防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース 防衛ホーム新聞社 防衛ホーム新聞社
   2004年8月15日号
1面 3面 6面 7面 8面 9面 11面 12面

<寄せ書き>
イラク派遣所感
第1次隊としてイラクに来て
3普連本部(名寄) 2陸尉  早崎智哉
 この度、第1次イラク復興支援群の一員として、イラクへ行ってきました。帰国後、様々な人々に「イラクはどうだった?」と聞かれます。率直な感想は、「驚きの連続だった」ということです。
 2月19日、名寄駐屯地で仲間に見送られながら、出発した時の気温はマイナス24度、まさに真冬でした。一方クウェートの気温は30度を超えており、真冬から真夏へ一気に季節を飛び越したという感じでした。ただ、日本の夏の暑さと違い、砂漠のせいか湿度が20パーセント以下ということで、それほど暑いとは感じませんでしたが。(もっとも、30度は序の口でどんどん暑くなっていったのですが…)また何より驚いたのは、初めて国境を越えイラクに入ったとき、沿道の子供が手を振ってくれたのですが、その子供が裸足で、手に持っていたペットボトルには泥水が入っていたことです。明らかに、その水を飲んでいるようでした。手を振ってくれているのはとてもうれしかったのですが、手にしている水を見て悲しくなった事を覚えています。それからサマーワの道すがら、イラクの人々に次々に手を振られたのは本当に嬉しかったし、期待の大きさを実感したものです。
 サマーワに到着し、その夜、想像以上に寒いのにも驚きました。昼間は30度近くなのにもかかわらず、夜は10度以下に冷え込み、テントの中のストーブをつけ、寝袋の上に毛布を掛けて寝ました。
 次の日から、宿営地の拡張工事が始まりました。拡張する前の土地は、まさに「荒れ地」で何もない「土漠」でしたが、日に日に砂利が敷かれ、囲いができ、みるみるうちに宿営地となっていくのを見て、「第1次隊として来て良かったなあ」としみじみ思ったものです。番匠群長は、「日々進化するサマーワ宿営地」と言っていました。まさにその通りで食堂ができ、風呂ができ、どんどんテントが建っていく光景はなかなか感動的ですらありました。私は、本部で勤務していたこともあり、それほど宿営地の外には頻繁に出られませんでしたが、何度かサマーワの小学校へお邪魔する際に同行したことがあります。子供は、やはりどこの国でも一緒で、笑顔がとても可愛く、また好奇心旺盛でデジカメで写真を撮って見せてあげると、とても喜んでいました。
 イラクでの任務を振り返ってみると、毎日が新鮮で、驚きの連続でした。あのような経験はなかなか出来るものではなく、すばらしい仲間と勤務できたことを誇りに思います。これからの勤務においても、イラクでの経験を生かして、日々の訓練、業務に生かしていき、機会がもしまた与えられたら、今度はもっとすばらしいくなったサマーワ宿営地で勤務してみたいと思っています。
イラク人道復興支援に参加して
3普連1中隊(名寄) 3陸曹 丸山悦弘
 1月16日から5月17日までの間、イラク人道復興支援に警備中隊警備陸曹として参加しました。先遣隊として日本国民に見送られ日本を出国。19日にイラク領内にはいりました。
 イラク領内に入ったときは、自衛官として任地に来られたんだという強い誇りと緊張感が入り混じりなんだか不思議な気持でした。そしてイラクの子供達が道路まで走ってきて手を振っていたり、靴を履いていない子供がたくさんいて、民家や周りの建物もボロボロで日本とは全然景色が違っていたのが印象に残っています。初めて宿営予定地を見たときは平坦で何もなく雨が降れば車の走行も歩行もやっとの状態で、ここに宿営地ができることが想像できませんでした。本隊到着に向けさっそく調整、情報収集および宿営地の作業に入り、時に暴風雨の中でも工事は着々と進み、忙しい毎日の連続でした。次第に本隊すべてがサマーワに到着し、人が増えると同時に任務も増え大変な時期もありましたが宿営地も大きくなり設備も整い、また日本のみなさんからの数多くの慰問品が届きとても励みになりました。そして生活環境にも慣れ毎日充実した日々を過ごすことができました。
 しかし、ここはイラクであり、いつ我々の身に危険が迫ってくるかわかりません。宿営地外で行動するときは、常に防弾チョッキ、武器、弾薬を身につけ常に警戒を怠らず細心の注意が必要でした。日本ではあじわうことのなかった緊張感の毎日でした。
 この経験を通して感じたことは、日々の訓練の大切さでした。そして任務を終え無事日本に帰国したときの喜びと達成感は今でも忘れません。何事もなくみんな元気で帰国できたのも日本の皆様方の支援、ご協力のおかげです。
 この4ヶ月間での貴重な経験をいかし、これからの自衛隊生活をがんばりたいと思います。

画像伝送装置取扱訓練
2混団特大 本管中隊 2陸曹  塩崎幸広
 5月11日、第2混成団特科大隊は松山駐屯地で、初動派遣隊偵察要員31名に画像伝送訓練を実施した。私は特科大隊第2係で指導部として本訓練に参加した。
 私がこの装置を見た4年前、まさか私が指導することになろうとは思ってもみなかった。「画像伝送装置」は一言でいうと、デジタルカメラの画像を、NTTの衛星電話回線を使って、団2科にあるパソコンに伝送する装置である。災害派遣の要請があった場合、災害の状況をいち早く伝達する任務を有する偵察班が使用することになる。その偵察要員が、この装置を使えるよう取扱操作要領の資料を作成した。
 たまに使わないと忘れてしまうので、まず付属品に番号を付け、配線コード等の結合を間違わないようにした。そして、写真を撮って一目で必要な付属品の結合場所が分かるようにした。操作要領も絵を取り込んで、分かりやすい資料を作成し、一人一人が操作要領に従い訓練を実施した。
 特に注意することは、衛星からの電波の強さを表示する受信レベルが不安定にならないようアンテナ・本体を衛星の方に指向すること、アンテナ・本体の前方には障害物がないようにすること、電池は常に新しいものを使用すること、などがある。衛星回線は、雲などで受信レベルが低くなりやすいので、特に注意する必要があることを強調した。本訓練において、資料を見ながらでも、画像伝送装置が使えるように全員の練度が向上したと思う。次は、画像をインターネットで送れる資料を作成したい。

息子の入隊式に思う
伊藤讓一2陸士の母 三重県 伊藤明美
 真っ青な空、桜の花びらが舞う中、久居で入隊式が始まりました。
 新しい制服に身を包んだ息子の姿を見て、今までのことが思い出されました。私達夫婦にとって待ちに待った初めての子供です。どれだけ長く見ていても、あきないほどの天使の笑顔に私達は心奪われました。幸福な反面心配もありました。よちよち歩きの頃は何度か40度近い熱を出してひきつけをおこし小学校5年生の時、学校の手すりから真っ逆さまに落ちて唇の下を何針か縫う事故もありました。息子が高校1年の冬に主人が52歳で脳内出血で右半身不随になった時はバイトの給料を家に2年近く入れてくれました。「悪いね」と私が言うと息子は「自分の学費を出しているだけや」と優しい言葉を返してくれました。そんな息子の言葉に涙を流し、たのもしく思えたものでした。
 進路を決めた時、「自衛隊に行く」と言った息子に内心びっくりしました。でも息子が決めたことだから何も言いません。なぜならこの世の中で一番愛している息子を信頼しているから、ただ影ながら見守っていようと思っています。
 私たちが心から願うのは、健康な身体があってこそ力の弱い人達を救えるから、知識があってこそ人を説得することが出来るから、何より一番に人としての優しさを持ってこそ「心の痛み」が判る人間になれるから。少しでもそんな人になってほしいと願っています。そんな事を思いながらの「入隊式」、もう私達の手もとから飛び立つ息子の姿を見た思いで涙があふれました。
 別々の人生を歩み出した息子に「今までありがとう」そしてこれからは多くの困っている人達のためになるよう訓練に励んでほしいと思います。苦しくて辛い事もたくさんあるだろうけど良き先輩方の言葉を聞いて一回りも二回りも大きく成長して下さい。

「頑張っています」 新しい職場
活躍するOB シリーズ
(株)新都市サービスセンター  山口 茂夫
山口氏は今年1月、第44警戒隊(峯岡山)を2空尉で定年退職。54歳
 私は、平成16年1月に定年退官となり、4月より叶V都市サービスセンターに就職して早2ヵ月半が経過しました。
 退官後の職種として運輸サービス業を希望しておりましたところ、この就職難の時代にもかかわらず援護室(木更津基地)の皆様のご尽力により、幸いにも自分の希望どおり現在の会社に就職することが出来ました。
 (株)新都市サービスセンターは、公営事業における水道、ガスメーター検針業務、上下水道、ガス料金徴収業務、その他各種料金徴収及び公営施設の管理など、人の労働力による業務処理、電算による大量事務処理等の分野を受託している会社で、私の配置先は房総スカイライン有料道路管理事務所(千葉県君津市)で道路管理員の仕事に従事しています。
 職場は、所長以下14名(男性11名、女性3名)の構成で、このうち自衛隊OB5名が勤務しており、男性の中で一番最年少の私の心強い味方となり、良きアドバイスを受けながら勤務しています。
 就職して月日が浅く、これから先が不安ですが、職場の皆さんに早く信頼されるよう努力すると共に「明るく楽しく」仕事ができるような雰囲気作りに頑張っているところです。
 最後に、まだまだ助言できるような立場ではありませんが、新たな職場で働くには、なによりも健康が第一、自分の体は自分で管理することに注意したいものです。
 景気の先行きが不安定に加えて、失業率増加の現在、これから定年を迎えられる方々にとっては、不安な毎日かとは思いますが、自衛隊で培った気力、体力、集団生活での協調性を生かし、何事にも積極的にチャレンジしていけば、必ず道は開けると私は信じています。

<話題の新刊>
参謀本部と陸軍大学校
星野耐著
 著者は防衛大10期、CGSを一発で合格した一選抜一佐の俊秀。米国国防省戦略情報課程に留学するとともに、陸幕・部隊(第2特科群長)で活躍するなど、優れた識見・経歴の持ち主であるが、「中途半端な妥協を許さない真摯な性格」「常に物事の本質を見極める鋭い感性」ゆえに、官僚的な視点では若干理解されないところもあり、特科群長離任後は人事的に些か恵まれない面もあった。
 が、その後、防衛研究所で、戦争史を徹底して研究する機会を得て、平成14年に「日本を滅ぼした国防方針」(文春新書)を、そしてこの3月には、「本書」をと、相次いで出版し、その成果を世に問うているところである。
 防研戦史室の膨大な資料・遺族からの資料収集等を通じた永年にわたる地道な研究と忌憚のない分析は、秀逸であり、特に本書は、週刊現代(5/22号で二宮清純氏評、7/31号で加藤陽子氏評)、月刊「現代」6月号(保阪正康氏評)、月刊「潮」6月号、産経新聞(7/25付)、等で次々と紹介されるとともに、首都圏のブックセンターでは、ベストセラーになるなど、一般の読者にも好評である。
 明治建軍からWWUに至るまでの軍事と組織、その基盤をなす人の教育について、本質を突いた鋭い内容は、現代社会においても示唆に富むものである。
 防衛庁創設50周年(旧陸軍の歴史の3分の2)を迎え、「本格侵攻対処からミサイル・テロ対処へのシフト」等、今後の防衛のあり方が検討されている今・現在、防衛関係者にも是非読んで頂きたい力作(\756と安価)である。(元陸自富士学校長・福田忠典 評)(講談社現代新書、756円)

11面へ
(ヘルプ)
Copyright (C) 2001-2008 Boueihome Shinbun Inc