占位運動などの操艦訓練、基本7部署訓練(防火、防水、溺者救助、応急操舵、霧中航行、出入港、総員離艦)など様々な訓練が行われるが、パナマに向かう航行から訓練が本格的なものへと移行する。カナダ、アメリカ、メキシコなどの各国海軍との親善訓練では戦術運動や夜間近接運動、洋上給油を行い、連携を強めた。
 「訓練の難易度は高く、実際に近いものとなった。私たち実習幹部は日々、違った訓練を違った配置で行い、訓練をうまく行うためにはどうすればよいか悩んでいる。しかし毎日が新しいことの連続で、刺激的で充実していると感じている」(河野奈津美3尉=かしま)
【中南米へ】
 パナマシティ入港時には民族衣装で盛大に迎えられた。寄港中はスペイン植民地時代に栄えたカスコ・ビエホ地区や世界遺産のサン・ロレンソ砦などがあるポルトベーロ史跡を見て回った。パナマシティを出ると、パナマ運河を通過し、太平洋からカリブ海、大西洋へと抜け北上する。次の寄港地メキシコのベラクルスでは艦が一般公開され、公開時間を過ぎても岸壁に長蛇の列ができるほどの盛況振りをみせた。その他、海軍士官学校研修ではスポーツ交流も行われるなど、両国の親善交流にも貢献した。
 「メキシコの人々を見て感じたことは、彼らは陽気で、また非常に親日的でもあるということ。実際に私たち練習艦隊の人間が声を掛けられて一緒に写真を撮っている姿を何度も目撃した。今まであまり見ない光景で、余計にメキシコの人々の親近感を引き立たせていた。両国の交流の歴史は400年余り、その間友好的な関係を持続してきた間柄だ。この関係を持続できるよう、日本としても努力を惜しむべきではないと感じた」(額賀大地3尉=あさぎり)
【折り返しの中間試験】
 米・タンパでは、各種研修のほかホームステイが実施された。はじめは緊張していた実習幹部もホストファミリーとの交流を通じてコミュニケーションの自信を深めた。
 「タンパは久しぶりの英語圏であったため、メキシコやパナマと異なり、安心して言葉を発することができた。メキシコとパナマでは日本と全く異なる文化に触れ、未知の文化を体験したことによって自分自身の見識を高めることができた。そして身近な異文化であるアメリカに触れることはまた別の見識を生む。我々実習幹部は新たな文化に出会い、学び、考え、また異なる文化と出会う。これらの繰り返しが幹部としての見識や人格を高めていく」(廣瀬晃昭3尉=かしま)
 タンパからノーフォークへ向かう航海中には中間試験もあり、実習幹部はこれまで学んだことを思い返しながら気持ちを新たにした。世界最大級の海軍基地があるノーフォークでは、米海軍兵学校やアーリントン国立墓地などを訪れ、日米間の共通点や文化の違いを肌で感じとった。
 続くカナダ東部の都市ハリファックスは大西洋艦隊司令部があるカナダ海軍最大の軍港。町並みや雰囲気など西海岸のバンクーバーとの違いを感じとりながら、様々な研修が行われた。
【赤道を越えて】
 その後は2回目のパナマシティ滞在を経て、南米チリのバルパライソへ。初めて赤道を越え、冬の南半球へ入るとペルー海流の影響で防寒対策が必要なほど気温が下がった。赤道通過時には赤道祭が行われ、航海の安全を祈願する劇が「かしま」甲板で行われた。
 チリ最大の港町・バルパライソでは、チリ海軍の音楽隊が「軍艦マーチ」など海上自衛隊らしい曲を演奏し、練艦隊を温かく迎えた。アルゼンチンの帆船が入港中で、彼らも遠洋航海中だということで急きょ艦内見学が行われた。チリ海軍の士官学校では教育環境を見て回った。校内には日本から送られた東郷元帥像が飾られるなど日本とチリの関係についても学んだ。
 「日本とチリは広く太平洋に面しているため、地震や津波といった自然災害から食文化に至るまで共通点があり、これまで多くの協力がなされてきた。しかし地理的に遠く離れているため、人と人との文化的交流は希薄であると感じる。実際に街のチリ人に日本について尋ねてみたところ、ほとんど何も知らなかった。私のチリに対する知識も乏しい。言葉の違いなどの障害はあるが、国として留学生の交換といった交流をもっと増やすことで、個人間の関係を深めることができれば、最終的には国家間の関係も深まり国益に繋がるのではないだろうか」(森雄基3尉=あさぎり)
【航海は終盤へ】
 バルパライソを出港し、次のペルー・カヤオまでチリ西方沖を北上する。航海中は有識者の講話やWPNS(西太平洋海軍シンポジウム)若年士官との討論会があった。訓練では艦内照明が点かない状態での脱出訓練などが行われ、航海はいよいよ終盤に突入する。
 ペルーの港町カヤオ。治安の問題から市内は上陸が制限され、首都のリマ市近郊での研修が中心となった。1996年に在ペルー日本大使公邸占拠事件が発生し、この時に特殊部隊の突入訓練をした陸軍現代博物館を訪れた。ここでは当時実際に人質になっていた人から話を聞く機会が設けられた。
 カヤオを出発し南半球から再び赤道を越え、北半球に戻る。出港時には15〜20度だった気温が、次の寄港地メキシコのマンサニーヨに至る頃には30度前後にまで上昇、季節が変わったような温度変化を体感した。3日間寄港したマンサニーヨは南北アメリカ大陸最後の寄港地。実習幹部は研修の合間に現地の人々と積極的に交流した。
 「遠洋練習航海では何度もスペイン語圏を訪れたが、今までで一番英語が通用しない寄港地だった。料理を注文するにも、タクシーで行き先を説明するにも相当な時間を要した。しかしレストランの店員もタクシードライバーも優しく、寄港地事情説明会で聞いていたような危険な思いは全くしなかった。夜にはダウンタウンの中心で踊りも見ることができた。そこにはヒスパニック系の楽しい雰囲気があって、見ているだけで楽しい時間を過ごすことができた」(高橋康典3尉=あさぎり)
【航海の終わり】
 最後の寄港地の米・パールハーバーに向かう途中には最終試験があった。試験内容は航海で行ってきた実習から出題され広い範囲にわたる。試験前日の夜まで、実習幹部同士で励ましあいながら乗り越えた。パールハーバーでは各種研修が行われたほか、米海軍が主催したレセプションでは、アットホームな雰囲気の中、日米両国間の親交が図られた。
 「海上自衛隊の将来だけでなく、日米協力関係の未来を担うのは私たちであると言われ、身の引き締まる思いだった」(荒川美代子3尉=あさぎり)
 パールハーバーを出港した練習艦隊は、太平洋を横断し、最後の航海を終えて10月27日に帰国した。

ペルーの遺跡で感じたこと
あさぎり実習幹部 3尉 京谷 麻美
 ペルー共和国といわれると、インカ帝国やマチュピチュといった古代の遺産が多く残された国であるというイメージを持っていたが、この度カヤオ、そしてリマに上陸することで、この国の現状を垣間見ることができた。
 パチャカマ遺跡の研修で、人々が暮らしている家の近くに砂に埋もれたインカ以前からの遺跡があるということに驚いた。それだけでなく家々の下には昔の墓がある、つまりペルーの人々は遺跡の上に居住しているということには更に驚いた。遺跡の埋蔵品の多くは墓泥棒によって持ち出されてしまい、富裕層の中にはそれらを売りさばくことによって金持ちになった人もいるということを聞いて悲しくなってしまった。
 どの国からも支配されなかった日本と違って、ペルーはスペインに支配され、そしてスペイン人にとっては自分たちが築き上げたものではないインカなどの遺跡は、全く保護する対象にならなかったのではないか。遺跡の上に家があると思うと考えてしまうものがある、とガイドの方は話していたが、私にとってもそれは同感だった。
 過去を知ることは未来を知ることだ。どのような過去の貴重な遺産であれ、遺跡や過去の遺物は保護をしなければ風化し消えていってしまうもの。歴史を知るというこの意味や重要性と、歴史を保護・保存して次世代につなげていくことの意義について考えさせられた研修だった。

パールハーバー、最後の航海を前に
みねゆき実習幹部 3尉 若松 雄太
 本年度遠洋練習航海も最後の寄港地を経ていよいよ最後の航海を控え、我々第61期一般幹部候補生課程卒業者は江田島時代から続く同期との共同生活を終えて、それぞれが別々の進路に進む日が近づいてきた。パールハーバー入港初日には、各人が別々の進路に進んだ後も同期としての連帯感が失われることのないようにと、市内のホテルで第61期クラス会発足式が実施された。「九十九里を以って半ばとせよ」との格言のとおり晴海入港まで気を緩めてはいけないが、実習幹部総員が長きに渡る遠洋練習航海を大過なく終了し、帰国できる見込みがたった。これはひとえに司令部や個艦の乗員の方々の様々な配慮があってこその賜物であると考える。本年度は東日本大震災における救助活動により例年とは比較できないほど注目を集めており、更に我が国周辺海域における国際情勢が日に日に変化していく中で、我々海上自衛官にとって本来の役目である国防に対する国内外の期待も大きくなっていくことは日本から遠く離れたハワイの地においても感じ取ることができた。
 この期待に応えていくためにも、私はこの航海で得られた知識経験及び貴重な国際感覚を失うことなく大事にし、今後の勤務に臨む。


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