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自衛隊ニュース   2011年10月15日号
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「東日本大震災  岩手県の対応と教訓」テーマに
越野防災特命参事が講演

 「東日本大震災における岩手県の対応と教訓」と題して9月28日、東京銀座で講演会が行われた。
 (株)総合防災ソリューション(渕野一美代表取締役)の主催によるもので、講師は岩手県総合防災室特命参事の越野修三氏。今回の震災で副知事の元で岩手県の司令塔になった越野参事の現地のナマの惨状と対応、教訓に関東各地の自治体から出席した防災担当者や一般の人たち約100人がかたずをのんで聞き入っていた。
 特に岩手県の初動がスムーズに行われた要因に越野参事は自衛隊の司令部を県庁内の講堂に置いたことであったとし、連絡の取れない自治体の現状把握や伝達には自衛隊の通信網を使えたことに感謝していた。さらに事前に調整していたので、自動的に現地の活動拠点に自衛隊が進入できたことも強調していた。
 最後に聴講の防災担当者から切実な質問が出され同参事は丁寧に答えながら「空振りになってもいいから行動せよ」「普段やっていないことは、災害時には絶対出来ない」と県自身と自衛隊への教訓をのべていた。越野参事は新発田駐屯地司令・連隊長、富士学校企画室長等を経て岩手県防災監・防災特命参事。


「頑張っています」 新しい職場
活躍するOBシリーズ
医療法人秋津会徳田脳神経外科病院 峯村勇
峯村氏は平成22年1月、大村航空基地隊(副長)を1海佐で定年退職。56歳

 私は、平成22年1月18日に海上自衛隊大村航空基地を最後に約32年の自衛隊生活に終止符を打ちました。定年後の再就職については、すべて海幕の就職援護課に任せっきりで地元(鹿児島県鹿屋市)には再就職口は「絶対ない!」と言われていましたので、来るもの拒まず、単身赴任やむなしという気持ちで構えていました。しかし、突然に地元の中堅病院の事務部長という話を打診され、後先何も考えずに即決しました。鹿屋航空基地隊就職援護室の応援もあり、定年をもって病院事務部長として再就職することができました。
 当病院は、鹿児島県鹿屋市に所在する脳神経外科を専門とするベッド数70床、職員数が約180名程度の病院で、大隅半島には脳卒中医療を専門的に取り扱う病院が少ないため、脳外科病院としては中堅に位置づけられています。私の所掌する事務部は部員10名、その中に4人の課長がいるものの、総務課、経理課は課長1人配置という小所帯。しかし仕事量は、病院のすべてに絡む広範多岐に亘るものであり、病院経営や資産運用に係わる高度な仕事から、修理・営繕、はたまた掃除洗濯に係わる雑事まで、今までに経験したことのないような幅広い仕事を任せられています。
 病院の勤務は365日運用ですので、外来診療のない日曜・祭日は休めますが、土曜日出勤は当たり前でこの身には厳しいものがあります。
 この様な勤務の中で、自衛隊生活で培った経験で役に立っているものは、状況を的確に把握、判断して決断を下せることです。一般の方は、決断を下すということが得意でないようで、上司等に色々な意見を具申する場合でも、最後には「どうしましょうか?」と言って、結論を上司に預けてしまうことがよく見受けられます。そういう面では重宝がられています。
 これから定年される方へのアドバイスとしては、自衛隊生活を基準にしないこと、会社勤めは甘くないことを肝に銘じて再就職することです。給与、休日、環境どれをとっても自衛隊とは大きく違っています。再就職させてくれただけでも有り難いという気持ちをもって勤務し、多少、苦しいことがあっても、最低1年間がんばれば光明は見えてきます。この1年間の経験は次の年への大きな励みとなり、また余裕にも繋がります。自衛隊に入隊した頃の初心に戻って、もう後がないという気持ちで最低1年間はがんばりましょう。


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