防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース 防衛ホーム新聞社 防衛ホーム新聞社
   2007年1月1日号
1面 2面 3面 4面 5面 6面 7面 8面 9面 10面 12面

「防衛省」昇格関連法が成立
1月9日、「防衛省」スタート
参議院本会議で「防衛省」昇格関連法が成立したあと、久間長官が防衛庁に戻り、大勢の職員から拍手の出迎えを受けた
防衛庁・自衛隊の高級幹部を前に省昇格の挨拶をする久間長官(12月15日、大臣室で)
 防衛「省」昇格関連法案が12月15日の参議院本会議で、自民、公明、民主、国民新の各党などの圧倒的賛成多数で可決、成立した。昭和29年7月に発足した防衛庁は約53年の年月を経て本年1月9日に「防衛省」として新たな歴史を刻むことになる。
 省昇格関連法が成立した12月15日夕、久間章生防衛庁長官が守屋武昌事務次官をはじめ高級幹部を伴ない、国会から防衛庁A棟玄関ロビーに到着すると、600人を超える職員が万雷の拍手で出迎えた。久間長官は記者会見で「防衛庁の省移行と国際平和協力活動の本来任務化を内容とする防衛庁設置法の一部改正が、大多数の賛成で成立し、本当に感無量。長い間『防衛庁は政策官庁として脱皮すべきである』と言われながら、なかなか実現しなかったのが、こんなに大多数の賛成で成立したというのは、ひとえに国民の皆様が防衛庁・自衛隊に対する期待を持って見守って頂いた結果ではないかと思っている。それだけに、気を引き締めて皆様の期待に応えるべく、一段と充実した防衛庁・自衛隊であるように努力したい」と抱負を語った。また、齋藤隆統幕長は「省としての責任の重さを自覚し、今まで以上に厳正な規律の保持に努め、精強性を維持し、より一層、迅速かつ的確に任務遂行に邁進することにより、国民の皆様のご期待にお応えしていく」と決意を表明した。

《論陣》
「防衛省」こそ本当の新年である
=警察予備隊からいままでの汗と力=
 明けましておめでとうございます。防衛ホーム新聞を愛読していただいております皆様には、平成19年の新春を明るい希望とともにお迎えになったことと思います。
 ずばり申しまして、わたくしたちにとって長年、夢見てきた“防衛省幕明けの年"であります。部内では「省移行」などと遠慮深げにいっておりましたが、その本心は“昇格"万歳であります。
 「庁」から「省」になったことは、お役所の呼び名、格付けからいって“段が違う"のです。
 防衛庁はトップに国務大臣・防衛庁長官をいただいていたが、「防衛庁」は、お役所の組織図からいうと「内閣府」の下に置かれていました。だから防衛庁長官であって、防衛大臣ではありませんでした。昭和29年(1954年)から53年間、「防衛庁は防衛力の整備、研究、人事など自衛隊の管理のための役所」であり、国際的視野に立った安全保障的計画、立案は、もっぱら米国と外務省+0・5人前の防衛庁が加わる程度に見られていたふしがあります。事実、「防衛庁長官」は内閣府のトップである首相を通さなければ、防衛に関する重要な案件や法律案を閣議にかけることができなかったし、他の省のように財務省に直接、予算を要求することもできなかったのです。
 「防衛省(大臣)」になったことで、これからは他の省の大臣と同様、法案や重要案件の提出、予算の単独要求ができることになったのと同時に、安全保障や危機管理などに、すぐにでも取り組むことができるようになった訳です。
 ここまで権限が認められれば、当然、それにともなう義務も重くなります。日常、陰日向なく国防の任に当っている自衛隊員が、その責務とともに隊員であるという誇りと自信を今まで以上に自覚し、士気が一層、高揚することは間違いありません。
 防衛省は、これまでの外務省の力を借りるのではなく『日米安保』の諸問題について、外務省とともに、堂々と論じることになります。
 防衛省の前身である「警察予備隊」が生まれたのは、さる昭和25年8月。7万5千人の隊員が、東京・越中島、久留米、仙台などに分とんしました。朝鮮戦争(同年)で在日米軍が朝鮮半島に出兵したあとの日本の治安を警察とともに守るとの名目が日本駐留の連合軍司令官の命令の理由でありました。月給6千円。冬になっても支給されたジャンパー風の夏用制服1着きり。毛布1人3枚。階級も当初は皆無。各小隊、中隊に責任者がいるだけ。階級がきまったのは26年末ごろ。装備は米軍の古くて重いM1ライフルと機関銃がわずか。28年ごろになってバズーカ砲が配備されました。
 大臣どころか陸海空幕僚長の呼称が登場したのは昭和29年の航空自衛隊が発足してからです。それまでは警察予備隊中央本部長、海上警備総監。そして、第一幕僚長(陸)、第二幕僚長の呼び名を経て、やっと今の陸、海、空三幕僚長になりました。
 論陣子が防衛庁と縁ができたのは昭和33年ですから「1次防」=第1次防衛力整備計画、33〜35)からです。そのころは2次防の策定が行われていましたが、総予算が3年分で2兆3400億円。いまの4兆7000億円から見ると「遠慮深かったものだ」と思います。戦車を特車、火砲部隊を特科という時代に比べるとF15、涙滴型潜水艦、DDH、対空ミサイル、新型ヘリコプターの名称でも驚くし、日米協力の大陸間弾道弾防衛ミサイルシステムの研究は「神代(かみよ)時代」を過ごしてきたOBなどから見ると想像以上の発展だと半ば涙するはずです。
 「防衛庁」の「防衛省」昇格について、日本が同盟関係を結んでいる米国、友好関係にある英国、ドイツなどは、実に好意的です。同じ民主主義国家群に強力な同志ができたというマスコミの論調が多く見られます。また、北朝鮮を別とすれば、とかく日本の在り方に批判的な中国までもが、「日本で『防衛省』への昇格が実現したことについて「中日双方が関係改善に向けた情勢を保ち、各分野での交流と協力を進めることを望んでいる」と述べ、省昇格実現が、日中友好をさらに深める“力になる"との見方をしています。まさに以和為貴です。

4面へ
(ヘルプ)
Copyright (C) 2001-2008 Boueihome Shinbun Inc