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自衛隊ニュース   1014号 (2019年11月1日発行)
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ノーサイド
北原巖男
創業と守成と孰れか難き
 10月に2週間、東ティモールに行って参りました。
 1975年。あの泥沼のベトナム戦争が終結したその年に、南方の東ティモールでは激しい独立回復闘争が開始されました。
 同年11月30日にポルトガルからの独立を宣言したものの、瞬く間に隣国インドネシアによって武力併合され、27番目の州にされてしまったからです。爾後24年間に及ぶ激しい独立回復闘争が続きます。
 この間の犠牲者は約20万人。当時の人口が約80万人ですから、途方もなく沢山の皆さんが、祖国の独立回復の為に命を懸け、殉じたのです。
 幾多の紆余曲折を経て、国連監視の下で実施されたのが独立の賛否を問う1999年8月30日の住民投票。なんと投票率は98・6%。その78・5%が独立賛成票を投じました。独立が決まった瞬間です。
 今年はその住民投票から20年。日本からも政府代表が参加して、盛大な祝賀式典が行われました。国民は「VIVA TIMOR-LESTE」(東ティモール万歳)と書かれたTシャツを着て祝福し合いました。
 思えば、国際社会から成功しないだろうと見られていた東ティモールの独立回復闘争。しかし卓越したリーダーの下に国民は団結。目を覆う艱難辛苦を乗り越え、2002年5月20日、21世紀最初の独立国・アジアで一番新しい国として誕生しました。独立回復の「創業」を成し得たのです。
 あれから17年。「創業」の時代を経た東ティモールは、今「守成」の時代にあります。
 独立回復闘争で一緒に戦ってきたリーダーをはじめ「守成」に取り組む人材は、自らが身を正し、団結し、急速に変化する時代に柔軟に対応して、国民いずれもが豊かな生活を営めるような国づくりに邁進しなければなりません。
 今回も、さまざまな槌の音は、全国各地で聞こえていました。
 特にかつては命懸けに近いスリルをもって通っていた道路の整備が進んでいることは驚きでした。同国初、南部に開通したばかりの片道2車線の高速道路も走りました。しかし、その耐久性、高速道路によって分断された地域住民の生活の利便性への対応、運用面の安全性など、解決すべき大きな課題も同時に散見されました。
 そんな東ティモールから帰国直後の10月22日、天皇陛下が国内外に即位を宣明される「即位礼正殿の儀」が厳粛に行われました。国内外から約2000名が参列。本紙読者の皆さんも、テレビ中継をご覧になられたことと思います。
 常に私たち国民に寄り添われていらっしゃる天皇陛下は、「即位礼正殿の儀」で述べられたお言葉を「国民の叡智とたゆみない努力によって、我が国が一層の発展を遂げ、国際社会の友好と平和、人類の福祉と繁栄に寄与することを切に希望いたします」と結んでおられます。
 新しくスタートした令和の時代に我が国が一層の発展を遂げるためには、私たちは今までのような「守成」から、新たな日本の「創業」に全力で取り組んで行かなければならないと思います。
 私たちは、これまで経験をしたことの無い凄まじい速さでの少子高齢化・人口減・IT(情報技術)・技術革新などの大変革の時代にあります。
 日本と東ティモール。それぞれが取り組む「創業と守成」は、孰(いず)れも難きですが、必ず成し遂げることが出来ると確信しています。
 頑張りましょう!
 
北原 巖男
(きたはらいわお)
元防衛施設庁長官。元東ティモール大使。現(一社)日本東ティモール協会会長。(公社)隊友会理事

ヤキマ演習場で米軍と実動訓練 共同対処能力を向上
ライジングサンダーに参加
<第2師団>
 第2師団(師団長・森下泰臣陸将=旭川)は、8月28日から9月19日まで、アメリカヤキマ演習場において、米軍との実動訓練(ライジングサンダー)に参加した。
 本訓練は日本国内にはない良好な訓練基盤を活用して、市街地戦闘等に必要な戦術及び戦闘要領を訓練すること並びに日米の部隊間の相互連携要領を演連し、共同対処能力を向上させることを目的に実施された。
 第25普通科連隊(連隊長・大野木秀樹1陸佐=遠軽)を基幹とした約120名が訓練に参加し、市街地地域を含む攻撃戦闘や中距離多目的誘導弾などの射撃を実施し、所望の練度向上を図るとともに、併せて米軍との共同対処能力を向上させた。

令和最初の式典
創立64周年記念行事
<高等工科学校>
 令和元年9月29日、保護者等を含む、約2500人の来校者を迎え、陸上自衛隊高等工科学校(学校長:堀江祐一陸将補=武山)の創立64周年記念行事が開催された。
 式典において学校長は、生徒に対し、「『積極進取』の姿勢と『人を思いやる心を持つ』ことを意識せよ」と式辞を述べた。その後、総勢約700名の生徒による観閲行進の他、ドリル部及び和太鼓部による演技・演奏が披露された。
 この日は、朝から小雨が降るぐずついた空模様だったが、皆の思いが通じ、式典の始まる頃には晴れ間が広がった。まさに、「我々の姿を一人でも多くの人に見てほしい」と願う生徒の思いが来校者に、そして天に伝わる中で令和最初の式典が挙行された。
 元号が平成から令和に引き継がれたように、高等工科学校の歴史と伝統は脈々と後輩たちに受け継がれていくことになる。

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