防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   2008年7月1日号
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寄せ書き

定時制高校を無事卒業して
教育支援施設隊=滝ヶ原 陸士長 池元 淳
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 自分は、平成18年4月に静岡県立小山高等学校定時制課程に編入しました。自衛隊に入隊する前は、地元の高校に通っていましたが、自分の都合により高校3年生の時に退学してしまいました。自分勝手な行動とは分かっていましたが、自衛隊入隊後も「高校を卒業したかった」という未練があり、無理を言って通学をさせてもらいました。この2年間、部隊を含め滝ヶ原駐屯地各部隊の皆様に訓練や教育支援等で忙しいにも係わらず時間を割いて、駐屯地から学校までの送迎に関して、支援をいただいたことを本当に感謝しています。
 特に通学中、操縦手の方々には、励ましの言葉や自衛官としての経験談、各部隊の仕事や苦労話など色々な話をしていただき自分にとって貴重なためになることを教えてもらい、学校教育と合わせて、大変有意義な時間でした。そんな駐屯地の後押しに応えようと、自分なりに努力し、学校の成績も上位に入ることができました。これからは、学校で学んだ事や車中で話して下さった事を自衛隊生活だけではなく、社会生活においても活かしていき、学んだ事を少しずつ実行して滝ヶ原駐屯地及び部隊に貢献できるように、今まで以上に努力をしたいと思います。
 最後になりますが、滝ヶ原駐屯地の皆様のお陰で、無事、卒業できました。2年間の通学支援、本当にありがとうございました。と、心を込めて、感謝申し上げます。

自衛隊に入隊して
第9施設大隊3中隊=八戸 陸士長 堀内 龍
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 私は、自衛隊に入隊して今年で3年目を迎えます。今、入隊前の自分を振り返ってみると、その当時は、高校を卒業し社会に出て働く事に漠然とした不安を感じていました。
 しかし、今は自衛隊生活にも慣れ、充実した毎日を過ごす事が出来ています。それは今まで、私を指導してくださった人達のおかげだと思っています。
 私は自衛隊に入隊してから沢山の指導を受けてきましたが、そのおかげで自衛官として、社会人として大事な事、必要な事を学び、身につける事が出来ました。
 また、人見知りが激しく自分から人と接する事が苦手な私に、明るく接してくれた同期にも、とても感謝しています。
 私は、自衛官という職を選んで本当に良かったと思っています。そしてこれからも自衛官として、まず第一に人との出会いを大切にしていきたいと考えています。私を指導してくれた人達のように、人を思いやる気持ちを忘れずに生きていきたいと思います。
 次に、何事にも目標を持つという事です。私は今、冬季戦技基幹要員として毎日訓練に励んでいます。訓練はとても厳しいのですが、冬季戦技競技会で選手になるんだという目標を持って取り組んでいるので、とても充実感があります。
 私は、これからも目標を持ち続け、視野を広げて何事にも挑戦し、自分の人生を楽しく充実したものにしていきたいと思います。

通信教育終えて
第6施設群本部管理中隊=豊川 1陸士 花川悦子
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 通信教育の約3ヶ月間で、印象に残っているのは班組訓練です。朝、通信所を開設して、次の日の昼近くまで、天幕で通信訓練をしました。受付や組長も学生で順番に担当しました。これまでの個人訓練とは違い、他人と協力しての作業で、実践的な訓練でした。また、組長として指示を出す訓練もでき、自分では上手くは出来ませんでしたが、良い経験になりました。
 この教育では、実技が思うように伸びず苦労しました。初めは、部隊で教えてもらってきた人が、差をつけているくらいでしたが、徐々に全員が伸びて、私がそれについて行けなくなりました。週ごとに決められた基準のタイムがあり、それも達成できずに週末の補習を受けた回数は数えきれません。助教や同期の支えもあり、個人的には伸びたものの、全体の平均との差を埋められぬまま練度判定を受けました。結果としては、合格してモスをとって帰隊することが出来ました。
 教育は終わりましたが、日々、経験や技術を高めていくように努力し、通信手として役立てるように頑張っていきたいと思います。

走り続けて
第32普通科連隊第1中隊=大宮 3陸曹 奥宮俊祐
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 私は、走ることが大好きです。三度の飯よりというほどでもありませんが、少なくとも連隊の中では一番好きだと思います。なぜなら走れることの幸せを人一倍知っているからです。
 こんな私でも、走ることが大嫌いになり、二度と走るものかと決意した時期がありました。
 大学生の頃、陸上部に所属していた私は箱根駅伝を走る事が夢でした。しかしその夢はかなわず、その悔しさと挫折感、更に後に不整脈をわかる心臓の不調が重なりました。走る事が本当に苦しく、それ以外の何物でもなかったのです。
 そんな気持ちのまま大学を卒業し、民間会社に就職したものの経営悪化のため退職し、その後自衛隊に入隊をしました。
 ここで、第32普通科連隊の持続走訓練隊と出会い、富士登山駅伝をはじめいろいろな大会に出場し、それなりの成果を出すことが出来ましたが、自分の走ることに対する気持ちはまだふさがったままでした。
 やはり、学生の頃味わった競技に対する挫折感と、追い打ちをかける心臓の不調は思った以上につらく、「どうせ頑張ってもこの程度だ」とすでに諦めの心境でした。そんな時期、心臓の不調の原因が生まれつきの不整脈とわかり、早速手術をしました。おかげで不整脈は完治し、自分でも本当に良かったと思いました。
 完治してからの走ることに対する気持ちは一変しました。楽しくて仕方がなくなり、もう以前の自分ではないとはっきり自覚でき、更にもっと速く走れるという希望も湧いてきたのです。
 私の、これまでの駆け足人生を振り返ると、ここにたどり着くまで本当に遠回りをし、数々の苦難がありました。だからこそ今、走れる環境にいることを嬉しく、また感謝しています。
 以上の経験を連隊の隊務や各種訓練に活かし、自衛官として、またランナーとしての誇りを持ち日々努力していきたいと思います。

八戸駐屯地サッカー部
第4地対艦ミサイル連隊 第1中隊=八戸 陸士長 橘将太郎
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 私は八戸駐屯地サッカー部に所属しています。主な活動としては、週2回の練習、青森県社会人リーグ、そしてメインとして全自に出場するための予選を毎年行っています。昨年の11月に行われた予選では、苦しみながらも北東北代表として、今年の4月に行われる全自出場権を獲得しました。入隊以来自身3回目の全自となりますが、過去2回は試合中、先輩達に助けられてもらってばかりだったので、今年は自分もチームの勝利に貢献出来るようにしたいです。特に自分のポジションはゴールキーパーなので声を出して、チームに指示をあたえなければなりません。
 積極的に声を出し、階級関係なく叱咤激励をし、チームを盛り上げて、いい結果を残したいです。応援よろしくお願いします。

初めて教える立場になって(生活体験支援)
大村駐屯地 陸士長 田川正繁
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 私は、今回大島造船の生活体験第1班の班付として受け持つことになりましたが、私は班付など教育者としての経験がなく人前で話をすることが苦手な私はとても不安な気持ちで生活体験が始まり、5日間を過ごしました。
 この5日間で、班員達はとても成長したと思います。特に、時間の大切さと仲間の大切さだと思います。1日目は、みんなダラダラと動いていましたが2日、3日経つにつれて時間を気にして、集合時間に遅れないようにみんなで声を掛け合っていました。また、食事などの時も最初30分ぐらいかかっていたのも、最後の方は10分ぐらいで食べ終わるようになっていました。私もこんな短時間で成長するとは思わなかったので、とても驚きました。また、来た時に比べるとみんなのことを考えられる人になっていたと思います。朝の床上げでは、あまり時間がないのか遅い人を手伝ったり、他の人の事を考えられるようになっていました。他の人の事も考えるのは、どんな時であってもとても重要なことと思うので、これから先ももっと団結を高めて欲しいです。
 今回班付として私が勉強になったことは、教育者として、どうしたら班員に分かりやすく説明できるかなど自ら学ぶことができました。人に教えるためには、自分ができないといけないので、人前に出ることが苦手だった私でしたが、みんなの前に出て見本となって取り組めたことが自分の自信となり、とても良い経験となりました。またこのような機会があればやりたいと思います。

体験入隊に感動
大島造船女子参加者一同
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 3日間大村駐屯地での生活体験を終えて、学んだ事は集団行動の大変さ、仲間を思いやる事の大切さです。まず1日目は、基本教練をしました。この日は7班みんなで何回しても足を動かすタイミングを合わせることが出来ませんでした。
 2日目は、2班に分かれて鏡の代わりで練習しました。その練習で自分の目にとまった相手の悪い所や良い所を指摘し合い、だんだんとタイミングを合わせることができるようになってきました。まだ自衛隊の方にはおよびませんが、2人の方をはじめとする他の自衛隊の方のご指導のもと私たちも初日と比べ、少しは成長することが出来たと思います。
 3日目の野外訓練では、私達みんなが駐屯地までリタイヤすることなく帰ってくることを目標として頑張りました。また仲間同士でお互いに助け合いながらゴールを目指しました。途中の坂道ではすごくきつく班長や班付に手を借りましたが、1人も棄権することなく駐屯地にゴールする事ができ、すごく達成感を感じ、嬉しかったです。また訓練する中で同じ班の人との会話もたくさんでき、人間関係の方でも深めることができました。
 訓練する中できついと思ったことやもうしたくないと思ったことも多々ありました。しかし、それ以上に社会人としての常識や人間性、精神面の方で自分の身につけることができました。すごく短期間でしたが、これからの人生に大いに生かし、来週からの仕事にも役立てていきたいと思います。短い間でしたが、貴重なご指導をしていただき本当にありがとうございました。

ぼくのお父さん
小4 大園優介
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 ぼくのお父さんは、じまんのお父さんです。
 まず、何がすごいかというと力があることです。他のお父さんも力があると思いますが、その中でも一番だと思います。
 次に何がすごいかというと色々なスポーツができます。野球・バレー・サッカー・ゴルフなどです。その中でも一番だと思うのは野球です。でもたまにトンネルもします。
 家ではよくおこるけど、たたかいやすもうをしてくれるし、キャッチボールもしてくれます。冬はスキーにも連れて行ってくれます。
 おこるとこわいけど、たくさんあそんでくれるそんなお父さんが好きです。
 (第25普通科連隊対戦車中隊 大園2曹長男)

「頑張っています」新しい職場
活躍するOBシリーズ

美幌町役場 都築 修

都築氏は平成17年7月、第6普通科連隊本部(美幌)を3陸佐で定年退職。56歳
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 平成17年7月、36年間の自衛隊勤務を終え無事定年退職を迎える事が出来ました。在隊間、道東の素晴らしい生活環境と地域の人々との暖かい交流は、愛媛県出身の私を「定年後も美幌町に定住し、より親交を深め、更には地域の皆様のお役に立ちたい」という気持ちにさせてくれました。
 美幌町役場では以前から自衛隊退職者を受入れて頂いておりますが、定年の1年程前に「自衛隊OBを防災担当専門員として採用したい…」との話があり、駐屯地援護室と美幌町役場のご配慮により現在の職場に再就職して約3年が過ぎました。
 主な業務内容は「国民保護法市町村計画の各事象の避難要領の策定」や美幌駐屯部隊の存置及び充実整備を図るための「陳情及び要請活動」並びに「美幌駐屯地等への支援協力体制の推進、啓発活動」の他、自衛官の募集に係わる事務や募集協力支援事業の推進等を担当しています。
 再就職後約1年間は、業務内容や業務の進め方など戸惑うことも多くありましたが、わからないときは職場の上司や同僚の方に積極的に聞き、教えてもらったことが業務を覚える早道だと感じております。
  最後にこれから再就職される方へ。
 自治体や民間企業等は演習等がなく、全てが実戦でありストレスが溜まると思います。また、在隊時の身分や地位に対する考えは通用しません。相手の立場を考えた良好な人間関係を築きその職場の方々と協力しながら業務を進めることが、健康を維持し充実した業務遂行への一番の方策であると思います。
 自衛隊の先輩・同僚・後輩はもとより地域の人々との人間関係など、さまざまな出会いや経験が必ず役に立ちます。また、健康に注意し定年・再就職を迎える皆さんが希望に満ちた、新たな気持ちで再スタートできることを祈念します。

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