防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
スペーサー
自衛隊ニュース   2003号 (2019年5月15日発行)
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HOME's English Class
(防衛ホーム英語教室)
It won't work!
イト ウオント ワーク
そりゃあ、ダメだろう!

Hi! How are you doing? 皆さん、令和元年も半分が過ぎました。後半への折り返しです。平成31年はどんな年でしたでしょうか。しっかりと整理しておきたいと思います。時代の変化というものは、澎湃とした大きなうねりとともに、日々刻々と進んでいく時間とのかかわり合いでもあります。ここでしっかりと平成と令和の節目をつけておくことも大切ですね。さあ、令和元年後半の始まりです。

 さて、今回の表現は、"It won't work!"「そりゃあ、ダメだろう!」です。It won'tは、it will notの省略型で、会話にはよく使われます。「〜うまくいかないだろう」という意味で使います。workは、ここでは、「うまくいく、機能する」といった意味です。一緒に、肯定形の"It will work"「うまくいくよ」も覚えておくといいですね。このフレーズだと全くうまくいかないように聞こえますので、at once(今すぐに)といった条件を付け加えて「すぐには、うまくいかないだろう」とすると建設的な意見になりますね。

 5月になって、急に気温が上昇し、初夏並みの暑さが日本列島に広がっています。令和元年の梅雨と夏の気候はどのようになるでしょうか。世界はますます過激に、また急速に変化しています。日本では、来年のオリンピックに向けての準備が本格的になってきます。気温の急な変化は、体調にも大きく影響します。あまり無理をせずストレス・マネジメントに留意して、日々の生活を規則正しく、楽しく陽気にお過ごし下さい。それでは、皆さん。See ya!
<スワタケル>


「頑張っています」新しい職場
活躍するOBシリーズ
 社会福祉法人光輪会ソーシャルサポートTsukinowa 後藤 啓二
 やり甲斐を考じる職業に挑戦してみては?
 現在私は、平成29年12月に航空自衛隊第8航空団勤務を最後に定年退職し、自宅近くにある社会福祉法人光輪会ソーシャルサポートTsukinowaにおいて、就労移行支援事業の職業指導員として勤務しています。
 再就職については、自分にやり甲斐を感じる仕事、地域に根付いた職業と思い、自分に何ができるか自問自答しながら考えた末、障害がある方の就労に関わる職業に興味を持ちました。それは、障害がある方が訓練により就職できた時の喜びを、職員同士や利用者さんと分かち合える職業ではないかと思ったことと、これまでの経験を活かせると思ったからです。
 その職業に関する情報を持って基地援護室に問い合わせてみたところ、現在勤務する法人が、私の希望と合致する求人をしておりました。その法人の施設長(現理事長)は、自ら熊本地震の復興ボランティアに参加するなど、バイタリティーのある方で自衛隊の各種活動にも理解があり、援護担当者のお力添えもあって、現在に至っています。
 就労移行支援事業とは、発達、精神、知的、身体に障害がある方々で、一般企業への就職を希望される方を対象に、就労に必要な知識の習得、能力の向上に必要な訓練を行うとともに、求職活動の支援、適性に応じた職場の開拓、就職後の職場定着の支援などを行っています。
 障害がある方は、一度教えても直ぐには理解してもらえず時間がかかるものですが、山本五十六の「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、褒めてやらねば、人は動かじ」を利用者さんのレベルに合わせて繰り返し訓練し、できることを伸ばして強みにしてもらうように根気強く指導しています。
 現在の職務である職業指導員は、職員研修等により知識の習得に努めていますが、それ以上に自衛隊生活で経験して培ったスキルが役に立っています。これから定年を迎えようとしている隊員の皆様、残りの人生、自分にやり甲斐を感じる職業に挑戦してみては如何でしょうか。
後藤氏は、平成29年12月に航空自衛隊第8航空団整備補給群本部を准空尉で定年退官。55歳(記事作成時)

読史随感
<第29回>
神田淳

竹山道雄 真の知識人
 竹山道雄(1903-83)をご存じだろうか。戦後児童文学の傑作『ビルマの竪琴』の著者として知られている。しかし、竹山は児童文学の作家というより、戦前、戦中は旧制一高のドイツ語教師であり、戦後は論壇で時代に迎合しない存在感を示した知識人であった。戦前、戦中、戦後も一貫して自由な精神をもって日本と世界をみつめ、「反時代的」であることを恐れず、その考察をすぐれた文章であらわした。
 戦前日本がドイツになびき、ドイツ研究の専門家までがナチス礼賛に向かっていたとき、竹山は敢然とナチスドイツを批判した。ナチスのドイツにおいては、真理とは国家であり、民族であり、これを保証する権威は党政治である。そうして個人や、その自由や、その知性−すなわちルネッサンス以来のヨーロッパ人本主義の原動力となった原理−が否定されている、と。
 竹山はドイツがどうしてこのように急変したかを、ドイツ人の国民性にまでさかのぼって考える。曰く、ルネッサンスに続く啓蒙思想に最も深く触れてこれを指導原理としたのは英仏であり、ドイツにおいてはその影響は比較的少なく、社会は封建の形を多く残している。ドイツ人ははなはだしい主観の人で、観念的である。我々日本人は観念的すなわち論理的・合理的かつ明確と考えたがるが、ドイツ人は観念的でありながら不明晰である。主観的−これがドイツ人の精神の竜骨である。その叙情味も、憧憬も、非合理主義も、狂信熱も、内面性も、非造形性も、音楽もことごとくこれに源を発している。近世ドイツ精神の高揚は、西欧の合理主義・啓蒙思想への反発に由来する。ドイツ人は「心は東に向きながら、頭だけが西に向いている」のである、と。
 そして竹山は、このことだけははっきりしていると言った。「思考の自由という一点に関する限り、英仏側が勝てば、少なくとも我々の生きている間位は、何等かの形において救われ得る。ドイツが勝てば、そんなものは立ちどころに根底的に奪われるであろう」と。
 戦後になって竹山を困惑させたものは、流行するマルクス主義史学による昭和史の解釈であった。竹山は、昭和の日本が戦争し敗戦したのは、史実を見るとき、マルクス主義史学者が主張するような、封建制の残滓としての絶対主義的天皇制、官僚制、そして重臣と軍部とが、国民を道連れにしてファシズムに転落していった、というようなものではなかったと言う。
 革新派青年将校が国家社会主義イデオロギーにとりつかれ、機関説的天皇制とその君側の奸を打倒して、統帥権的天皇の親政を樹立しようとした。代々の内閣の首相、陸海相、外相らは、この軍部革新派の狂気の暴走を抑えようとして抑えきれず、抑えるために妥協を重ねるうちに、大陸の戦線は拡大し、国民の愛国主義的感情は高揚して知性は劣化、ついに太平洋戦争という冒険に突入してしまった。
 日本の陸軍は無形無名の下剋上のうちに政治化し、中堅将校が統帥権と「軍の総意」を盾に国家の決定を支配した。当時の日本には統一された最高指導者は存在せず、軍の下剋上が国を引き回した。
 竹山のこうした見方は、いま昭和史の定説になっていると思う。ものの本質をみる、竹山のぶれない高い知性は、令和となった今の日本をどう見るだろうか。
(5月15日)

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