防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
スペーサー
自衛隊ニュース   932号 (2016年6月1日発行)
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HOME's English Class
(防衛ホーム英語教室)
Everybody, take five!
エヴリバディ テイク ファイヴ
皆さん、5分間休憩しましょう!

Hi! How are you doing? 皆さん、お元気でしょうか。なんとアッという間に夏日を越えて、真夏日になってしまいましたね。今年の夏はかなり暑くなりそうです。熊本地域を中心とした被災地の皆さんの生活も気になります。日本中の気持ちが被災地へ注がれています。がんばってください。筆者の職場などでも、予備自衛官の災害派遣はないのですかと質問を受けたりします。「もちろんあります」と答えています。何かの時には、職場の仲間が筆者の不在間に、予備自衛官としての任務を支えてくれるコンセンサスが会話のなかで構築されていきます。感謝です。

 さて、今回の表現は、"Everybody, take five!"「みなさん、5分間休憩しましょう」です。5分間は、短い時間ですが、タイミングと適確な状況判断によっては、30分休んだような効果が得られます。ただ、黙ってやすむのではなく、ちょっとした会話による気分転換や、身体のストレッチ、作業や仕事の気にかかっている点などを話したりすることで、気分のリフレッシュとやる気がでてきます。大きな声で、テイク・ファイヴ!と指示し、思い切りの笑顔を送りましょう。

 新緑が目にしみてきます。むき出しだった地面に、さまざまな植物が芽を出し、葉をつけています。涼しい風とともに、草いきれが遠い日を思い出させてくれます。今を生きている感覚がより一層過去との対比のなかに実感できます。沖縄地方は、梅雨に入りました。長期予報では、梅雨の間にかなりの降雨も予想されています。さて、筆者も任務遂行の準備と体調を整えておかなければなりません。皆さんも身体と心のバランスを整え、楽しく、陽気にストレスの少ない生活をお過ごしください。それでは、皆さん。See ya!
〈スワタケル〉


スポーツよもやま話
根岸直樹
イチロー 衰えぬ名馬
 日本も大リーグも、6月に入るといよいよ個人記録が話題となってくるが、いまファンの間で何かというと話が集中するのが、大リーグ・マーリンズ(ナ・リーグ)のイチロー外野手(42)のこと。今季は通算記録の更新がいろいろと注目されている。
 すでに500盗塁(日米通算700)を達成し、次は通算3000安打(日本で1278安打)まで「秒読みの段階」となってきた。それにしても500盗塁というのは、メジャー38番目で、その快走には米のファンも目を見張っている。
 イチローは1973年10月22日生まれだから、誕生日が来ると43歳。しかもメジャー選手の中では、さして目立たない体格(180センチ、77キロ)で、しかも42歳という年齢を考え合わせれば「快挙」という以外に言葉がない。
 1065盗塁の日本記録保持者・福本豊(阪急)=(メジャー記録はR・ヘンダーソンの1406)は、イチローを「無事これ名馬を最も体現している選手だ」と絶賛していた。「まじめに走っていれば、1000盗塁ぐらいはいっていたろう。彼は極力失敗を避け、慎重なスタートを切るタイプで、成功率は8割を超えているはず。7割の確率で走っていれば、間違いなく大台は可能だった」と。
 そして、日米通算3000本安打。今季から打撃コーチに就任したB・ボンズは自分の2935安打を抜かれたが「オレは07年に43歳でやめたとき、まだプレーできる自信があった」といっている。実はボンズは、薬物スキャンダルにさらされて3000安打の偉業を棒に振ってしまった。それだけに「イチローが心地よく引き際を決めてくれることを静かに見守っていきたい」と言っている。
 イチローは愛工大名電時代から投・打に優れた才能を持っていて「ゴロのセンター前ヒットでいいなら、全打席打てる」と豪語し、周囲から「宇宙人」と呼ばれていた。高校の公式戦179試合で590打数279安打、打率.4割8分9厘だったから「全部ヒットできる」という発言も、あながちホラとはいい切れないものがあった。
 オリックス時代から注目されていた「振り子打法」は、実はプロゴルファー・岡本綾子さんを真似たものだったという。「振り出しは小さく、振りは大きく」というスウィングは「岡本流」が原点だったのだ。
 3年ほど前から出場試合数が減ってきているが「50歳までやれる自信がある」と言っているイチローのこと。まだまだダウンするはずはない。マッティングリー監督は「イチローの年齢なんて考えたこともない」と言っている。若手外野手が好調のマーリンズだが「名馬」は、まだまだ走り続けるはずだ。海の向こうからのニュースに注目していきたい。

東ティモールの防大留学生たち(1)
日本東ティモール協会会長 北原巌男
未来を創る若き力
 平成28年4月6日、小原台の満開の桜が祝福する中、防衛大学校の入校式が行われました。会場には真新しい防大生姿が微動だにせず静まりかえっています。
 日本人学生と共に、今年はアジア9カ国の留学生が緊張した面持ちで着席しています。モンゴル、韓国、フィリピン、ベトナム、ラオス、カンボジア、タイ、ミャンマーそして東ティモールの24名です。大変な不安の真っ只中にあることと思います。
 でも5年後卒業するときには、防大に来て良かった、日本に来て良かった、かけがえのない同期に恵まれて良かった、と流ちょうな日本語で、心底から大きな声で言えるようになります。2010年4月に東ティモールから初めて防大に入校し昨年3月に卒業した第1期生、本年3月卒業した第2期生のいずれもが、このような気持ちで本国へ帰って行きました。そして今、アジアで一番新しい国軍づくり、国づくりに若き逸材として頑張っています。それぞれがとても頼りにされ活躍しています。
  "防大教育&防大スピリッツIN東ティモール" です。
 こんなに嬉しいことはありません。
・「私たち東ティモールの学生は、学力ではかないません。しかし、規律の厳守は、東ティモールの名誉にかけて、先輩から後輩へ確実に引き継いでいます」
・「後に続く後輩のためには、私たち先輩が今、全力で頑張ることです。私たちは、後輩が乗り越えて進むべき私たちのレベルをできる限り高く設定しておかなければなりません。私たち先輩の責任です。そうでなければ進歩はありません。そんな気持ちで頑張りました」
・「自分たちの経験を踏まえ、私たちよりもっと優秀な、やる気のある若い人材を防大に派遣するよう努めます」
 卒業した1期生、2期生は、いずれも僕たちが東ティモールにいたときに送り出した留学生たちです。これから先5年間、本当に大丈夫だろうかと心配でなりませんでした。本屋さんのない東ティモールでしたので、妻はインドネシアのバリ島まで出かけ、数学や化学の参考書(インドネシア語と英語の2カ国語で書かれていました)を一人一人に山ほど購入して来ました。「必ず日本へ持って行くこと」と言って渡していましたが、その量と重さに「スニーカーを2足持っていくので…」と渋る学生もいました。妻は優しく「スニーカーを持って行く必要は全くありません。参考書は絶対に役に立つから持って行きなさい」
 そんなことがあった留学生達が防大留学の中で、教職員の方々の教育・指導によって大きく成長し、卒業することが出来ました。達成感に満ちた彼らの笑顔から大きな自信と意欲を感じます。東ティモールの未来を創るかけがえのない若き力の誕生です。
 こうして僕は、東ティモールの留学生を通じて防大教育の不思議を体感しています。そして、「頑張れ!頼むぞ!」と、卒業生の背中を強く押し、胸を張って彼らを東ティモールに送り出している自分を幸せに思います。
 卒業生たちは、防大留学の中で学んだ事から国軍づくりに役立つ事をまとめ、あるときは共同で、また一人で、意見を求めて来ました。またあるときは自宅で近所迷惑も考えず防大学生歌をみんなで歌いました。歌詞にある「日の本」を「東ティモール」に言い換えて歌うこともしました。そして最後に「ビバ ティモール ビバ!」と叫び合いました。ちなみに、東ティモールのことを東ティモールの皆さんは「ティモール ロロサエ」とも言います。現地の言葉でロロは「太陽」、サエは「昇る」を意味します。つまり日本と東ティモールは、共に「日出づる国」同士なのです。
(続く)
(元防衛施設庁長官)

防衛ホーム 俳句コーナー
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一人居の軒の燕の子沢山     幸保 洋子
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選 者 吟
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