防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   978号 (2018年5月1日発行)
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新制服を身にまとい、決意新た

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35普連
 第35普通科連隊(連隊長・曽根勉1陸佐=守山)は、4月8日、守山駐屯地において「平成30年度自衛官候補生課程入隊式」を挙行した。
 真新しい紫紺色の新制服に身を包んだ自衛官候補生は、守山区長・柴田久司氏をはじめとする来賓や、各地方協力本部長代理、各部隊長及び家族が見守る中、厳粛な雰囲気に包まれ入隊式に臨んだ。
 午前11時、入隊式が開始され、国歌斉唱に引き続き水野遥人(よひと)自衛官候補生が執行者である連隊長に対し、声高らかに申告を行った。続いて谷口翔太自衛官候補生が力強く服務の宣誓を読み上げると、それに引き続き自衛官候補生全員が駐屯地体育館アリーナに気迫溢れる声で唱和した。
 連隊長は式辞において92名の自衛官候補生の入隊を祝うとともに、「常に前向きに挑戦せよ」「同期の絆を大切にせよ」の2点を要望し、併せて「本日ここに入隊式を迎えた諸君一人一人が、今日の気持ち・初心を忘れることなく、日々の教育訓練に努め、自衛官候補生課程を立派に修了してくれることを切に願う」と激励した。
 約3ヵ月にわたる自衛官候補生課程教育がいよいよスタートする。守山駐屯地には若々しくも猛々しい、活気に充ち溢れた自衛官候補生の声が響き渡ることになるだろう。
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3特科隊
 4月8日、陸上自衛隊姫路駐屯地(第3特科隊長兼駐屯地司令・堀川佳紀1陸佐)において、「平成30年度自衛官候補生課程入隊式」を執り行なった。
 「強靭性・使命感・品格」をコンセプトにデザインされ、紫紺色の新制服を身にまとった自衛官候補生78名が、「申告」及び「服務の宣誓」を唱和した。家元を離れ約10日しか経たないこの短期間の間に、大きな声と規律正しい動作を身につけ、生き生きとした子息を見た家族からは、安堵の表情とともに、国防を担う尊い気持ちを持って入隊した子息を誇らしく感じ、笑顔とともに涙を浮かべている家族も見られた。
 今後、約3ヶ月の自衛官候補生課程の履修期間を通じ、駐屯地司令要望事項である、「具体的な目標を持ち、諦めずに最後まで努力する」「同期との絆を大切にする」を胸に誓い、自衛官としての基本基礎を学び将来への夢と希望に満ちあふれた長くも熱い3ヶ月が幕を開けた。
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24普連
 第24普通科連隊(連隊長・中川宏樹1陸佐=えびの)は、4月8日、自衛官候補生課程(熊本、宮崎、鹿児島出身者)137名の入隊式を挙行した。
 式には、部内外から宮崎県県議会議員をはじめ近隣の市長、町長ら約60名の来賓と自衛官候補生の家族や学校関係者等を含めた約500名が見守る中、自衛官候補生入場から、告達に続き、代表の第4区隊の堀竜輔(ほり りゅうすけ)候補生(熊本県上益城郡益城町出身)による申告、宣誓を全員で力強く行った。
 また、今年も地元の飯野高校・飯野中学校・加久藤中学校吹奏楽部による素晴らしい演奏の中、国歌斉唱、連隊歌を自衛官候補生が声高らかに斉唱した。
 連隊長は、式辞において「団結せよ」「学べ」「真に戦える戦士を目指せ」の3点を要望した。式後、申告を実施した堀候補生は、「私の兄2人は自衛官で、熊本地震により被災された地域の方々を助けている姿に憧れて入隊しました。連隊長要望事項を胸に仲間と共に、3ヵ月間の教育訓練をやり遂げて、立派な自衛官に成長します」と、自衛官候補生としての決意を新たにしていた。
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40普連
 第40普通科連隊(連隊長・淺田健1陸佐=小倉)は、4月6日、北九州市副市長の梅本和秀氏をはじめとする、多数の来賓並びに駐屯地所在の各部隊長の臨席のもと、「平成30年度自衛官候補生課程教育入隊式」を厳粛な雰囲気の中で執り行った。
 当日はあいにくの雨模様であったが、自衛官候補生の家族が見守る中、紫紺色の新制服に袖を通した自衛官候補生63名は、晴々とした態度で式に臨んだ。候補生代表として、福岡県北九州市出身の灰田優馬候補生が申告、淵江仁候補生が服務の宣誓を行い、これから始まる自衛官としての第一歩への意気込みを示した。参列した家族は、着隊からわずか10日程で見違える姿になった候補生らに感銘を受けていた。
 また、浅野匠候補生は「立派な自衛官を目指し、自覚と責任感をもち、互いに磨きあって、団結して教育、訓練に臨みたいと思います」と想いを熱く述べていた。
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109教育大隊
 第109教育大隊(大隊長・西川朋之2陸佐=大津)は、第11期一般陸曹候補生377名、平成30年度自衛官候補生(女子)195名、合わせて572名の入隊式を挙行した。入隊式に引続き実施された祝賀会食において、家族・来賓を前に新入隊員の代表者3名が抱負を力強く述べた。
【第314共通教育中隊 自衛官候補生 八木 恋(やぎれん)】
 「これから厳しい教育や訓練が始まりますが、それは自衛隊が日本と日本国民を守る重要な任務を託されているからだということを今日の入隊式で強く実感しました。入隊の動機はそれぞれ違いますが、この3ヶ月で心身を鍛え、必要な知識及び技能の修得に励み、自衛官としての基礎だけではなく社会人としての基本を学び部隊において真に役立つ謙虚さと誠実さを併せ持った立派な自衛官になりたいと思います。これから色々ご迷惑をおかけすることと思いますが、どうか温かい目で私たちを見守ってください」
【第315共通教育中隊 一般陸曹候補生2陸士 吉岡 雅希】
 「今日、ここ大津で入隊式を無事に迎えることができました。これもひとえに、入隊をご支援していただいた地方協力本部の皆様のおかげと、何よりも、これまで私たちを育ててくれた家族の理解と温かい愛情のおかげであると、深く感謝しています。着隊直後は、出身も年齢も性格も様々な同期が集まり、うまく馴染めるか不安が多く、日常生活も今までとは全く違うものであるので、ついていけるか心配でした。しかし、着隊してたった一週間ですが、懇切丁寧に教えてくださる班長たちのおかげで頑張って行けそうです。これから3ヶ月間、中隊長をはじめ、区隊長・先任助教・班長のご指導のもと多くのことを学び、この教育訓練を通じて切磋琢磨し、実直に、誠心誠意をもって教育に臨むことが必要だと思っています。最後になりますが、同期の絆を大切にし、第109教育大隊の名を汚さないよう、これからの教育訓練を頑張っていきたいと思います」
【第316共通教育中隊 一般陸曹候補生2陸士 酒井 勇輔】
 「私達は、これからの自衛隊生活に楽しみと不安の思いを抱いて大津駐屯地にやってまいりました。着隊してたったの1週間ですが、今まで当たり前のように親にしてもらっていた洗濯や裁縫などを自分たちでする様になり、親の有難さを改めて知ることが出来ました。また班長たちが親身になって自衛隊生活をイチから教えてくださるので安心して毎日を過ごせています。まだまだこれから覚えていくことがたくさんありますが、区隊長、班長、同期達ともに汗を流して頑張っていきたいと思います。最後に、お父さん、お母さん、今日まで有難うございました。これからは一人の自衛官、一人の社会人として頑張っていきます」
 第109教育大隊基幹隊員一同は、彼ら彼女らの思いを受止め、厳しい中にも熱意と愛情を持って育てていくという思いを、更に強くして教育に臨んでいく。

読史随感
<第4回>

「事の外に立ちて、事の内に屈せず」山田方谷
 幕末の偉人山田方谷をご存じだろうか。
 戦後歴代首相の指南役的存在であった東洋思想の碩学・安岡正篤が、「古代の聖賢は別として、近世の偉人といえば、私はまず山田方谷を想起する。この人のことを知れば知るほど、文字通り心酔を覚える」と評した人である。
 山田方谷は備中松山藩(現在の岡山県高梁市)の儒者(陽明学者)。窮状にある藩財政を見事に立て直した。江戸時代、多くの藩が窮状にあえいでいた。上杉鷹山による米沢藩財政改革が名高いが、方谷による藩政改革の成果は、米沢藩をはるかに上回る。方谷が松山藩の改革に着手したわずか7年後には、10万両の借金を返済し終えた上、10万両を貯蓄する富国強兵藩となった。方谷による藩政改革の成功は幕末全国に知られた。
 藩主板倉勝静の篤い信頼を得て藩財政の最高責任者となった方谷は、上下節約、負債整理、藩札刷新、産業振興、軍制改革といった藩政改革を次々に断行した。
 まず方谷は自分の家の出納帳を公開した。倹約令は実質の対象者を中級以上の武士と裕福な農民・商人とした。また、慣習化していた役人への賄賂と酒の馳走を禁じた。負債整理にあたっては、債権者の大阪商人に慣例を破って藩の実収をすべて公開し、返済計画の了承を得た。また、方谷は大阪の蔵屋敷を廃止し、米を藩内に保管して有利なときに販売して現金を入手する方法に改めた。
 当時、貧乏板倉(=松山藩)の藩札は信用ががた落ちしていた。方谷は、財政の苦しい中、3年かけて信用のない藩札を回収し、旧藩札をすべて領民たちの見守る高梁川の河原で焼却した。このパフォーマンスは藩の威信を回復させ、新しい藩札「永銭」は極めて高い信用を得て、他藩の領内にまで通用するようになった。
 高梁川上流は砂鉄の産地だった。方谷は鉄山開削を藩の直轄事業とし、産出する鉄の加工工場を次々と建設した。この良質の鉄を原料に、刃物、鍋、釜などの鉄器、鍬や鎌などの農具、釘などを生産し、船で大消費地・江戸に直送して販売した。特に三本歯の備中鍬と釘は大きな利益をもたらした。方谷はまた、特産品を育成し、杉、竹、漆、茶、煙草、柚餅子などのブランド化を図った。
 方谷は、軍制改革として「農兵隊」を創設した。藩内の壮健な若者を選んで銃と剣を学ばせ、農閑期には西洋銃弾の訓練を行った。幕末の封建的な身分を超えた軍組織として、長州藩高杉晋作による「奇兵隊」が名高いが、方谷の「農兵隊」の編成はその10年前だった。
 「事の外に立ちて、事の内に屈せず」。これが山田方谷の藩政改革根本の思想である。方谷は「理財論」で述べる。「ー善く天下の事を制する者は、事の外に立って事の内に屈しないものだ。しかるに当今の理財の当局者は、金銭の増減のみにこだわっている。これは財の内に屈しているものである。ー財の外に見識を立て、道義を明らかにして人心を正し、ー賄賂を禁じて官吏を清廉にし、民政に努めて民物を豊かにし、正道を尊重して文教を進行し、士気を振い武備を張るなら、政道はここに整備し政令は明確になる。かくて経済の大道は治まらざることなく、理財の方途もまた従って通じる」。
 「事の内に屈する」。これは組織内の論理に屈することで、宿痾ともいえる日本社会の病弊である。すでに150年前にこの問題を洞察、「事の外に立つ」信念を実行し、財政再建に成功した山田方谷の事績は驚嘆に値する。
(2018年4月25日)
  
神田 淳(かんだすなお)
 高知工科大学客員教授
 著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』(https://utsukushii-nihon.themedia.jp/)などがある。

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