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自衛隊ニュース   988号 (2018年10月1日発行)
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北海道胆振東部地震 過去最速!即自投入!

 9月6日発生の北海道胆振東部地震発生を受け、防衛省は今迄にない早さで、即応予備自衛官(自衛隊OB)を招集した。9月7日には、小野寺五典防衛大臣が「即応予備自衛官」災害時招集命令を出し、8日には本人に招集命令書を交付した。9月24日までの間、延べ255名の即応予備自衛官が生活支援を中心とした災害派遣活動に従事した。北部方面隊のコア部隊の第52普通科連隊から派遣された即応予備自衛官に話を聞いた。

(株)フクザワオーダー農機 小田2曹
 社長が元自衛官なので、会社との調整はスムーズで「行ってこい」と言われた。被災者と話すにあたり、思い出したくない人もいるかもしれないので、地震の事には触れない様にした。今後も災派等の任務に参加したい。

ニセコ環境(株) 菊池3曹
 企業からは「招集がかかったらすぐに行け」と言われた。被災者の方々は心を痛めている方もいるので、声かけに着意した。災派に従事していることを大変誇りに思います。

(株)美唄自動車学校 高田2曹
 企業からは「招集がかかったらすぐ応じるように」と言われた。派遣されてみて、被災者の方々は本当に大変な状況で生活していると感じる。1日も早くインフラが復旧することを願っています。

(株)フクザワオーダー農機 山野士長
 社長が「頑張ってこい」と積極的に送り出してくれた。被災者の立場にたって活動することを心がけた。何かあれば、手伝えることがあれば、今後も派遣に参加する。

日本トーター(株) 椎名2曹
 東日本大震災の時も派遣されたが、今回も上司が「頑張ってこい」とすぐに派遣してもらえた。即自なので、特に一般の方に近いという意味において同じ目線で対応することを心がけた。一日も早い復旧と災害が起きない環境整備を願う。

知内町森林組合 八木士長
 上司に「頑張ってこい」と送り出された。物資を届けると「ありがとう」といわれ、充実感がある。派遣中は「自衛官らしく」を心がけた。やりがいがあった。今後も即自を続けたい。

(株)美唄自動車学校 尾花3曹
 発災当初から私の応招準備は出来ていて、地本からの災害招集命令を待つ状態でした。被災者の方々と触れ合うなかで、本当に不自由な生活をされていると実感。1日でも早いライフラインの復旧を願っています。

(株)ノアコンツェル 今野3曹
 被災地出身でもあり、職場に派遣を申し出たら快く背中をおしてくれた。お風呂も顔さえも洗えない大変な状況の中、給水支援を通じて「ありがとう」と言われると、こちらが逆に癒され疲れも吹き飛びます。1人でも多くの人の力になりたいと考えている。

JOEUN BUS(株)札幌営業所 小野寺2曹
 会社に「災害派遣に行きます」「がんばれ」と1つ返事で送り出してくれました。給水支援の際、ある被災者に重くなるので容器の半分でいいと言われたことを覚えていて、2回目以降も半分にしてお渡ししたところ「覚えていてくれたんだね」と言われ、自分のしている事に自信が持てました。

(株)トラスト・テック 阿南士長
 日頃から招集訓練にも快く送り出してくれる職場で、今回も「業務は他のみんなでカバーするから我々の分も頑張ってきて欲しい」と背中を押してくれました。両親も「困っている人のために頑張って」と言ってくれました。被災者一人一人と会話をするようにこころがけています。不安に思っていることなどを打ち明けて頂き、頼りにされていると感じています。

<取材協力>陸上幕僚監部 人事教育部人事教育計画課 予備自衛官室
○HP     :http://www.mod.go.jp/gsdf/reserve/
○Twitter:@jgsdf_reserve
○Facebook:http://www.facebook.com/jgsdf.reserve


読史随感 <第14回>
神田 淳
伊藤博文の苦心

 伊藤博文(1841-1909)は明治の元勲で、近代国家日本の建設者。初代内閣総理大臣となり、以来総理を4回務めた。大日本帝国憲法(明治憲法)を立案し、立憲国家としての「国のかたち」をつくった。
 伊藤のことを、人間が「軽佻浮薄」で大した人物ではなかったと言う歴史家がいる。そして、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允といった維新の三傑、さらに高杉晋作、橋本左内、坂本龍馬といった第一級の人物が若くして死んだため、明治維新の成果を享受して栄達の道を歩んだと。こういう評価こそ「軽佻浮薄」な評価に過ぎない。
 幕末から伊藤をかわいがった木戸孝允は、伊藤の人物を「剛凌強直」(強く厳しく正直)と評している。伊藤は性格が陽性だったが、「剛凌強直」で、理念をもち、信念を通す政治家だった。伊藤は前述の幕末維新の人物に勝るとも劣らない第一級の人物であり、世界レベルの大政治家だったと私は思う。
 伊藤の近代国家建設における最大の業績は、憲法(大日本帝国憲法)の制定である。欧米流の近代憲法をいかにして日本の伝統の中で定着させるか。日本で実際に機能する立憲政治-新しい国のかたち-をいかにつくるか。これが伊藤の最も苦心したところであった。
 伊藤は立憲国家の本場ヨーロッパで、一年半憲法を調査研究する。ウィーン大学国家学教授シュタインから憲法に関する教示を得て、これこそ日本で機能する憲法学との確信を得た。それは、憲法の上位に、より全体的な国家の制度的構造があり、憲法はその全体構造の中に位置づけられて初めて機能するという考えである。シュタインの教示は、実際の政治が機能するためには、政府の組織を固め、行政を確立することが何より重要であるとの確信をもたらした。
 帰国後伊藤はまず、内閣制度の創設をはじめとする行政制度の刷新を行う。そして1899年大日本帝国憲法を制定。翌年第1回帝国議会が開かれた。伊藤は憲法制定後日本が、漸進的に議会を中心とした統治へと移行することを理想とし、憲法によって授与された国民の参政権と議会制度が機能するためには、国民自らが政治を担う気概をもつことが求められると考えていた。伊藤にとって憲法の制定は、国制の完成ではなく、あるべき国制へのスタートラインであった。
 伊藤が明治時代に敷いた立憲国家のかたちは、平成の現在もなお生きていることがわかる。戦後憲法が変わった。しかし、行政府が国家の主体であるという国のかたちは、変わることなく続いている。国会が国権の最高機関であるとうたう現憲法のもとでも、事実上の国権の最高機関は行政府であり、法案もほとんどが行政府から提出され、議会は行政府(〓立法府)に文句を言うだけの万年野党的性格が強い。
 戦後の日本は国民主権の憲法を頂き、議会制民主主義は一応機能してきた。しかし伊藤が理想とし、漸進的に実現することを望んだ議会中心の国家統治になっているとはいえない。実現しているのは、伊藤が立憲国家のスタートラインとして敷いた行政府主体の国のかたちである。日本の伝統と風土の中で、いかに議会政治を習熟させていくか。百年以上前の伊藤の苦心は、今日なお日本の課題である。 (2018年9月22日)

 神田 淳(かんだすなお)
 高知工科大学客員教授
 著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』など。


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