防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   990号 (2018年11月1日発行)
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読史随感
神田 淳
<第16回>

子供天国だった日本
教育の伝統
 かつて日本は子供天国だった。開国後日本を訪れた欧米人の多くが、ほぼ例外なくここは子供天国だとの記録を残している。よほど印象深かったのだろう。
 お雇い外国人として東大理学部教授(動物学)を務めたアメリカ人モース(1877-79、82-83年在日)は、『日本その日その日』に記す。「ここでまた私は、日本が子供の天国であることを、くりかえさざるを得ない。世界中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、そして子供の為に深い注意が払われている国はない。ー子供たちは朝から晩まで幸福であるらしい。ー日本人は確かに児童問題を解決している。日本の子供ほど、行儀がよくて親切な子供はいない。また、日本の母親ほど、辛抱強く、愛情に富み、子供に尽くす母親はいない。」
 また1878年来日し、東北地方を旅した英国人イザベラ・バードは『日本奥地紀行』に記す。「私はこれほど自分の子供をかわいがる人びとを見たことがない。他人の子供に対しても、適度に愛情をもって世話をしてやる。父も母も自分の子供に誇りをもっている。私は日本の子供たちがとても好きだ。私は今までー、子供がうるさかったり、言うことを聞かなかったりするのを見たことがない。日本では孝行が何ものにも優先する美徳である。ー英国の母親たちが、子供たちを脅したり、手練手管を使って騙したりして、いやいやながら服従させるような光景は、日本には見られない。」
 日本は子供をとてつもなくかわいがる社会だ。これが当時の欧米人の観察である。そしてそれゆえ日本の子供たちは、懲罰的な手段に訴えなくても、聞き分けがよく、情緒が安定していると評価した。過度の愛情が子供を害するという観察もなくはなかったが、子供は幼児期に思い切り愛情を注げば、自然に他者と共存するルールに従うようになるという、当時の日本人の体験にもとづく自信がゆらぐことはなかった。
 日本では伝統的に子は子宝であり、神からの授かりものであった。柳田国男によれば、たぶん子供の死亡率が高かったこともあるだろうが、古い日本の習慣では7歳に達するまでの子供は「神々のもの」とみなされた。
 日本は歴史の早い時期より教育の先進国だった。戦国時代(1563年)イエズス会の宣教師として来日、日本に骨を埋めたポルトガル人フロイスは、著『日本史』に記す。「われわれの間では普通鞭で打って息子を懲罰する。日本ではそういうことは滅多におこなわれない。ただ(言葉)で叱責するのみである」、「われわれの子供はその立ち振る舞いに落ち着きがなく優雅を重んじない。日本の子供はその点非常に完全で称賛に値する」。
この時代武士の家では、子供は自制しつつ名誉を保つ心がはぐくまれ、打って懲罰する必要はなかった。当時の子女教育の文明度は、西洋より日本に一日の長があったと思う。
 現代の日本は子供の教育に成功しているだろうか。教育問題を考えるとき、かつての日本が子供天国であり、児童問題を解決していると評された時代があったことを、われわれは忘れてはならないと思う。そして、日本は子供を本当によくかわいがり、子供への愛情の膨大な社会だったことを。昔ほどではないとしても、今なお子供をとにかくかわいがる教育の伝統は日本に健在だと思う。高い知育も徳育も結局このような伝統からはぐくまれるだろう。
  
神田 淳(かんだすなお)
 高知工科大学客員教授
 著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』など。

防衛省・自衛隊
地方協力本部
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大阪府立大学生の基地研修を支援
<大阪>
 大阪地方協力本部(本部長・梅田将陸将補)は、9月26日、大阪府立大学航空宇宙工学課程学生等27名の岐阜基地研修を支援した。
 この研修は、航空宇宙工学を学ぶ学生として、実際に運用されている航空機を見学し知見を広めることを目的に実施されたものである。
 昼前に到着した一行は、隊員食堂で体験喫食の後、岐阜基地の概要説明を受け、広報館を見学。館内にある戦闘機のコックピットやエンジンを真剣な眼差しで見入っていた。
 次に、飛行開発実験団で戦闘機(試作機)を見学。大阪府立大学出身の技官や、貸費学生から空自に入隊した隊員からの説明を受け、航空機に関する質問もさることながら、「なぜ自衛隊に入ったのですか」等、熱心に質問を投げかけていた。
 最後に、防衛装備庁岐阜試験場で、実験航空機X-2を見学。普段は目にすることができない航空機の見学に、一同感激していた。
 参加した学生からは「今回の研修は面白かった。このような研修にまた参加したい」等の声が多く聞かれた。
 大阪地方協力本部は、「このような研修を通じ、学業の習得をしてもらいつつ、将来は自衛官や技官として装備品の研究開発等にも携わることができる職場もあることを理解して欲しい」としている。
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2018 八朔祭
<熊本>
 熊本地本(本部長・濱田博之1陸佐)は9月2日に山都町で行われた「2018 八朔祭」(約3万人が来場)に、第8師団の支援を受け、音楽隊演奏によるイベントを支援した。その他、広報ブースを設け、迷彩くまモン人形との記念撮影会及び熊本地本オリジナルの「迷彩熊本城」がプリントされたうちわ及び迷彩くまモンバッジ等を配布し、自衛官募集をPRした。うちわについては、準備した350個が瞬く間になくなる程大人気であった。
 自衛官の採用等に関して質問をする来場者には、自衛官の募集案内を実施し、自衛隊に関する理解を深めた。
 当日は、前日の雨も上がり快晴で気温も上がる中、第8音楽隊、津留曹長以下30名の隊員は、演奏会に先立ち商店街をパレード行進し、メイン会場において音楽演奏を行った。
行進は、スタート地点からメイン会場(本部席)までの約1・2kmを演奏しながら商店街をパレードし、沿道からは拍手と歓声が送られた。また、音楽隊員も汗をかきながら、時おり笑顔がこぼれ、自らも祭りを楽しむ雰囲気が見られた。
 パレードを経て演奏会に移ると、県内外から詰めかけた約1000名の聴衆の中には、早朝から席を確保した観客や毎年行われる音楽隊の演奏を心待ちにしている人も多く、その関心の高さが伺えた。
 また、音楽隊は、高い演奏技術と演出にも評判が高く、大人から子供まで楽しめるように、子供が一緒にダンスできる曲目を演奏すると、聴衆も和気あいあいとした雰囲気になった。ラストの曲が終わると会場から惜しみない拍手とアンコールが響き渡り、即座にアンコールに応えると聴衆から再び大きな拍手が沸き起こり更なる盛り上がりを見せた。
 自衛隊山都町家族会を代表して会長から音楽隊に対して、激励と感謝の言葉を述べ、演奏会は幕を閉じた。
 熊本地本は、「今後も自治体を始め、協力諸団体との連携を深め、各種イベントの支援を実施し、自衛隊への更なる理解と協力を促進するとともに熊本地本の任務完遂に努めていく」としている。
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芋煮会フェスティバル
<山形>
 山形地本(本部長・齋藤信明事務官)は、9月16日山形市馬見ヶ崎川河川敷において行われた「第30回日本一の芋煮会フェスティバル」において広報展を実施した。
 この催しは、山形自慢の秋の味覚「芋煮」を直径6・5メートルの大鍋で約3万食作り、市民や観光客等に振舞うという山形県を代表する秋の風物詩。今年は、日本一大きい6・5メートルの大鍋「三代目鍋太郎」が初登場し、「8時間で最も多く提供されたスープ」のギネス世界記録に挑戦することもあり、晴天に恵まれたこの日は、県内外から例年を上回る多くの来場者が訪れた。
 山形地本は、フェスティバル会場内の「防災ゾーン」において、第20普通科連隊が展示する高機動車及びオートバイなどの車両展示コーナーに併せて、「ミニ迷彩服の試着コーナー」や「募集相談コーナー」の他、「ヘリ体験搭乗券が当たるアンケートコーナー」、「いざと言う時役立つロープワークコーナー」「南極の氷コーナー」、今回新な企画として「南極の石重さ当てクイズ」と盛りだくさんのイベントを開設し、募集対象者に自衛隊を積極的にアピールした。
 中でも、「南極の石重さ当てクイズ」コーナーでは、誤差±300gの人にニアピン賞で、自衛隊と芋煮キャラクター「イモニマン」がコラボした特製缶バッジとピタリ賞には特製自衛隊グッズをプレゼント。子供と一緒にクイズを楽しむ家族や自衛隊グッズ目当てに長い行列ができ、自衛隊ブースは、終日多くの来場者で溢れた。
 また、ヘリ体験搭乗券が当たるアンケートコーナーでは、高校生や大学生が「ヘリに乗ってみたい」と積極的にアンケート記入、中には自衛隊へ興味を示す学生もいて、広報官から熱心に話を聞く姿が見られた。
 山形地本は「このような自衛隊の装備品や隊員と直接触れ合う機会を多く作り、自衛隊に対する親近感やあこがれを醸成し募集広報につなげていきたい」としている。
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なべつる祭
<函館>
 函館地本は、9月1日奥尻三大祭の1つ「なべつる祭」のイベントの一環として、奥尻港において海上自衛隊第45掃海艇「あおしま」の支援による体験航海及び一般公開を実施した。また、航空自衛隊奥尻分屯基地の支援を受け装備品展示、募集広報活動も併せて広報ブースを出展した。
 祭りは当初8月25日の予定であったが、台風の影響により1週先に延ばされたものの当日は祭りに相応しい晴天に恵まれ、会場は町民及び観光客で賑わった。
 奥尻町長らが出席した「あおしま」入港歓迎行事では1日艇長任命式が行われ奥尻高校1年生が1日艇長に任命され、先着70名の体験航海乗艇券も受付開始前から申し込み者が集まる人気振りであった。1日艇長の号令で出港した掃海艇は、奥尻沖を1時間航海し、途中ラッパ吹奏や手旗信号等の催しが披露され参加者からは「楽しかった、また乗りたい」「少し揺れたけど天気も良くて最高だった」との声が聞かれた。また、午後からの一般公開も81名が艇内の見学を堪能した。
 祭りの催しでは自衛隊チームも参加し大いに盛り上がるなど、自衛隊を身近に感じてもらえる1日となった。函館地本は、「今後も祭りに参加し防衛省・自衛隊の理解に努め艦艇広報も期待に応えられるよう実施して行きたい」としている。

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