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自衛隊ニュース   1023号 (2020年3月15日発行)
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活躍する自衛官

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基本降下課程修了式
96名の空挺隊員が誕生
<第1空挺団>
 3月4日、陸上自衛隊第1空挺団(団長・戒田重雄陸将補=習志野)は、第319期基本降下課程修了式(執行者‥空挺教育隊隊長・中村英昭1陸佐)を執り行った。式には空挺同志会の直海康寛会長らを来賓として迎え、96名の晴れの日を祝った。
 陸上自衛隊唯一の落下傘部隊であり、「精鋭無比」を指標とする精強部隊に憧れて全国から集まった隊員たち。高い条件が設定された体力測定や身体検査等をクリアした訓練生は、1月23日に門戸を叩くと、3月4日まで厳しい訓練によって落下傘降下に関わる基礎を身につけていった。履修中には高度340mから時速約210kmの航空機で飛び降りる訓練を5回こなさなければならない。それも約60kgの荷物を背負って。それまで座学や訓練でどれだけ準備しても、躊躇する訓練生はいるという。中村教育隊長は式辞の中で、「航空機から飛び出すという非日常的な事が、志と努力によって出来るという事が身に染みてわかったと思う。今後も様々な経験をすると思うが、志と努力で何でもできる」と約5週間の濃密な訓練を経て、ついに空挺徽章を胸にした隊員たちを激励した。
 「小学校の時に窓から無数の落下傘降下を見てかっこいいと思った」のがきっかけで自衛官を志した橋場麗奈3陸曹(自衛隊体育学校・第2教育課ラグビー班)は初めての女性修了生だ。平成21年に東北方面衛生隊入隊した時は、まだ空挺団の配置制限はあったものの、先輩隊員から「いつか道は開ける」と言われその時を信じて待っていたという。平成29年4月、ついに配置制限は撤廃されたが、もちろん空挺隊員になるための条件は男性隊員と全く同じだ。「体力面では非常に苦労した」という橋場3陸曹も自他共に認める「根性」で困難を乗り切った。「私の姿を見て志願してくる隊員もいると思います。行動や言動に恥じないように、しっかりと後輩隊員が来やすい環境になれるように精進していきたい」と抱負を語ってくれた。
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第1輸送航空隊飛行群 !
<小牧>
輸送機・空中給油機を操る両飛行隊長インタビュー
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第401飛行隊長 樋口美登里2空佐

-隊長にご就任されてのご感想は?
 私は、元々操縦士の資格をとって初めて勤務した飛行隊がここ401飛行隊でした。言わば、操縦士として又自衛官としての自分を育ててくれた飛行隊、その飛行隊の隊長としての任を拝命したことは、非常に光栄であるとともに、ひときわ感慨深いものを感じています。同時に第一線の作戦部隊を率いる指揮官として身の引き締まる思いです。

-統率方針等をお聞かせ下さい。
 「誇りを持て」です。第401飛行隊は、C-130H型航空機を擁し、人員200名を超す大所帯の編成単位部隊です。様々な年齢、出身、価値観の隊員から成り立っています。特に最近の若者については、世間一般でも言われている通り、多様な価値観を持っています。平たく言えば、皆バラバラになりやすいんです。でも実力集団である自衛隊、その最前線の飛行隊に求められる「もの」は今も昔も変わっていません。それは団結です。団結をもって一途の方針の下、皆が一丸となって任務を完遂するという事です。
 そのための核心となる価値観、それが「誇り」であると思うんです。「誇り」という共通の価値観のもと皆が団結し、飛行隊へ所属する誇りを、強い帰属意識をもって任務に臨んで欲しいと思っています。

-ずっとC-130H育ちという事でしたが、パイロットとしての思い等あればお聞かせ下さい。
 C-130Hは、初期設計が1951年という非常に古い飛行機です。しかし、それゆえに乗りこなすのは難しさもありますが、ジェット機とは違う非常に面白い飛行機だと思います。C-130Hは、強いトルクのプロペラを4基持ち、腕だけでなく脚も適切に使わないと安定して飛ばせません。操縦もふらふらしてはいけないんです。
 そのことは世界各国でいまだC-130が運用され続けていることが証明しています。実際、最近では一昨年に401飛行隊が実施したインドネシアにおける国際緊急援助活動においても諸外国軍の主力はC-130でした。今般の豪森林火災に伴う任務においても航空自衛隊は401飛行隊のC-130を派遣しました。
 これまでの歴史を振り返ってみると、平成2年のカンボジアPKOから401飛行隊の国外運航の歴史が始まりましたが、まさに401飛行隊の歴史は、これすなわちこの30年の空自の国外運航の歴史であり、空自の国際貢献を一手に引き受けてきたことを誇りに感じています。今後もあらゆる行動任務に対応できるよう、隊長として、また一人のパイロットとしても技量を磨き精強な飛行隊育成に尽力する所存です。

-隊長として、成し遂げたいことはなんですか。
 いろいろありますが、目に見える形として、地上安全褒賞の受賞、この一点に尽きる思いです。飛行安全褒賞は飛行部隊として正面の戦いですので、今後も淡々と、継続してまいります。地上安全褒賞は平成25年以降受賞できておらず、今は、地上安全!地上安全!地上安全!一にも二にも地上安全です。これから無事故を継続すれば、私の任期中にもらえる可能性があるので、隊員一丸となって高い安全意識を持って、地上安全褒賞を401飛行隊隊員全員で勝ち取りたい。必ず達成します。

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第404飛行隊長 壹岐香里1空佐

-隊長に就任されて3月で2年になりますが、ご感想等聞かせて下さい。
 正直、あっという間の2年間であったというのが正直な印象です。隊長としての重責を常に毎日意識する日々ではありましたが、同時に今、隊長として2年間やって来れたことに深い達成感を感じています。
 404飛行隊は、KC-767の保有機数が4機と少ないのと、C-130Hと違って航法士や航空機関士がいらない、或いは整備方式が違う等の理由から小規模な部隊です。少人数な分、隊員と直に接する機会が多く家族的な雰囲気の飛行隊かなと思っています。それゆえ隊員を掌握しやすいという利点はあるのですが、その反面、隊長としては自身の行動が常に見られているという緊張感があり、日々気を引き締めてこの2年間勤務してきたというのが正直な感想でしょうか…。

-統率方針等をお聞かせ下さい。
 「前進」です。ご承知の通り、KC-767空中給油・輸送機は、わが国で初めて404飛行隊に導入されたわけですが、それからまだ10年しか経っていません。実は、私はその10年前、一飛行班員として404飛行隊の立ち上げに悪戦苦闘したパイロットの一人です。当時は空中給油に関するノウハウが殆ど無い中、時に失敗もし、常に最適な運用を模索し、前に進むことで活路を見出してきました。KC-46という新しい空中給油機の導入も決まっている中、また航空自衛隊全体として宇宙・サイバー・電磁波分野等に対応を迫られる中、「前進」、すなわち活路を切り開くという精神は、この変化の激しい時代には不可欠であると考え指導方針としています。隊員皆がこの精神を胸に一致団結・協力してあらゆる変化に対応し前進していって欲しいといつも思いを強くしています。

-飛行隊長としての勤務を振り返り、これは楽しかったといった思い出があれば教えてください。
 印象に残っているエピソードを一つ紹介すると、私は上級幹部が履修する指揮幕僚課程を卒業しているのですが、この課程は自衛隊のあらゆる職種の幹部が一堂に東京の目黒基地に集い教育を受けます。その中には多くの戦闘機パイロットの同期がいたのですが、卒業の時に冗談で「See you in the SKY!(次は空で会いましょう!)」。といって別れたのですが、その後、某戦闘機パイロットと本当に空で再会しました! つまり、私が操縦するKC-767から彼が操縦するF-15に給油することがあったんです。この時は何とも言えない満足感と、何故か幸福感を感じたのを覚えています。

-これまで飛行隊長の勤務を振り、やり遂げたこととかあれば教えてください。
 この2年間はあっという間でしたが、やり遂げたというか、これだけは貫いたということは、404飛行隊が与えられた任務を淡々と実施する信頼される部隊にしたいと思ってやってきました。これまでが実施できていなかったというわけではなく、いまだ運用要領を試行錯誤している中、総隊の任務に直結している我々がゲームチェンジャーの役割を担って行動するには、皆がその意義を理解しプライドを持って実直に淡々と実施できるようにしたいと目標を掲げていました。部隊にいると行動そのものしか目に映らず、行動の大きなピクチャーを描きにくくなりがちですので、任務内容や状況を説明し我々の役割の重要性を理解させた上で、フライトに臨んでもらいました。自分が飛行班員だった頃はただ飛ぶことに精一杯で任務そのものを理解していなかった記憶もあり、私はそれを伝えて訓練も任務も皆が淡々と実施できるようにと思っていました。朝から晩までの8時間にわたる長時間フライトが多い任務特性上、皆と顔を合わせる機会も難しくなることもあり、クルーが出かける前とフライト後に、直接顔を見て、状況を確認するようにしていました。話しているうちに思いがけない個人的なこぼれ話を聞くこともできて、皆の頼もしさや個人的特徴を感じられる機会となったので、週末、人と話す機会が少ない自分としては、平日は毎日口が痛くなるほどでしたが、充実していました。404飛行隊は、ほぼ毎日、ナイトフライトの計画があり、拘束時間の長い部隊であります。自分に魔法をかけ、みんなに魔法をかけ、忍耐強く精強な部隊を目指した2年間でした。


「女性初」という冠
 自衛隊が発足したのが昭和29年(1954)、この時の婦人自衛官は看護職域のみ(保安庁時代の昭和27年より女性の看護職域の採用は行われていた)だった。昭和33年(1958)に陸上自衛隊看護学生の採用開始、一般職域の婦人自衛官が誕生したのが昭和42年(1967)で、陸上自衛隊婦人自衛官制度発足となった。昭和49年(1974)には海上自衛隊及び航空自衛隊の一般職域での婦人自衛官の採用が開始された。そして平成4年(1992)、防衛大学校に女性が入校した。
 平成5年(1993)以前は、直接戦闘職域・戦闘部隊を直接支援する職域及び肉体的負荷の大きい職域には婦人自衛官を配置しないこととしていたが、婦人自衛官の配置制限の見直しをした結果、自衛隊のすべての職域を婦人自衛官に解放すると決定した。ただし、母性の保護、男女間のプライバシーの保護等を総合的に勘案し、一部の配置については制限を設けた。(普通科中隊・戦車中隊・偵察隊・化学防護隊・固定翼哨戒機・護衛艦・掃海母艦・回転翼哨戒機・輸送艦・戦闘機・偵察機 等)
 平成14年(2002)、防衛庁男女共同参画推進本部における審議を踏まえ、防衛庁における男女共同参画の取組について整理し、「婦人自衛官」という呼称の「女性自衛官」への改正が行われた。平成30年末で女性自衛官が占める割合は約6・5%であり、3佐以上に占める割合は3・9%となっている。ちなみに平成31年度の女性自衛官が占める割合は6・9%である。
 令和2年現在、陸上自衛隊の特殊武器(化学)防護隊の一部及び坑道中隊以外(労働基準法等の「母性の保護」の観点による)のすべてに女性自衛官を配置できるようになり、様々な職域で女性自衛官は活躍している。戦闘機パイロットや護衛艦艦長、大隊長や連隊長などの部隊長、NATO職員、司令部の部長から地本長、そして最先任・先任伍長・准曹士先任たち。間も無く、潜水艦乗りも誕生する。男女平等で能力主義の自衛隊、「ここの部隊にこんな仕事があって、こんな人がいる」のが、たまたま女性なだけであって、女性だから、女性初だからという冠はいつまで必要なのだろうか。
(吉田佳子)

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