防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   1013号 (2019年10月15日発行)
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令和元年度 9師団訓練検閲
各隊の「本物の力」を示す
 第9師団(師団長・岩村公史陸将=青森)は、8月26日から9月10日までの間、各部隊駐屯地、王城寺原演習場(宮城県)から岩手山演習場(岩手県)、八戸演習場(青森県)、小谷演習場(青森県)等の東北方面隊全域を使用して、第5普通科連隊(連隊長・榮村佳之1陸佐=青森)、第21普通科連隊(連隊長・五十嵐雅康1陸佐=秋田)、第9後方支援連隊(連隊長・酒巻勝1陸佐=八戸)、第9戦車大隊(大隊長・横川2陸佐=岩手)、第9施設大隊(大隊長・三輪2陸佐=八戸)第9偵察隊(隊長・池田2陸佐=弘前)、第9化学防護隊(隊長・北2陸佐=青森)及び第9師団司令部付隊(隊長・藤内3陸佐=青森)の師団隷下8個部隊を対象とした令和元年度師団訓練検閲を実施した。本検閲は、実弾受領に始まり、隊員・家族の心情把握等の作戦準備の後、命令示達を受け、作戦地域に展開、師団段列からの支援を受けつつ、対抗する敵を撃破するまでの実戦的環境を作為して実施された。
 作戦は、攻勢的な作戦に任ずる赤部隊と防勢的な作戦に任ずる青部隊に区分され、赤部隊は第5戦闘団(第5普通科連隊基幹、第9戦車大隊主力、第9後方支援連隊DS)及び第9偵察隊、青部隊は第21戦闘団(第21普通科連隊基幹、第9施設大隊、第9戦車大隊1個小隊、第9後方支援連隊DS)、師団段列は、第9後方支援連隊、第9化学防護隊及び第9師団司令部付隊で編成された。統裁部は、第6師団、第8師団及び第2施設団を初めとする方面内外の部隊及び機関から多数の支援を受け、全体として交戦訓練装置(バトラー)約1400台、演習総人員約3500名により実施された。
 検閲間、王城寺原演習場において、2個戦闘団及び第9偵察隊の各隊員、戦車・車両にバトラーが装着され、両戦闘団との間で激しい戦いが繰り広げられるとともに、岩手山演習場においては、王城寺原演習場での戦況推移に応じた師団段列としての活動が活発に行われた。また、作戦の終始を通じ第9偵察隊により王城寺原演習場〜岩手山演習場〜小谷演習場及び八戸演習場の間の機動距離約1000km及び偵察縦深約350kmにわたる地域において偵察活動が実施された。
 本訓練検閲は、時折り降雨に見まわれる中、暑い日が続く厳しい気象条件の下での検閲となった。各部隊は、指揮官を核心として一隊員に至るまで旺盛な士気の下、戦勝への執念をもって全力を尽くし、予定調和の無い実戦においても、与えられた任務を完遂し得る本物の力を示した。

元年台風15号に係る災害派遣
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5旅団
 台風15号の影響により千葉県一帯で大規模な被害が発生、第5旅団(旅団長・小瀬幹雄陸将補=帯広)が現地で活動を始めた直後の9月19日時点で約3万戸が停電、約5000戸で断水が続いており、被災に遭われた多くの方が避難所生活を余儀なくされていた。
 第5旅団は、第7師団及び北部方面後方支援隊とともに被災地において、入浴支援任務にあたる第1北方入浴支援隊として、第5後方支援隊(隊長・大西準一1陸佐=帯広)から隊員16名、車両8両の派遣部隊を編成し、15日午後5時、帯広駐屯地所在部隊の隊員及び自衛隊協力諸団体の人達が見送る中、帯広駐屯地を出発した。
 派遣部隊は18日朝、活動拠点である千葉市消防学校に到着後速やかに野外入浴所「熊乃湯」の開設準備を開始、午後3時から入浴支援活動を始め、利用された地域住民の方々からは「1週間ぶりのお風呂はとても嬉しい」など多数の感謝と喜びの声をいただいた。
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34普連
 第34普通科連隊(連隊長・深田満男1陸佐=板妻)は9月16日から、深田連隊長以下約400名をもって台風15号の被害に伴う災害派遣活動のため千葉県に前進した。
 台風15号は9月9日に関東地方に上陸し、特に千葉県内では、長期にわたる停電、家屋の屋根の破損、倒木、土砂災害等、生活環境に甚大な被害が発生した。
 連隊は16日、午前0時に深田連隊長以下が先発隊として、午前10時から逐次、各中隊等が板妻駐屯地を出発し、下志津駐屯地(千葉市若葉区)に向け前進した。
 到着後、直ちに連隊指揮所を開設するとともに、千葉県庁等において各関係機関をはじめ自治体、東京電力等との調整及びニーズの確認を行った後、同日夕刻から千葉市、市原市を主体に、停電復旧のための電柱や電線を巻き込んで倒れた樹木の伐採・除去、道路啓開、浸水を防ぐため家屋の屋根へのシート張り等を実施した。連隊による被災地の早期復旧・復興のための懸命な活動は9月30日まで実施された。

ノーサイド
北原巖男
後生畏るべし
 台風15号がもたらした長期間の停電。携帯電話の充電が出来ないことも大きく報じられました。
 そんなニュースを見ていて、携帯電話の普及率に関する新聞の切り抜きを思い出しました。ちょうど1年前の2018年10月20日付け日本経済新聞「数字で読むASIA」です。
 そこには、次のようなチョット驚きの数字が紹介されていました。
 2016年時点の携帯電話の普及率(人口比)
 日本131・8%、東ティモール125・05%、カンボジア124・9%、ネパール111・7%、ミャンマー92・7%、ブータン 88・8%、ラオス83・8%
 *アジアの低所得国の普及率は、平均97%
 *東ティモール、カンボジアは、1人1台を超え、日本と大差無し。(出所‥国際電気連合会)
 …東ティモールについては、ノルウェー、インドネシア、ベトナムなどの電話会社が進出しています。各携帯のシムカードは、お互いに汎用性が無いことから一人で2台持つといった背景もあるのではないかと思います。
 それにしても、その普及率には驚かされます。
 思い返せば長く続いた固定電話の時代。当初は、我が家も電話があるご近所のお金持ちの家に借りに行ったり、大家さんに呼び出しをお願いしていました。次第に各家庭にも電話が入るようになり、10円玉を沢山用意して公衆電話から実家へ電話したことも懐かしい思い出です。そして今や、各人が携帯電話を持つ時代に。街や駅からは公衆電話は急速に姿を消しています。
 でも、携帯がこんなに普及するようになったのは、先進国である日本でもそんなに昔のことではありません。
 他方、典型的な開発途上国である東ティモールでは、固定電話が各戸に普及することなどほど遠い状況を一気に飛び越えて、携帯電話時代に突入しています。しかもその普及率は、前述の記事のように日本と大差ないのです。
 携帯電話ばかりではありません。開発途上国は、国民生活の向上・国の発展のため、今ある利用可能な高い技術や製品等の積極導入に努め、自分のものにしようと追いかけて来ています。
 そして何よりも、国の将来を担う人材の育成に邁進しています。
 こんなことがありました。頑張り抜いて東ティモール人として初めて日本の大学から博士号を取得した留学生の学位授与式に参加した時のこと。驚いたのは、女性を含めほとんどが外国人であったことです。日本の学生は、ほんの数えるほど。衝撃は今も忘れることが出来ません。他の大学でも状況は似ています。
 大丈夫でしょうか、日本の将来。
 テレビでは日本は凄いんだといった番組が多く、自己陶酔に耽っています。自分たちは先進国だ、大国だといつまでも偉ぶって慢心していたならば、気づいたときには、かつて国づくりや人づくりの支援を受けて来た国々の方が先行し、ある分野によっては、日本は周回遅れになっていたなどといった事態も生起しかねないのではないかと思います。杞憂には思えないのです。
 「後生畏るべし」(出典‥論語)という有名な言葉があります。自分より若い者は様々な可能性を秘めており、一生懸命努力することによって将来どれだけの人物になるか分からない。若いからといって見くびったり侮ったりしてはならない、むしろ畏敬をもって接するべきであるといった戒めでもあります。
 外国人についても、また国と国の関係についても当てはまることではないか、そんな思いを強くしています。
北原 巖男(きたはらいわお)
元防衛施設庁長官。元東ティモール大使。現(一社)日本東ティモール協会会長。(公社)隊友会理事

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