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   2004年6月1日号
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「ホビーショー」に協力
自衛隊車両、写真パネルなど展示
子供たちにも大人気
<静岡地連>
小さな子供や若い女性にも大人気だった装備品展示
 静岡地連(部長・遠藤秀一1空佐)は5月13日から16日までの間、ツインメッセ静岡(同県模型教材協同組合主催)で開催された「静岡県ホビーショー」に協力、会場内オープンスペースで陸自装甲車等の展示を行なった。
 このイベントは毎年、プラモデルやラジコン等の展示即売会を行う見本市として知られており、自衛隊の参加は今回がはじめて。一般公開日に合わせて車両展示された15・16日は7万人の人出で賑わった。
 展示された装備品は現在、イラクで人員輸送を行っている96式装輪装甲車と、戦場機動を用途とする軽装甲機動車各1台。当日、2台は支援部隊である富士学校(静岡県駿東郡)から静岡市の会場まで車体を連ねて移動、沿道の市民の注目を集めながらの会場入りとなった。
 入り口広場の展示エリアには来場者の多くが見本市へと急ぐ足を止め、車内をのぞき込んだり、触れたり、隊員に質問したりとその珍しい戦車の展示に興味津々。特に子どもたちは、自分の背丈程もある大きなタイヤの迫力に圧倒されながらもポーズを決めて写真撮影するなど思いもよらない本物の戦車との対面を楽しんでいた。
 また、室内の展示コーナーではイラクでの給水・医療復興支援の様子が写真パネルにして紹介されたほか、ビデオ放映等を通じて自衛隊を多方面からPR。「ホビーショーに来て自衛隊を知る事が出来るなんて」と若者からの関心も集まっていた。

三位一体の援護を
地域担当者会同開く
<札幌地連>
 札幌地連(部長・寺田和典1佐)は5月13日、札幌駐屯地で平成16年度札幌地連管内地域援護担当者会同を開催した。本年度も昨年度に引き続き、三位一体の観点から、師団・団等各部隊、駐屯地援護担当者、(財)自衛隊援護協会札幌支部及び地連援護担当者を招致し、総勢106名の参加者となった。
 冒頭、地連部長から、15年度の援護・即応予備自業務成果、16年度の援護・即応業務を取り巻く環境、16年度重視すべき業務を踏まえ、各援護担当者に対し、@原点に立ち帰り目的意識をもった業務遂行A三位一体の連携の強化及び適宜の情報交換B焦点を定めた効率的・効果的な業務処理について、要望した。
 また、統括援護センター長・加藤2佐が、15年度業務の総括、16年度援護業務について説明するとともに、意見交換の場においては就職援護上の問題点、特に任期制隊員の援護希望率及び継続援護について、各駐屯地・部隊等の援護担当者から活発な意見が出され、援護業務の認識の統一を図った。

都城10隊員が戦没者慰霊祭に参加
 都城駐屯地(司令・川崎朗1佐)は4月6日、都島公園(旧陸軍墓地)での「都城市戦没者特攻慰霊祭」に司令以下10人が参加した。午前10時から満開に咲き誇る桜の木の下、駐屯地らっぱ隊(第3中隊・中山3曹以下5人)の「黙祷の譜」が吹奏される中、遺族、来賓、関係者ら約400人が参列し、しめやかに慰霊祭が行われた。
 奉賛会会長(岩橋都城市長)が「今の平和があるのは、今から59年前に20歳にも満たない若者達が、自分のことより両親・兄弟や祖国のためにと自らの尊い命を犠牲にして築いたものであり、この平和を恒久のものとするために努力することが犠牲になった人達への弔いであると同時に、子孫に語り継ぐことが残された者の役目である」と述べられると会場からはハンカチで目頭を押さえる人も見られ、自らも戦友を失ったことを思い出してか、しばし絶句される場面があった。
 献花の際、らっぱ隊の吹奏のもと司令は、亡くなった人に語りかけ時間を惜むようにゆっくりと菊の花を献花台に捧げた。詩吟では「特攻隊員をとむらう」と題し、参列者代表が特攻隊員のありし日の姿を切々と詩にした。また、献歌では亡き戦友と一緒に歌った「同期の桜」などを俺たちの声よ届け、そして安らかに眠れと言わんばかりに声を大にして歌っていた。
 式の最後には、熊本から参列した遺族代表の方が、亡くなった兄が郷里の上空を飛んでいく時の特攻機の別れの場面を話されると、会場内からはそれぞれの家族との別れの場面を自分と重ね合わせ、人目をはばかることなく、ぬぐってもぬぐっても流れる涙にハンカチを濡らし号泣する人達が見られた。
 慰霊祭が終了すると、また来年も元気にこの地で合おうと固い握手をする場面があちこちでみられ、桜の花が「今年もありがとう」とまるで合祀されている人々の言葉を代弁するかのようにそよ風に舞っていた。

教官(少工校)採用試験のお知らせ
 陸上自衛隊では、次のとおり防衛庁教官の採用試験(防衛庁職員採用U種試験(大学卒業程度)相当)を行います。
 〈採用予定先、試験区分及び採用予定数〉▽陸上自衛隊少年工科学校(神奈川県横須賀市御幸浜2番1号)▽数学1名
 〈応募資格〉昭和50年4月2日から昭和58年4月1日までに生まれた者で、高等学校教諭一種免許(数学)以上を有する者又は昭和58年4月2日以降生まれの者で平成17年3月までに取得見込みの者
 〈受付期間〉5月12日(水)から7月2日(金)まで
 〈試験日〉▽第1次試験 7月18日(日)▽第2次試験 9月14日(火)〜9月17日(金)の間のいずれかの日
 〈試験地〉神奈川県横須賀市
 〈合格発表〉▽第1次試験合格者 8月20日(金)▽最終合格 10月中旬
 〈その他〉受験案内は、〒162-0845 東京都新宿区市谷本村町5番1号「防衛庁陸上幕僚監部人事部補任課職員人事管理室」(電話03-3268-3111内線40282〜40284)まで、160円切手をはったあて先明記の返信用封筒(角形2号:長さ33.2p×幅24p)を同封して請求してください。

空自 技官採用試験のお知らせ
 航空自衛隊では、次のとおり防衛庁技官(研究職)の採用試験(U種試験(大学卒業程度)相当)を行います。
 〈採用予定先、試験区分及び採用予定数〉(1)航空自衛隊航空安全管理隊(東京都立川市)▽心理:1名(2)航空自衛隊航空医学実験隊(東京都立川市)▽薬学:1名▽化学:1名
 〈応募資格〉(1)昭和50年4月2日から昭和58年4月1日までに生まれた者(2)昭和58年4月2日以降生まれた者で、学校教育法に規定する大学、短期大学又は高等専門学校を卒業した者及び平成17年3月までに卒業する見込みの者
 〈採用予定時期〉平成17年4月1日
 〈受付期間〉5月14日(金)〜7月5日(金)
 〈試験日〉▽第1次試験=7月18日(日)▽第2次試験=8月下旬のうち指定する1日
 〈試験場所〉航空自衛隊立川分屯基地
 〈合格者の発表〉▽第1次試験=8月10日(火)▽最終合格=10月上旬
 ※受験案内は、〒190-0003 東京都立川市栄町1丁目2番地10「航空自衛隊 第1補給処立川支処 総務課 人事班」(電話042-524-4131 内線275)まで、160円切手をはった、あて先を明記した返信用封筒(角形2号:長さ33.2p×幅24p)を同封して下さい。

<論陣>
許せぬ社会的責任
三菱ふそうトラック・バス
 神奈川県警と横浜地検は、いま、三菱自動車工業(昨年1月に三菱ふそうトラック・バスを分社)前会長の宇佐美隆(63)容疑者ら同社元幹部、現幹部ら7人を横浜市内で発生した大型車のタイヤ脱落事故で母子3人死傷事故にからむ虚偽報告などの疑いで送検、厳しく取調べている。報道だと会社側はタイヤが脱輪する設計、製造上の欠陥を事前に十分承知していながら運輸省(国土交通省)の数度の問い合わせに対しては「整備不良である」とのウソの報告をし続けていた。その報告についても単に第一線の技術者の報告ではなく、宇佐美元会長ら三菱ふそうトラックの最高幹部が、何回も本社に極秘裏に集まって「整備不良にしてしまう」ことを決定、会議に関する証拠を隠滅してしまった。実に悪質な事件である。
 逮捕された幹部は、その罪のほとんどを否認しているという。口裏合わせも徹底している。だが、会議に出席したが逮捕されていない中堅幹部たちは、神奈川県警、横浜地検の取調官に「すべてを話している」うえ、証拠も提出しているという。警察や検察の捜査についてとかく批判する人がいるが、実際の取調べは、そんな甘いものではない。特に知能犯罪を担当する係官の調査、取り調べ、裏付けは実に細かく鋭い。会計帳簿の一行の旅費から行き先、人数、会議の内容などを見事に割り出していく。ましてや、大幹部達が同一日に本社に同時間に参集したなどは、配車伝票数枚と運転手の証言があれば済む。会議の内容などを聞き出すのは、容疑者を別々の部屋に座らせ、4、5日もあれば簡単である。殺人や強盗犯を調べるときのように怒鳴る必要も、机をひっくり返すこともいらない。知能犯罪担当者は「静かで、怖い調べ官たち」なのである。
 話は変わるが、三菱の犯罪に手が付けられてよかったと思う。元々、三菱グループは"親方日の丸"的な商法で育ってきた。あるときはエネルギーを半独占、鉄、化学、造船、重工を核に「国策会社」の顔をし続けてきた。戦後になっても、その体質はそう変わらなかった。一時、三菱マンたちは「三菱銀行を中心に三菱グループだけで金を回していれば世の中が不景気になっても心配ない。国などは報告やお願いしだいでどうにでもなる。それが三菱の歴史と伝統だよ」と豪語していた。
 こんどの大型車のタイヤ脱輪事故、そして歩道を歩いていた母子3人が死傷した横浜のトラックタイヤ脱輪事故でも"国なんてどうにでもなる"とのおごり切った感覚が表面に現れてきたものだろう。中国地方でバスのタイヤ脱輪が問題になったとき、第一線の技術者から「設計上に問題があるのでは?」との上申が出されたが、このときも「整備不良」で片付け、役所への報告もウソが続いた。その時の幹部は「大型車のタイヤ取付部に欠陥がある」ことを知っていたのである。「国なんて報告しとけば、ウソでもなんでも、なんとかなる」意識が社の幹部の頭を支配していたと思われる。
 別に当時の大臣を誉める気はないが、私がかつて12年間も防衛記者会に在籍していたそのころ、山中貞則氏が防衛庁長官に就任した。山中氏が着任してひと月経っても三菱重工の幹部があいさつに来ない。あいさつに来るべきかどうかは別として、怒った山中氏は戦車発注書に印を押さなかった。「そうすればくる」と踏んだのだろう。ところが三菱重工は一切、梨のツブテ。あとからきくと、重工幹部は社内で「戦車の納入が遅れて困るのは防衛庁側だ。別に新長官に気嫌をとりに行くことはない」とうそぶいていたという。困るのは国のほうだ。国なんて報告しておけばいい。考え方はあまり変わらないようである。
 一度、防衛産業の工場を視に行くといい。そこには、かならず、防衛庁関係から派遣されている"連絡官"という名の"監督官"が常駐している。かれらは、実に細かい点まで目配りして働いている。ところが、少し駐在年数が長くなると態度が変化してくる。気配りやサービスのためか変な"威張り"が身に付いてくる。お付きの会社の人もそうだ。国策的な特権意識が"三菱的感覚"を育むのかも知れない。

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