防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   2011年8月1日号
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寄せ書き
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挨拶してますか?
第6師団司令部(神町)1陸尉 武田光司

 物心つく頃から、「挨拶は自分から元気よく!」「朝機嫌良くしろ!」、「嘘はつくな!」「卑怯なことをするな!」と、高校生になる前まで、父の「躾指導」がありました。特に、「朝は機嫌良く」や「挨拶は元気良く」は、毎日のように言われ続けてきたような気がします。
 自衛隊に入った当初は挨拶が当然のようにできていたものですが、今はどうでしょうか? 敬礼・答礼は別として、挨拶に関してはどうでしょうか。「おはよう」「お疲れ様」すれ違いの会釈等、ある程度の年齢になると気恥ずかしさも手伝って、十分にはできていないのではないでしょうか。
 私は、人間としての基本は挨拶ができることだと思います。それをしないのは円滑な人間関係を自ら放棄し、人間関係をうまくいかないようにしているのではないかと思います。挨拶を受けて返さないのは、相手を1人の人間として見ていないからと、極論的には思っています。
 陸曹時代、3回大きな声で挨拶(敬礼)しても、気付いていても挨拶(答礼)しない上司に対して、それ以降実施しなかった未熟な時代もありましたが……。しかしながら、挨拶がしない(できない)人に対して、挨拶が離れていくのは当然のことです。これは25年間の自衛隊生活で確信を持って言えます。
 幹部の皆さん、されるのが当然と、常に受身で、「敬礼されない」と思っていませんか? 挨拶(声かけ)は自分からやれば気分も変わりますよ。これからも自分に言い続けていきます。「挨拶してますか」と。

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初めての単身赴任
大津駐屯地業務隊 1陸曹 南出秀樹

 昨年の8月から大津に単身赴任となり、もうすぐ1年が経とうとしています。35歳を越えてからは年月が経つのが早く感じて単身赴任も早1年かと思う毎日です。今回の異動は部隊が変わるのも初めてで、単身赴任も初めてということで戸惑いと不安を抱えながらの異動でした。それでも周りの方々のおかげで何とか単身赴任にも慣れることができましたが、一番感じた事は家族のありがたさでした。一番苦労しているのは私ではなく妻ですから、家族のためにも更に仕事に打ち込み、家族との時間を大切にして、この単身赴任生活を充実させたいと思っています。

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陸の孤島の楽しみ方
岐阜地方協力本部 2陸曹 安藤幸康

 3月1日から3日まで航空自衛隊百里基地で実施された地方協力本部に勤務する陸上及び海上自衛官に対する航空自衛隊現地訓練に参加した。私は百里基地に行くのは初めてで、行ったことがある方々から事前に、「周りには何もない」と聞いていたのだが、実際に行ってみての第1声は「やはりなにもない!!」だった。私の自衛隊生活は生まれも育ちも守山駐屯地で、名古屋のはずれではあるが都会に近く週末の外出には困らなかった。「隊員は課業外や休日はどのように過ごしているのだろう?」と思った。
 懇談の中で、「休日はどのように過ごしているのか?」という質問があり、興味を持って聞いていたのだが、先輩の車に乗せてもらい外出したり、隊員クラブに飲みに行ったりと、特に不自由していない様子だった。隊員クラブへ飲みに行くという意見が多かったのだが、「本当にそうか?上司に言わされているだけではないか?」と、半信半疑、真相を確かめるべく隊員クラブに向かった。隊員クラブの中は大変賑わっていて、空士から幹部まで一緒になって酒をくみかわしていた。
 上司と部下が一緒になって仕事の話をネタに会話をし、翌日はまた笑顔で仕事をするのも良いことだと思う。私の「自衛隊の故郷」守山では、このように毎日飲む機会も少なくなってきたし、飲むとしても同年代同士が増えてきた。自分で余暇の過ごし方を考え、お互い誘い合い余暇を過ごしていく。そういった楽しみ方もあり、それが団結にも繋がっていくのではないかと感じられた研修であった。

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自衛官の妻として
渡邉めぐみ(第15普通科連隊=善通寺、渡邉知志陸士長夫人)

 いつも支えてくれる夫に、感謝と応援の気持ちを述べたいと思います。
 私は夫が、家族のため、目標達成のために仕事を頑張ってくれているのが伝わってきます。人生の半分は仕事なのだから仕事が「好きな物、楽しむ物」であってほしいと思います。
 日々の向上と仕事に集中できる環境作りのために、私は、円満な家庭づくりを心がけています。
 その一つ目は、「挨拶」。特に通勤前の気持ち次第で仕事に向き合う気持ち、安全性に変化があると思うので、笑顔の挨拶を心がけています。
 二つ目は、「悩みを話せる家庭に」です。一人で張りつめないように、心おきなく何でも話せる家庭があるから小さな悩みも相談できるし、心に余裕を持って仕事に打ち込めるんだと思います。
 最後になりますが、頑張っている夫に期待し、サポート、貢献できるようしっかり応援したいと思います。

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僕のお父さん
西村拓真(第12普通科連隊=国分、西村克文1陸曹長男) 

 僕のお父さんは、とても優しい気持ちを持っています。なぜかというと、僕のやりたいことを一生懸命考えてくれるからです。ある日、僕が城山公園という、家から遠く離れた公園に行きたいというと、お父さんはそこまでの行き方や、飲物や食べ物のことなど真剣に考えてくれました。ぼくはそれがとても嬉しかったです。これは多分、僕のお父さんにしかできないことだと思います。
 それから、いつも家の庭をきれいにするために、草取りや掃除をして汗をかいています。僕は、そんなお父さんが大好きです。お父さんは世界一の頑張り屋です。僕もいつかお父さんみたいに立派な家庭を持ちたいです。 

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架け橋になって
第33普通科連隊(久居)3陸曹 櫻井利樹

 3月11日、東日本大震災が発生しすぐさま非常呼集がかかり、その日のうちに久居駐屯地から多くの隊員が被災地に向けて出発していきました。私に与えられた任務は駐屯地における第33普通科連隊の隊員の家族支援でした。私は、家族や友人が東北地方に住んでいるため、救援に駆けつけたい気持ちと自衛官としての使命感が交錯し、災害派遣当初は直接被災地で働く事ができないことにとても歯痒い気持ちになりましたが、被災地で活躍する隊員がそれぞれの任務に集中してもらえるよう、また隊員ご家族の不安を少しでも解消し、被災地の隊員との架け橋になれるよう頑張ろうと思い直しました。
 震災の間に行った家族支援業務は、震災に関連した家族通信の発行、ご家族からの問い合わせへの対応、ご家族からの慰問品やお手紙の受付・現地への送付手配の他、被災地に転入した隊員やご家族への説明会の開催などでした。
 震災が発生し家族に行く先も告げず被災地へ直ちに出発することになった事や、未曽有の大災害で携帯電話も不通になりご家族は不安が募り、派遣当初は隊員の身の心配や活動状況の問い合わせが多数ありました。部隊に所属する隊員のご家族は全国各地に存在し、特に若年隊員の親御さんから多くありました。お問い合わせに対してお話しするときは丁寧に、ご家族の気持ちが和らぐような対応を心掛けました。
 また、タイムリーに機会をとらえて家族通信を発行し、活動隊員の現地での活動状況や宿営地での生活の様子、被災者の子ども達の笑顔、家族支援室からのメッセージなどきめ細かく掲載し、ご家族に少しでも安心感を持っていただけたらと心を込め隊員家族の元へ届けました。時折お問い合わせの電話の最後に「ありがとう」と言っていただいたり、感謝の内容の葉書をいただいた事がとても励みになりました。私の任務は、大災害に立ち向かう隊員と彼らを想うご家族の絆を繋ぐ架け橋でした。
 第33普通科連隊は災害派遣規模縮小のため被災地での活動を東北地方の部隊に引き継ぎましたが、現在も被災地で頑張っている自衛隊の仲間達を心より応援するとともに、被災地の復興を願いながら、日々の訓練や業務に取り組んで行こうと思います。 

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SLCに合格して
第6戦車大隊(大和)陸曹長 目黒昭彦

 曹長に昇任して間もなく中隊長から「来年SLC(3尉候補者課程)を受けてみなよ」と言われ、最初は戸惑いがありましたが、「目標を立ててやってみよう」と思い、学習計画を立てて3ヵ月間試験対策に取り組み、1次試験は合格したものの、2次の口述試験では自己、任務分析が今ひとつ定まらず結果は不合格でした。そこで、「今年こそは」と自分に言い聞かせ一からやり直し、中隊長からも夜間に指導をいただき2度目にして自己の目標を達成することができました。
 これからはSLC幹部として今まで培ってきた陸曹の経験を後輩に伝授していき小隊、中隊をまとめていかなければならない責任の重大さを感じます。そのためにも日々努力して中隊を牽引していかなければならないと思います。 

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着隊しての抱負
第304施設隊(出雲)1陸士 原田翔太

 自衛隊に入隊して6ヵ月が過ぎました。第304施設隊の交通小隊に配置されての抱負としてはまず、新隊員らしく元気良く、そして十分にやる気を出して日々の訓練に臨んでいきたいと思います。
 さらに、何事にも失敗を恐れず積極的に挑戦していこうと思います。
 まだ出雲駐屯地に着隊して間もないですが、一日でも早くこの駐屯地と交通小隊に慣れて頑張っていきたいと思います。
 教育の時には無かった警衛勤務等、しっかりと先輩隊員のアドバイスを良く聞いて先輩隊員の良いところを一つでも多く学び、日々の訓練を頑張っていきたいと思います。 


「頑張っています」新しい職場
活躍するOB シリーズ
誠実・前向きに行動し成長
福銀ビジネスサービス(株) 吉川博史
吉川氏は平成20年10月、福井地方協力本部を准陸尉で定年退職。56歳

 私の勤務する福銀ビジネスサービス株式会社は、福井県の第一地銀、福井銀行のグループ企業です。
 先輩が勤務していることもあり、退官時単一希望で申し出ました。採用予定がありませんでしたが、福井地本にご尽力いただいて、面接そして採用にこぎ着けることが出来ました。
 すでに就職難が始まっていた時期であり、当時の地本長はじめ、援護の方々には大変感謝しております。
 仕事は、ATMへの消耗品の補充や故障の復旧等のメンテナンス、各支店のATMの照合検査等、そして貴重品の運搬業務を行う警備業です。
 当社には、数名の先輩退官者が勤務しており、自衛隊出身者は機械の操作や故障排除等が得意だと認識されています。また、規律正しく、明朗で協調性に富み、警備員としての資質に優れていることが期待されています。先輩方の築いた信頼を裏切らないよう、すすんで現場へ出て、多くの故障を経験するように心がけました。しかし、故障したATMで待っているお客様は、当然不満を持っておられ、当初は心苦しく感じ、苦手意識がありました。
 とにかく、誠実に頑張ってみるしかないと思い、到着したら「三歩以上駆け足」「季節毎に修理状況をお伝えする」等を心がけました。
 そんなある日、現場へ駆けつけ、故障排除して取り出した現金をお客様にお返ししたところ、「手数をかけました、ありがとうございました」と感謝の言葉をいただくことができました。前向きに行動することで、自分の成長につながりやりがいを感じることが出来ると実感することが出来ました。今後は、自衛隊で培った根性と真摯な態度でめげることなく、お客様に感謝していただけるような対応を目指したいと考えています。また、警備業務としては、会社から資格取得の機会を与えていただき、1年目に貴重品運搬警備の2級を、2年目に、警備員指導教育責任者の資格を取得し、今年からは、初任者及び現任警備員に対する指導教育の一部を担当することになりました。
 経験は、浅いですが、自衛官としての経験が生かせる部分もあるので、しっかり勉強して会社に貢献できるように頑張りたいと思います。
 これから退官・再就職する皆さんには、少しでも早く具体的な就職目標を定めて援護担当者と相談されることをお勧めします。また、セカンドライフは自衛隊を無事退官して得ることができた人生の第2幕です。どんな職業に就かれても、自衛官勤務を全うした自信を胸に、新しいステージで新しい自分発見にお互い頑張りましょう。


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