防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   981号 (2018年6月15日発行)
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HOME's English Class
(防衛ホーム英語教室)
フロム ナウ オン
From now on!
これからずっと!

Hi! How are you doing? 皆さん、お元気でしょうか。関東地方も梅雨にはいりました。しっとりとした雨が降り続くと思いきや、いきなり日本晴れが5日間以上つづき、季節感は夏。さらに、季節外れの台風が接近し大雨が降り、戸惑っています。お中元の返信に季語に迷ったのも初めてです。連日夏のような晴天がつづいているのに、梅雨の候ではと思い、向暑としましたが、天候不順でそんなことを考えるのも楽しいものです。

 さて、今回の表現は、"From now on!"「これからずっと!」です。映画"The Greatest Show Man"「グレイティスト・ショーマン」の挿入歌のタイトルです。名曲ですね。from nowは、「これから」という意味です。onが続くことによって、「ずっと」という意味が加わります。映画では、栄光や名声を追い求め続ける主人公が、人生で一番大切なのは、栄光や名声ではなく、自分を信じてついてきてくれた妻であると歌います。この映画は、社会のマイノリティーの問題や社会の多様化とは何かを考えさせる内容になっています。すでにDVDが発売されているようですし、You Tubeでも公開されているので、興味のあるかたは家庭でお楽しみください。このフレーズの使い方は、相手が言ったことに、相槌を打つように「これからもずっとね」と同意するのも、気が利いています。自分のしたいことにプラスして、時間の表現を加えることによって、やる気が感じられますね。英語表現の一つのポイントです。

 関東地方は、梅雨にはいって、夏日が続いたり、台風の影響の大雨がふったりと、天気が激変しています。暑かったり、寒かったりは、体調にもかなり影響がありますね。天気予報を参考に、マメに対処することがポイントです。生活のリズムを整えて、一歩一歩前に進んでいきたいものです。陽気で楽しく、ストレスの少ない日々をお過ごしください。それでは、皆さん。See ya!
<スワタケル>


「頑張っています」新しい職場
活躍するOBシリーズ
医療法人渓和会江別病院 村上 哲弘
誠実・挑戦・前進
村上氏は平成26年6月に航空自衛隊第2航空団基地業務群群本部を2空佐で定年退官。58歳(記事作成時)

 私は定年退職時、まだ再就職先が決まっていませんでした。少々焦る気持ちを抑えながら、その間資格取得のための勉強を続けました。そしてその後、援護室からの紹介で現在の病院で、持っている資格を活かした運転技術員として就職することができました。この仕事に少し慣れてきた頃、思ってもみない展開があり、総務課長を経て現在は事務長として労務管理や人事、施設管理等の仕事に携わって4年目になります。
 当院は昨年、開院30周年を迎えました。理事長をはじめ高い医療技術を持った医師が揃っており、内視鏡、脳ドック及び人工透析等の設備も整っている、地域の中核を担う急性期の総合病院です。病院を取り巻く環境は常に変化し、改定事項への対応、病院を運営するためのノウハウ、地域との連携等覚えることや、やらなければならないことがたくさんあり、日々勉強の毎日です。最初は戸惑うことばかりでしたが、周りの方々のご指導やご協力のおかげで何とか今日に至っております。私の場合、自衛官時代、転勤の度に違った職務に就き、新しい部隊に行く度に、業務の改善点は何かを考えるという習性が身についていたように思います。それが今の仕事に大変役に立っています。それは、たくさんの上司に出会いご教導頂いた結果だと感謝しております。私の現役時代のモットーは「誠実・挑戦・前進」でした。この言葉はいつも私の心の中心にあり、挫けず前に進む原動力となってきました。今もこの言葉を支えに精進しているところです。
 現職の皆様、今の仕事に全力を尽くして下さい。自衛隊で培ったものは一般社会でも必ず活きることでしょう。そして健康管理には今まで以上に気をつけることが大切です。
 皆様のご活躍を祈念しております。

近間から遠間から
憂国の作曲家

 「今はもう、女学生という存在はこの世にありません。今あるのは女子大生と女子高生なのでしょうが、テレビの深夜番組に出演してカマトトぶった無知蒙昧ぶりを発揮するのが可愛さだと錯覚しているような女子大生や、育ちの悪さをてきめんに表している女子高生には、私たちがそこはかとない憧れを抱いたあの清らかな女学生のイメージはかけらもありません。山の手の淳風良俗のシンボルでもあった女学生のエレガントさというものは、もうこの世の中にはないのです。同様にあのエレガントな愛唱歌も消えてしまいました。あるのは野卑なリズムと耳を聾するばかりの音響、うんざりするような、これです!」
 1988年3月。渋谷公会堂へ「題名のない音楽会・懐かしの女学生愛唱歌集」の公開録画に来場した私は、司会の黛敏郎が曲紹介するたびに奏でられる女学生愛唱歌の調べに目頭を熱くしていた。主に旧制の高等女学校の生徒を指す「女学生」を私自身は知らないし、その歌詞には難解な部分もあるのに、なぜ郷愁に似た感情があふれ出すのかがわからないまま胸を焦がしていた。「日本人だからだ…」涙目の私がそう独りごちたとき、黛が「これです!」の声を上げた。すると突然ロックが鳴り響き、舞台に乱入し踊り狂うボディコン姿の女たち。愛唱歌を歌い上げていた女性合唱団も、オーケストラの楽団員も舞台のそでに消えていく。私は浄土から穢土に突き落とされたような、暗然たる気分に陥っていた。
 黛敏郎は東京音楽学校(現・東京藝術大学)で伊福部昭などに師事し、53年頃から作曲活動を本格化した。現代音楽に先駆的に電子音楽を取り入れ注目されると同時に『ゴジラ』の作曲家でもあった師の伊福部と同じく映画音楽に進出し、盟友の三島由紀夫の小説「金閣寺」を映画化した58年の『炎上(監督・市川崑)』をはじめ、約200本の映画音楽を担当した。テレビではプロレスや野球中継のテーマ曲として親しまれた「スポーツ行進曲」の作曲の他、64年から「題名のない音楽会」の司会を務め、日曜朝の顔として全国的に知られるようになる。一方で日本の伝統文化を尊重する思想家としても活動し、91年からは日本に神道を根付かせた上での改憲を目指す「日本を守る国民会議」の議長を務めた。
 同じ91年の8月27日、第一回芥川作曲賞選考演奏会が行われているサントリーホール。作曲家の故・芥川也寸志を記念した同賞の最終選考は、ファイナリストとなった四人の新進作曲家たちの作品を一般客の前で演奏し、審査も公開して受賞者を決定する。中学の同級生が四人の一人だったことから、私はこの演奏会に足を運んだ。選考委員が誰かも知らずにいた私の前に、あの黛敏郎が現れた。女学生愛唱歌を通じて祖国とは何かを知らしめしてくれた人。その人と偶然にも旧友との縁を介して再会するとは。高揚した私は休憩時間のロビーで、意外と長身の背中に声をかけた。だが、振り向いた銀髪の紳士へ私の口から出た言葉は「題名のない音楽会、毎週楽しみにしています。一ファンです」だけだった。
 「そうですか、それはどうもありがとう」品のある声音でそれだけ言うと、黛は翻るように去って行った。一瞬の邂逅だったが、私は「選考会の公平性を守る」というお互いの暗黙が感応し合った結果だったような気がして、寂しくもすがすがしい余韻に浸っていた。
 黛が作曲した、栄誉礼の際に演奏される「冠譜及び祖国」には、38秒に込められた「祖国とは何か」の切々たる想いを感じる。その祖国、日本を守る防人へ綴った、彼の遺言。
 「体験航海で護衛艦が出港するや、岸壁に整列した音楽隊が軍艦マーチの演奏を始めました。その瞬間、不覚にも私は涙が目からあふれ出るのを禁じ得ませんでした。ひとが何と云い、新聞が何と書こうと、ここには軍艦がある。軍人がいる。軍隊がある。そしてそれらを必要とする国家があり、民族がある。(題名のない独白・サンケイ出版刊)」
  
桑沢 慧(くわさわけい)
 明治神宮武道場至誠館剣道科出身のフリーライター。これまでセキュリタリアン(防衛弘済会)、歴史群像(学研)などに執筆。

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