防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   991号 (2018年11月15日発行)
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地域と共に歩んでいく
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姫路 67周年
 姫路駐屯地(司令・堀川佳紀1陸佐)は、10月21日、国会議員をはじめ、自衛隊協力諸団体ら多数の来賓が参列のもと、「地域とともに 更なる未来へ」をキャッチフレーズに、「姫路駐屯地創立67周年記念行事」を実施した。
 開催に先立ち、駐屯地に対する長年の防衛基盤の育成及び支援・協力の功労を称え、7名・2企業・1団体に対し、感謝状を贈呈した。
 観閲式において、堀川司令は、「大変長い歴史と伝統を持つ姫路駐屯地であり、これまで、各種災害派遣や、世界文化遺産国宝姫路城クリーン作戦協力等、様々な活動を通して、地域の皆様と大変良い関係を維持させていただいています。今後も地域の皆様の期待に応えるべく、『何時如何なる任務が与えられようとも、事態に即応し任務を完遂』し得るよう、『地域との連携』を大切にし、更に強い信頼関係を構築してまいります」と式辞で述べた。
 観閲行進では、第3特科隊が装備する「155mm榴弾砲(FH70)」を始め、第3高射特科大隊の装備する「93式近距離地対空誘導弾(近SAM)」・「81式地対空誘導弾(短SAM)」等が威風堂々たる行進を実施し、来場者から大きな拍手が沸き上がった。
 訓練展示では、防御している部隊を迅速に撃破する一場面をとらえ、隊員による機敏な動作と迅速な陣地占領を展示した。155mm榴弾砲(FH70)、74式戦車、96式装輪装甲車(WAPC)等による空包射撃での迫力ある攻撃戦闘に対し、会場から大きな歓声と拍手が送られた。
 その他、ストラックアウト等の子供コーナーのほか、音楽隊による音楽演奏、筋肉自慢の隊員が参加した「マッチョコンテスト」、レンジャー・格闘展示、自衛隊の制服等が着られる試着コーナー、戦車等試乗、装備品展示など様々なイベントが実施された。本行事は、家族の日として前日に実施した予行と合わせると、約7100名もの来場者を迎え、駐屯地と地域の住民との一体感を醸成して、地域との連携をより強固にすることができた。
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第13旅団 19周年
海田市 68周年
 第13旅団(旅団長・山根寿一陸将補)は10月21日、海田市駐屯地において、国会議員、各首長、協力諸団体会員、歴代旅団長等多くの来賓の臨席及び地域住民の来場を得て、「広げよう笑顔〜復興を祈って〜」をテーマに掲げ、「旅団創立19周年・海田市駐屯地創設68周年記念行事」を盛大に開催した。
 観閲式においては、開始に先立ち、平成30年7月豪雨で亡くなられた方々に対し黙とうを行い哀悼の意を表した。秋晴れの中、観閲台から多くの観客が見守る中、山根旅団長は式辞の中で、平成30年7月豪雨における災害派遣活動のことに触れ、猛暑の中、活動にあたった隊員に対し賛辞を送るとともに、今後も更なる精強第13旅団を目指し旅団長要望事項である「鍛錬せよ 挑戦せよ そして結集せよ」を合言葉に、精進していく旨を述べた。
 後の観閲行進では、旅団隷下部隊及び海田市駐屯地に所在する方面直轄部隊、災害派遣で活動した車両等、戦車部隊の順に一糸乱れぬ行進を披露し観客から大きな拍手が沸き起こった。観閲行進に引き続き第13飛行隊のヘリコプターによる観閲飛行を行った後、航空自衛隊F-15DJ戦闘機による祝賀飛行が行われ、記念行事に華を添えた。
 式典会場では引き続き訓練展示が行われ、オートバイドリルでは、第13偵察隊の7名の隊員が偵察用オートバイを巧みに操り、アクセルターン、ブレーキターン、全車が一斉に交差するクロス、走行間射撃、6連ジャンプ等息のあった優れた技術を披露した。
 また第46普通科連隊第3中隊基幹とする模擬戦闘訓練が、式典会場である駐屯地滑走路地区の南北に長い地積を最大限活用して行われ、ヘリコプターによる航空偵察、レンジャー隊員によるリぺリング降下、偵察隊による敵情解明から始まり、戦車及び軽装甲機動車等により編成された近接戦闘部隊と、150mm榴弾砲・120mm及び81mm迫撃砲、各種地対空誘導弾等からなる火力戦闘部隊が一体となり、火力と機動力を発揮しつつ敵陣地に突入する迫真の戦闘行動を展示した。この間も来場者の息もつかせないタイミングで航空機からの射撃や負傷した人員及び被弾した装備品の迅速な回収・後送、敵陣前の障害処理等の各職種部隊の任務及び第1線部隊との連携要領が展示され、日頃の訓練成果を遺憾なく発揮し、観客を魅了した。
 催し物では、例年、高い人気を誇る戦車・高機動車試乗は今年も長蛇の列ができ人気の高さが窺え、レンジャー隊員による訓練展示では、女性自衛官によるリぺリングやレンジャー隊員によるロープワーク技術を紹介するとともに、建物内に拘束された人質救出の場面をコミカルに紹介し、見守る観客から拍手喝采を受けた。またロープワーク体験コーナーではロープを渡る我が子の姿を撮影する様子が見られる等多くの家族が訪れた。
 装備品展示コーナーには旅団が保有する装備品の他、航空自衛隊のペトリオット・ミサイル発射システム等も展示した。今回はギリースーツ等を着た隊員と一緒に撮影できる撮影スポットを設けた他、戦車やヘリコプターに上がって写真撮影ができるということで多くの人で賑わった。
 第13音楽隊による野外コンサートでは、フラッシュモブを取り入れた演奏や安芸南高等学校吹奏学部との合同演奏、指揮者体験等、バラエティに富んだ進行で聴衆を楽しませた。
 この他、隊員及び隊員家族が作成した作品展、旅団の活動を紹介した写真コーナーのほか、小さな子供たちが楽しめるよう配慮した子供広場や災害派遣で活躍する小型ドーザの操縦、国土交通省による豪雨の災害体験コーナー等、体験型アトラクションが増加し、訪れた人を飽きさせない様々な催し物を展開した。
 2年ぶりに駐屯地を一般開放した本記念行事は、約9000名が訪れ、地域に根付いた恒例行事として確立していることを改めて実感し、自衛隊に対する信頼と期待が更に高まっていることを認識した記念行事となった。
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小郡 65周年
第5施設団 57周年
 小郡駐屯地(司令・白川訓通陸将補)は、9月15日、「小郡駐屯地創設65周年及び第5施設団創隊57周年記念行事」を同駐屯地において小郡市自衛隊協力会(会長・小郡市長加地良光氏)との共催で実施した。
 式典において司令は、近年の災害へのお悔やみと、地域への感謝を述べ、戦後最も厳しい戦略環境及び数十年に一度といわれる自然災害に対処する状況下、陸上自衛隊がその役割を適切に果たすための「即応する陸上防衛力」の構築に向けた大改革について紹介しました。また、各種事態発生にあたっては、自衛隊が単独で対応し得るものではなく、関係機関などの地域の皆様を含め心を一つにしてその対処に当たることが必要であり、国民、市民と自衛隊の一体となった対応の重要性を説明した。
 隊員に対しては、有事、真に任務を完遂するため、職務に当たっては、すべての関係者を戦友として、その戦友に思いを向け、部隊の力を前に進めていくことの必要性を説いた。そして一人ひとりが施設科隊員たることを自覚し、武人としての魂と技術者としての誇りを堅持して「『戦友のために』高い使命感を保持し、切磋琢磨して精強な部隊を作りあげていこう」と述べた。最後に国民と地域の皆様の負託に応え得る部隊を創り上げることを誓い式辞とした。
 また、65周年という節目の記念行事の実施に先立ち、14日、同駐屯地において、タイムカプセルセレモニーを行った。この行事は、15年後の自分に宛てた手紙を封入したタイムカプセルを、当時の駐屯地司令(末包昭彦氏)をはじめとする関係者とともに掘り起こし、当時の隊員に渡すもの。
 更に訓練展示においては、小郡市役所、警察、消防、九州救助犬協会、DMAT(災害派遣医療チーム)のドクターヘリ及びNTTフィールドテクノとの共同により大規模災害(地震)発生時における各機関の連携要領等を訓練した。現場の確認に始まり、自治体から自衛隊への災害派遣の要請、出動、救助、後送などを、駐屯地司令、小郡市長の実演も交え、災害に際しては関係各機関が連携して対処する姿を披露した。
 加えて今回は、初の試みとして記念行事に併せて地域振興を狙いとした「筑前・筑後物産展『おごおり七夕マーケット』」を開催し、「JAみい」から提供された地域のおいしい野菜と米を使用した「JA隊カレー」900食の無料配布を行う等、地域の企業による約40店舗の出店からなる様々な物産展は、多数の来場者で賑わった。
 その他、10式戦車等の装備品展示、94式水際地雷敷設車等の体験搭乗、音楽演奏等により、約4200名の来場を得て本行事は盛会裡に終了した。

読史随感
神田淳
<第17回>

「青年将校は卑怯に存じます」高橋是清夫人

 1936年(昭和11年)2月26日未明、陸軍皇道派の青年将校らが1483名の下士官兵を率いて決起し、岡田啓介総理大臣、高橋是清大蔵大臣、斎藤實内大臣、鈴木貫太郎侍従長、渡辺錠太郎陸軍教育総監、牧野伸顕前内大臣を襲撃した。高橋大蔵大臣、斎藤内大臣、渡辺教育総監は即死。岡田総理大臣、牧野前内大臣は難を逃れたが、鈴木侍従長は瀕死の重傷を負いながら奇跡的に一命をとりとめた。
 日本史上名高い二・二六事件である。決起した青年将校は、「昭和維新、尊皇討奸」を掲げ、腐敗政治の元凶だと彼らが信じる君側の奸を排除して、昭和維新を企てたクーデターであった。
 クーデターは未遂に終わった。2月29日、戒厳令の中で決起部隊(反乱軍)に対する討伐命令が発せられ、下士官と兵は原隊に帰順、反乱軍将校らは逮捕された。
 戦前の日本を震撼させた二・二六事件については、すでに多くの歴史家や作家に語りつくされている感があるが、私も感想を二、三加える。
 まず、私は二・二六事件を起こした青年将校に全く同情を感じない。感じるのは彼らの精神の未成熟と、政治思想の幼稚さである。当時彼らの純粋性を評価する意見も存在した。しかし、重臣を君側の奸と断じ、これを殺害して理想の天皇親政を実現するといった政治思想は、あまりにも幼い。
 二・二六事件はテロである。このテロをどう評価するか。夫高橋是清を殺害された志な夫人は、「青年将校は卑怯に存じます」と言い放った。高橋大蔵大臣は国の健全財政を超える軍拡予算を認めなかったため、軍部の恨みを買っていた。それで殺されたのである。クーデターをいかに美化しても、政敵をテロで葬るのは卑怯者のすることだとの人間の根本的道義感情が消えることはないだろう。
 事件に遭遇した重臣たちの夫人はみな立派だった。内大臣斎藤實夫人春子さんは、「殺すなら私を殺してからにして」と身をもって夫をかばったが、無理やり引き離され、大臣は40数発の弾丸をうけ、即死した。侍従長鈴木貫太郎夫人たかさんは、夫が4発撃たれて倒れたところへとどめを刺そうとする将校に、「武士の情けです。とどめだけは私に任せてください」と制した。その気迫に押されて、将校はとどめを刺さずに引きあげた。そして鈴木は奇跡的に快復する。
 また、この頃陸軍がすでに相当おかしな組織になっていたことを感じる。陸軍は決起部隊に対して、当初非常にあいまいな態度をとった。事件発生当日の午後、陸軍の幹部が集まって協議し川島陸軍大臣名で、1、蹶起の趣旨に就ては天聴に達せられあり、2、諸子の真意は国体顕現の至情に基くものと認む、(あと省略)という告示を発出した。これは決起部隊(反乱軍)を容認するような驚くべき告示である。
 これに対して、はじめから決起部隊は反乱であり、速やかに鎮圧せよと、強いぶれない意志を示したのは昭和天皇だった。鎮圧に踏みきらない陸軍幹部に、「朕が近衛師団を率いて自ら鎮圧に当たる」とまでの決意を示した。
 二・二六事件は昭和天皇の強い意志があって収束した。陸軍は下剋上の組織となっており、幹部の統率力が失われていた。二・二六事件以後、下剋上体質の陸軍による国政の壟断が一層進む。そして大東亜戦争に行きつき、大日本帝国を滅ぼす。(2018年11月9日)

神田 淳(かんだすなお)
 高知工科大学客員教授
 著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』など。


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