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   2004年5月15日号
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「鳥インフルエンザ」防疫業務
7普連本管中隊長 1陸尉  弥栄正志
 3月4日早朝、「本部管理中隊長は、防疫作業隊長となり京都府丹波町で発生した高病原性烏インフルエンザウイルスに対する防疫業務を実施せよ」の命令を受けた私は、ただちに部下隊員に必要な事項を指示し2時間後には現地に移動する車内にいた。
 ここまでは「常日頃よりの訓練成果(初動派遣態勢)は十分に機能している」と部下隊員の出発準備の手際の良さに自己満足する余裕さえあった。
 丹波町に到着するや現地の府職員と各指揮官をともない第一発生現場である養鶏場を偵察、状況確認に行く。そこは一つの鶏舎に約3万羽の鶏がいてこのような鶏舎が、10棟あると言う話を聞きながら一つ目の鶏舎に一歩足を踏み入れると同時に先ほどまでの余裕は消し飛んでいた。
 そこには、死んだ鶏と未回収の卵、その下には身丈以上に積もった鶏糞だけである、まるで時間の止まった世界かのように動くものはなにもない。鶏はすでに腐敗がすすんでいるものもあり、マスク漉しにも強烈な異臭が漂っている。
 余裕はなくなっていたもののこの時点で「ここでの消毒活動、これは厳しい作業になるな」と気を新たに引き締めるとともに「この被害をこれ以上拡散させてはいけない、我々の手で阻止しなければいけない」という決意に燃えていた。
 その日の午後より、隊員は白の防護服・マスク・ゴーグル・二重の手袋・長靴姿となり消毒作業を開始したが予想通り厳しい作業となった。屋根裏に撒く消毒液が鶏舎の汚れとともに身体中に落ち、ゴーグルが曇り視界が狭くなり、マスクも濡れて息苦しく、防護服での作業は汗だく状態、ウイルス感染から自分自身を守るためにそれらをはずすことはできないから作業間の小休止であっても喫煙も出来ない状態であった。
 それぞれの小隊を2区分し4時間交代の体制にしたが、交代後に感染地区から出るのに完璧なまでの個人消毒を実施するため宿舎に帰隊するまで1時問を要し、その後食事をとり、資材準備をするなどしていると実質の休息は1時間もなく隊員は休む問もなく、作業に従事する状況であった。
 3月4日から9日まで平均すると、朝6時から夜の20時までの勤務であったが、こんな状況下にあって、各隊員一人一人がこの防疫業務に参加できた誇りと、必ず任務を達成できるという自信を持ち、いつも以上に輝いた目で与えられた任務を黙々と遂行していた姿を見て、頼もしく思うとともに自衛隊における常日頃の訓練の重要性を再認識させられた次第である。
 3月7日から師団主力の災害派遣隊との連携により、作業は一挙に進み事態は終息にむかい、9日には丹波地区における防疫作業隊としての任務を完遂し、各駐屯地に帰隊した。約6日間における防疫作業の成果は、農場出入口の消毒活動で2,650名、車両273両、養鶏場内消毒面積95,400平方メートルであった。
 今、日々の訓練に追われその時の事を思い起こしても、何をどのようにやったかなどほとんど覚えていないが、鮮明に残るのは帰隊
車両を見送ってくれた地域の方々の「ありがとう」の言葉と、それに手を振り答える隊員一人一人の任務を達成した者だけが知る満足感ある笑顔だけである。

自殺予防Q&A
どうして男性に自殺が多いのか?
相談し、負担を軽くして
防衛医学研究センター  高橋 祥友
<第2回>
 警察庁の発表によると、1988年から1997年までの10年間には、日本の自殺者数は年平均22,410人だった。
 ところが、1998年にはその数が一挙に1万人以上増えて、32,863人となった。この数は交通事故死者数の3倍以上にのぼる。それ以後、年間自殺者3万人台が続き、特に働き盛りの男性の自殺が増えたことが深刻な社会問題になっている。
 世界のほとんどの国では、自殺者は女性よりも圧倒的に男性が多い。わが国でも男性の自殺者数は女性の約2.5倍である。
 前回のコラムで自殺の背後にはしばしばうつ病をはじめとするこころの病が見逃されていることを指摘した。
 うつ病は「こころの風邪」などと呼ばれるように、けっしてめずらしい病気ではない。しかし、今ではうつ病に対して効果的な治療法がある。怖いのはうつ病になったことではなく、それに気づかずに放置しておくことなのだ。
 さて、うつ病になる率は女性の方が男性よりも約2倍も高い。それなのに、なぜ、自殺は男性に多いのだろうか?
 これには生物学的背景と社会的な背景から説明できるだろう。生物学的に、男性の方が衝動性をコントロールする力が弱く、自殺を図ろうとするときに、より危険な方法を用いる傾向が強い。
 また、これ以上に、社会的な制約も大きい。
 問題を抱えた時に女性の方がはるかに柔軟な態度を取ることができるようだ。問題を言葉に出して表現したり、他者に助けを求めることに抵抗が少ない。まるで女性は、強い風が吹いてきても柳の枝のようにしなやかに対応できるように思われる。
 それに比べると、男性は「人に相談しても仕方がない」「弱音を吐けない」「自分で解決するしかない」といった「男は強くなければならない」という刷り込みが強すぎる。
 男性は老大木にたとえることもできるのではないだろうか。最後の最後まで、強風に一人で立ち向かい、頑張り抜いたあげく、幹の真ん中からボッキリと折れてしまう。そんな強さと弱さを兼ね備えている。
 そこで、とくに男性に呼びかけたい。手遅れにならないうちに、ぜひ相談してほしい。すぐに精神科に受診することには抵抗があるかもしれない。それならば、まず友人に悩みを聞いてもらうのでもよい。ひとりで悩み苦しんでいるよりはずっと負担が軽くなるはずだ。

彰古館 往来
陸自三宿駐屯地・衛生学校
手術用自動車
〈シリーズ28〉
 陸軍は大正12年(1923)の関東大震災で、用賀の衛生材料廠を焼失し、救護活動に必要な資材の全てを失いました。第一師団長が戦用資材である野戦医きゅうを独断で開封し、民間への救助活動が開始されます。
 東京全域に及ぶ火災が鎮火すると、患者の収容場所が問題になります。当時、靖国神社の北側(現在の法政大学)に位置した陸軍軍医学校では、医療チームを臨時編成すると共に、応急的に一般市民の外来診療と収容を行います。
 この際にフランス赤十字から送られたのが、第一次世界大戦の教訓を元に開発された、7台の衛生車両からなる野戦衛生自動車班です。その中には手術車と呼ばれた2両の大型車両がありました。陸軍はこの車輌をお手本に、車輌による病院システムの開発をすることになります。
 これは、本格的な手術が出来る手術室を前線に近い戦地で開設し、移動もできる病院です。昭和6年(1931)に完成した車両は、国産のちよだ特殊車台に、手術室のユニットを組み込んだものです。「手術用自動車」と呼ばれたこのシステムは甲車・乙車の2両から構成され、それぞれ車両の側板を開いて結合すると手術室になるというもので、展開した手術室の広さは約28uあります。近代的な手術台を装備し、滅菌装置や給湯設備もあります。ここでの手術は全身麻酔を施す大掛かりなものから、一般的な手術まで一通り行われており、普通の定地病院と同等の処置が戦地で出来ます。このシステムは、折から勃発した満州事変においてい戦地での運用を開始したのです。
 その後、車両の老朽化から、車台を新しいいすヾPCAに変更し、戦地での教訓を元にマイナーチェンジがされました。PCAは当時の陸軍制式車輌の中でも、最も大型のものです。これが大東亜戦争にいたるまでの期間使用されたのです。
 まさに、現在の医療最前線にも通ずる第一線での治療に不可欠なのが、この手術自動車でした。
 残念ながら手術用自動車は大東亜戦争中に消耗し現存しておりませんが、彰古館には製造会社に対する仕様書、運用試験の計画・報告書、展開手順を示す写真と取扱説明書の案などが残されています。

教官(少工校)採用試験のお知らせ
 陸上自衛隊では、次のとおり防衛庁教官の採用試験(防衛庁職員採用U種試験(大学卒業程度)相当)を行います。
 〈採用予定先、試験区分及び採用予定数〉▽陸上自衛隊少年工科学校(神奈川県横須賀市御幸浜2番1号)▽数学1名
 〈応募資格〉昭和50年4月2日から昭和58年4月1日までに生まれた者で、高等学校教諭一種免許(数学)以上を有する者又は昭和58年4月2日以降生まれの者で平成17年3月までに取得見込みの者
 〈受付期間〉5月12日(水)から7月2日(金)まで
 〈試験日〉▽第1次試験 7月18日(日)▽第2次試験 9月14日(火)〜9月17日(金)の間のいずれかの日
 〈試験地〉神奈川県横須賀市
 〈合格発表〉▽第1次試験合格者 8月20日(金)▽最終合格 10月中旬
 〈その他〉受験案内は、〒162-0845 東京都新宿区市谷本村町5番1号「防衛庁陸上幕僚監部人事部補任課職員人事管理室」(電話03-3268-3111内線40282〜40284)まで、160円切手をはったあて先明記の返信用封筒(角形2号:長さ33.2p×幅24p)を同封して請求してください。

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