防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   983号 (2018年7月15日発行)
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近間から遠間から
「戦国自衛隊」の直木賞作家 桑沢 慧
 1962年9月末のある残暑の日の昼休み、神田駅近くの喫茶店で急ぎの原稿を書いていたSFマガジン初代編集長の福島正実は、突然訪ねてきた青年を見つめて頓狂な声を上げた。
 日本初のSF商業誌として創刊3年を迎えようとしている同誌だったが、世間にはSFを荒唐無稽なものと白眼視する向きが多く、苦戦していた。海外作品の翻訳が主流であることも不振の一因と考えた福島は、日本人SF作家を誕生させるため新人賞の公募を企画し、その第2回の結果が出たばかりだった。
 福島を訪ねてきた一見職人風の青年は、誰が入選したのかを知りたがった。一部の熱心なSFファンだな、と警戒した福島は「きみに言っても知らんでしょうが、小松左京と半村良という人ですよ」とぶっきらぼうに答えた。ただし半村は住所不明で通知できずに困っている、という裏事情は伏せておいた。すると青年は向い席に座りこむや「ぼく、半村です」。意表を衝かれた福島の頓狂な声を産声代わりに、かくしてSF作家・半村良は誕生した。
 この後、70年代を中心に隆盛を極める日本SF界を、小松左京らと共にけん引した半村の代表作の一つが、71年にSFマガジンに発表され、79年に映画化された「戦国自衛隊」である。演習中の陸自、海自部隊の一部30名が戦国時代へタイムスリップし、刀槍の武将たちを近代兵器で圧倒していく。元の時代では疎外されていた彼らが、ここでは存分に力を発揮できることに生きがいを見出し、天下取りを目指す。だが武器弾薬が潰えていく中で、自分たちをこの時代に送り込んだ「時間」に織田信長の役割を担わされていることに気づく・・・。
 半村自身の立身出世も、どこかこの物語と似ている。33年、葛飾区柴又生まれ。本名は清野平太郎。進学校の都立両国高校を卒業するも家庭の事情で進学を断念しコックや板前の見習い、バーテンダー、クラブ支配人などの職を転々とする。SFに魅せられ初めて書いて応募した「収穫」でデビュー。73年には皇室を危難から護るため、いにしえから今もなお暗躍する忍者の一族を描いた「産霊山秘録」で泉鏡花賞を受賞。この頃から彼のSFは「伝奇ロマン」と呼ばれ人気作家となっていく。そして75年に短編「雨やどり」で第72回直木賞を受賞するが、これはSFではなく彼自身が長くいた水商売の世界で織りなす人情の機微を描いたものだった。日陰の人生を歩んでいた彼が、余人が持たぬSFという近代兵器を手にして頭角を現し、やがてSFに頼らずとも日本文学界屈指の、天下の直木賞を取る様は、私には「戦国自衛隊」の主人公、伊庭義明3陸尉と重なって見える。一時期、私はそんな半村の近くにいた。
 「オレの生き方っていうのはね、きみにとっちゃ異次元だろうけどね、まぁ、しばらく近くで見てみるっていうのも、何かの足しにはなるんじゃない」そう言う半村の生き方はまさに異次元だった。最初に仰せつかった仕事は、いっしょに暮らす女性の所から新しい女性の所への引っ越し作業だった。半村は一所に長くは住まず、私が関わっただけでも苫小牧、浅草、目白、明大前と転居を繰り返したが、いずれも本宅ではなく、引っ越すタイミングもたいがい女性が変わるのと同時だった。夜の銀座や花柳界も垣間見せてもらった。
 「私の空想の源泉は、自分自身が取るに足らない存在であることへの拗ねとひがみなのである。高価な酒や美しい女、素晴らしい知性などは自分にはとうてい得られないので、それを何の苦もなく手に入れられる人々は、私にとって敵であった(ムー大陸建設記・別冊いんなぁとりっぷ)」半村の残したこの文章に、私は「虚実転換」という実在する忍術を連想した。自分を組み敷く敵との形勢を、虚実を転換して逆転してしまう不思議の術である。彼は自分がとうてい得られないはずのものを、敵と入れ替わったかのように片っ端から手に入れた。半村良は、虚実転換、変幻自在、奇想天外なSFの申し子だった。
  
桑沢 慧(くわさわけい)
 明治神宮武道場至誠館剣道科出身のフリーライター。これまでセキュリタリアン(防衛弘済会)、歴史群像(学研)などに執筆。

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(防衛ホーム英語教室)
We are almost there!
ウイ ア オルモウスト ゼ ア
もうすぐだよ!

Hi! How are you doing? 皆さん、お元気でしょうか。豪雨が西日本を襲いました。被災地の一刻も早い復旧を心から祈念しております。災害派遣活動に日夜もくもくと取り組んでいる隊員の皆さん、本当にお疲れ様です。大変な状況の中で、任務達成のために頑張っている姿を報道で目にするたびに、感謝の気持ちでいっぱいになります。ありがとうございます。

 さて、今回の表現は、"We are almost there!"「もうすぐだよ!」です。このフレーズは、いろいろな場面で使えます。例えば、目的地に向かっている時に、もうすぐ到着するという意味で使います。文字通り、私たちは、目的地のすぐそこまで来ているということです。"I'm almost there"「もうすぐ着くよ」という遅刻しそうなときに使えるフレーズにもなります。さらに、人生の目的や、目標といったことに関して、もう少しで達成できるところにあることを示して、「もうすぐだ、頑張れ!」という励ましの意味でも使うことができます。weを主語にすれば、自分を含めた数人のグループや仲間で一緒に頑張ろうという感覚を表現できます。主語をyouにすれば、相手に対して「もうすぐだ、頑張ってください」と激励するフレーズになります。

 異常気象が続いています。自然災害の恐ろしさを報道により知り、言葉を失っています。被災地の一刻も早い復旧を祈るだけです。災害派遣の任務にあたっている部隊の活躍も報道されています。救助された市民が、本当に心から自衛隊の仕事に感謝している言葉が胸にしみます。頑張ってください。"We are almost there!"それでは、皆さん。See ya!
<スワタケル>


「頑張っています」新しい職場
活躍するOBシリーズ
株式会社オートシステム 宮本 幸二
宮本氏は平成28年4月に海上自衛隊第203整備補給隊(下総)
第203航空機整備隊機体班長として2海尉で定年退官。現在56歳
 私は、平成28年4月、第203整備補給隊(海上自衛隊下総航空基地)を最後に36年間勤務した海上自衛隊を定年退職いたしました。退職の翌日から株式会社オートシステムに再就職し、正社員の役員車運転手として勤務しております。
 定年退職後の再就職に際しては、社会に貢献しつつ人に奉仕する仕事を考えておりました。そして、昔から好きであった車の運転をする仕事に就きたく、大型二種免許を取得して求人票を探していたところ、自衛隊援護協会から下総就職援護室を通じて株式会社オートシステムにおいて役員車運転手の求人があることを知りました。
 一方、自衛隊勤務では、電源車、航空機のけん引車等の運転経験はあるものの、運転手としての経験が全く無く少し不安な状況での応募でありましたが、後日、援護協会を通じて「内定」の通知を聞いて安堵しました。
 株式会社オートシステムは、お客様の役員車の運行管理業務を実施している会社で、顧客満足度と品質マネージメントを保証する国際規格「ISO9001」の認証を取得しており、常に「安心」と「信頼」に裏付けられた快適さをお客様に提供している会社です。そして、社員数約950名、運転士約900名の規模の会社ですが、その内、約200名(平成30年5月現在)の元自衛官が活躍しています。
 現在、私は三井住友銀行日本橋支店に配属されていますが、常にお客様を時間内に安全・快適に送迎するために、海上自衛隊で培った「時間の厳守」と「真心をつくせ」を念頭に毎日の運行に努めています。日本橋支店に配属後、まだ1年を過ぎたばかりの新人ドライバーではありますが、支店長、銀行員の皆様の温かく寛大な気遣いやご協力のお蔭で、無事故、無違反で頑張っています。
 【再就職に臨む皆さんへ】
 これからの人生色々と困難なこともあろうかと思いますが、己に負けない強い気持ち「克己心」を強く持って望んでもらいたいと思います。
・求めず(求めるから腹が立つ)
・頼らず(頼るから苦しい)
・怠けず(怠けるから意欲が湧かぬ)
 人生すべて己との戦いです。時間の厳守と真心をつくし、克己心を強く持ってください!

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