防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース 防衛ホーム新聞社 防衛ホーム新聞社
   2004年1月1日号
 1面 2面 3面 6面 8面 9面 11面 12面

「2式大型飛行艇」譲渡式
石破長官に曽野会長から目録贈呈
 大柄でスリムな彼女は1942年生まれ。米軍のコードネームはエミリー。日本の航空造船技術を集約し航続距離7,200キロ。最高速453キロ。離水距離295メートル。1940年12月、最初の試作機が産声を上げて以来、旧日本海軍に採用され、偵察、輸送、索敵、哨戒、さらに特攻作戦の誘導任務も遂行した。この飛行艇の名は「錦」ならぬ「2式」。皇紀2602年の下2桁からこの名がついた。世界最高水準の性能を誇ったお転婆が、62年ぶりに生みの親のもとへ里帰りする。
 「大空を飛ぶ夢、そして『2式』の人間的な技術は永久です」――曽野綾子会長の言葉と参列者の拍手が飛行艇に贈られ、石破長官に目録が手渡しされた。四半世紀の間、東京お台場「船の科学館」の看板娘として活躍した「2式大型飛行艇」が、鹿児島県鹿屋市の自衛隊航空基地へ移管されることになり、12月17日の午後、同飛行艇前で譲渡式が行われた。
 寄贈をうけて防衛庁からは石破茂防衛庁長官、道家一成海上幕僚副長などが出席し、日本財団からは曽野綾子会長、神山榮一館長らが参列。また香川県「宅間航空隊飛行艇隊の会」から当時のクルー8名が来場し唯一現存の同機に昔日を重ね合わせた。
 13時45分。海自横須賀音楽隊の演奏で開式し、記念撮影の後に譲渡式が始まった。「温かく最後最大の礼で親元へ送り返す」と、まずは主催者・曽野会長が挨拶。海に囲まれた日本の最高の頭脳、技術の結晶にアメリカも驚いた史実を話し、絶えず海から謙虚に知り得た技術力を誇るとともに、「人間と同じ様に自然に老いていった」飛行艇が、今後も多くの若者に戦いと平和の歴史を教えることを
願った。
 目録贈呈に続き、防衛庁からは石破長官が挨拶。「1式陸攻とともに少年時代からのあこがれと、同時に戦争の悲しさを伝える非常にシンボリックな飛行機」である「2式」を、生みの親の海軍を引き継ぐ防衛庁・自衛隊が迎え入れることを光栄とし、また弟分のUS-1やその他の僚機とともに鹿屋で手厚く保存公開し、隊員教育と防衛理解のために活用したいと述べ、関係者に表敬した。
 式典終了後は記者懇談会が開かれ、「2式」の説明と併せて、大陸棚調査やカンボジアでの小学校建設プロジェクトなど財団のブリーフィングが行われた。
大型・スリム・高性能
「2式」は離着水の揚力を高めるための親子式フラップや箱型骨組みの翼など、当時の最新技術を取り入れた名飛行艇。大戦では抜群の航続距離を生かし制空権を失うまで大活躍した。
孤高の62年、いま里婦り
 終戦後すぐに保存状態のいい当機を米国が輸送。性能、構造を調査し、その高性能を賞賛した。
 1979年に米国下院の可決を経て初の帰国戦利品となった。
 本格的な復元作業の後1980年、船の科学館敷地内に据え付けられ、一般公開されてきた。2年前から永久保存先について検討され、機体の整備を受けながら一般公開が可能な海上自衛隊・鹿屋航空基地資料館に移管するのが最善と結論。半年前に今回の譲渡が決まった。海自航空の歴史を直接見ることができる鹿屋航空基地資料館に同僚機と共に展示されることは歴史的にも保存の観点からも意義が大きい。
 鹿屋へ移管後は航空のプロが手厚いメンテナンスで世界航空史上に残る大型飛行艇を永久保存。5月から再び一般公開される。

自衛隊東京音楽まつり開催
応募締切は2月16日〈東京地連〉
 東京地方連絡部協力団体による「自衛隊東京音楽まつり〜集え、若人!響け未来へ!〜」を開催します。概要、申込要領は次のとおりです。
 〈日時〉3月6日(土)午後3時〜午後5時40分
 〈会場〉日比谷公会堂(東京都千代田区日比谷公園1-3)
 〈出演〉陸自第1音楽隊、第1施設大隊(朝霞振武太鼓)、第1普通科連隊(災害派遣シミュレーション)自衛隊体育学校(演舞「究極の武道空手」)、ゲストバンド等
 〈申込要領〉
 ◎代表者の住所・電話番号・氏名・年齢・性別・職業(学校名)・同行者の氏名・年齢・職業・住所を明記の上、「往復はがき」で左記宛てご応募ください。抽選の上、無料でご招待いたします。〒162-0845東京都新宿区市谷本村町5-2自衛隊東京地方連絡部広報室 東京音楽まつりT係
 ◎当選はがき1枚で2名様までご入場できます。
 ◎2月16日(月)必着
 ◎お問い合わせ 電話03・5228・7833 東京地連広報室
陸自東京地連ホームページでも応募を受け付けています。

石破長官はじめ高級幹部も出席
市ヶ谷記者クラブ忘年会
 恒例の「防衛庁市ヶ谷記者クラブ忘年会」が12月15日、グランドヒル市ヶ谷・東瑠璃の間で開催された。石破茂防衛庁長官、中島啓雄政務官、石川亨統幕議長をはじめ、陸海空各幕僚長、内局・各幕の高級幹部、機関の長や関係者ら多数が出席した。
 招待を受けた関係者が18時の開会に合わせて集まった。防衛庁・自衛隊の幹部が一堂に会す、年に一度の大きな懇親会と合って、絶好の交流の場となった。終始くつろいだ進行の立食パーティーで、これといったセレモニーのないのが特徴。互いの親睦を深めた。
 ころあいを見て幹事社である防衛ホーム新聞社の塩田愛子記者の司会で、壇上に上がった中嶋啓雄政務官が挨拶したあと、参加者は引き続き各テーブルを回りながら歓談。和やかに談笑し記念撮影が自由に行われた。
 スケジュールの都合で会の途中に到着した石破防衛庁長官を参加者全員が拍手で迎えた。壇上から石破長官は、「正月は久しぶりに休みがとれそうなので、いただいた部内紙誌に目を通そうと思う」「来年は、開かれた議論ができる新年を」と挨拶。再び乾杯となった。長官は会終了までクラブ会員と楽しく歓談、記念写真にも気さくに応じていた。

銃剣道一直線
親子二代で
<普通科教導連隊>
 普通料教導連隊銃剣道練成隊の監督・大橋雅博准尉は、平成12年と今年の全日本銃剣道大会で優勝、平成13年の全国銃剣道寺井大会で優勝。わかしゃち国体記念事業青少年銃剣道大会三連覇など数々の全国大会・国体に監督として指揮を執り活躍している。現役選手時代には昭和58年、全国大会の個人戦で準優勝したほか、国体の県代表など数々の大会で活躍した。そんな父をもつ衛君は、現在静岡の誠恵高1年生。
 銃剣道を始めたきっかけは2年前、中学2年生のとき。選手層が薄い少年男子を地元国体で優勝させるため、父の大橋准尉が部活に入っていない衛君を説得。連隊の隊員と一緒に鍛え込んだ。負けん気が強く我慢強い性格で実力を伸ばしてきた。
 衛君は中3の時、静岡県民スポーツ祭で優勝。昨年の国体予選で勝ち抜き、静岡国体銃剣道競技少年男子の先鋒として見事に代表入りを果たした。
 また、大橋准尉は同競技の総監督として出場を決め、親子で国体銃剣道の初優勝に闘志を燃やしている。
 衛君は今後の夢として自衛隊入隊を希望しており、将来が期待される。

「攻める」気持ちで新年を
東京地連餅つき大会
力強く初杵・初臼
部員350名が集合、記念撮影
 「本年もよろしくお願い申し上げます。東京地連一同」。記念撮影の横断幕がセットされた前庭に、部員350名が集合した。恒例の朝礼も12月19日で年末朝礼となる。午前9時からの国旗掲揚に続き、年の瀬に功績のあった団体・個人に表彰状の授与が行われた。
 初杵・初臼を前に、まずは「しっかり餅を叩き、古い年の鬱憤を晴らして、新年を迎えてほしい」。部長・用田和仁陸将補から年末訓示があった。今年度も頑張った部員全員に対し「障害を見たら喜んで進み」「攻める」気持ちを忘れずに、「相手の障害か、自分の心の障害か見極める」ことを力説。「内なる障害ならそれを壊して、来年も進みつづけて欲しい」と述べた。「地連の象徴である東京地連」に、率先した「努力集中」を呼びかけた。
 地連本部と市ヶ谷防衛庁の電波塔を背景に集合写真の撮影が行われ、準備の後に10時30分、初杵が振り下ろされた。
 東京地連、名物の餅つきには名物男・広報部の須賀1曹が司会進行と太鼓で景気をつけ、大きな掛け声とともに部員・関係者が力強く餅をついた。部長が筆頭で杵を振り上げると、臼を中心に輪となって参加者が集まり、交代で餅をついた。つきたての温かい餅を頬張って鋭気を養い、決意あらたに新年を迎える。(入船浩之)

8面へ
(ヘルプ)
Copyright (C) 2001-2008 Boueihome Shinbun Inc