防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   897号 (2014年12月15日発行)
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寄せ書き
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村長の父と御嶽災派
第13普通科連隊(松本) 3陸曹 瀬戸大彦
 9月27日に発生した御嶽山噴火の被災地の一つである長野県木曽郡王滝村は、私が自衛隊に入隊するまでの18年間育った故郷です。御嶽山は幼少の頃からよく登山していた大変親しみのある山だったので、山頂で見た現場の惨状は非常に衝撃的なものでした。一人でも多くの人を救助するべく活動していましたが、噴火活動が継続中であり、幾度とない悪天候の影響で捜索活動が中止を余儀なくされました。標高3000m以上の高地で、かつ、火山灰が雨の影響で泥濘化し、足下が不安定になり、5〜10m進むのもやっとの状態の中で、捜索救助活動を実施しましたが、残念ながら行方不明者全員を発見する事は出来ず、只々自分の無力さを痛感しました。
 実は、私の父は今回噴火した御嶽山のある王滝村の村長をしています。村は人口900人足らずで、過去幾多の問題に直面してきました。1979年の噴火、1984年の長野県西部地震、自然災害以外にも財政問題、人口減少による過疎化問題等があります。父は、これらの問題等に何らかの形で携わってきており、今回も一首長として昼夜を問わず対策に追われ苦労が絶えず、息子として父を大変心配しております。
 今回、戦後最大の犠牲者を出した噴火災害が、この小さな村に発生した事は非常に深刻であり、今後の観光産業にも大きな影響が出る事は必至です。今回犠牲になられた方々のご冥福を祈るとともに、一日でも早く行方不明者が発見され、ご家族の元に帰られ、やがては入山規制が解除され以前のような多くの登山客で賑わう御嶽山の姿が見られるように、父を支えていきたいと思っています。
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消防の父と御嶽災派
 第13普通科連隊(松本) 3陸曹 中野拓真
 今回の御嶽山の災害派遣で我々自衛隊隊員は、火山活動が継続中で噴煙が多く、標高3000m以上の高地、急峻な登山道、山頂は火山灰が雨の影響で泥濘化し歩行さえ困難な状況下で、警察・消防と連携し捜索救助活動を実施しました。その中で偶然にも私の父が所属する山梨県富士五湖消防隊と一緒に活動を実施することになりました。
 父は54歳ですが消防の小隊長として参加していました。非常に過酷な現場で、まさかこのような形で親子一緒に活動する事になるとは少しも考えてはおらず、同じ現場で活動を行えた事が大変誇りに思えました。
 父は、的確に部下を指揮して任務を遂行していました。私は、このような父の姿を見て父のように立派な指揮官になりたいと改めて思い心から尊敬しました。
 未だ御嶽山には行方不明者が残されており、全員を救出する事が出来ずに非常に残念に思うと共に、大自然に対する自分の無力さを痛感しました。今後再び何時災害派遣がかかってもいいように物心両面の準備をしていきたいです。
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部隊新配置に思う
第7普通科連隊(福知山) 1陸士 山崎圭祐 1陸士 竹井 迅
 新隊員教育を修了し、第2中隊対戦車小隊への配置が決まった時は、とても気持ちが高揚しました。
 第2中隊は戦技能力に優れ、優秀な中隊と聞いており、希望していたからです。そして小銃小隊ではなく、対戦車小隊へ配置と言われた時は、自分に適性があるのなら、それを最大限に活かしたいと強く思いました。
 中隊の印象は、中隊長をはじめ、先任上級曹長や小隊の先輩方が、新配置隊員の1人1人を気に掛けてくださり、とても親しみ易いと感じました。
 特に営内班長がよく声を掛けてくださり、とても嬉しく思っています。
 今後の目標は、いち早く小隊や中隊の仕事を覚えて戦力となることです。
 そして中隊長要望事項である「やる・やる・やる」を胸に、部隊集合教育「レンジャー」にも挑戦し、将来陸曹になる為に精一杯努力していきます。
(山崎1陸士)
 新隊員教育を終了し、第5中隊に配置されました。
 配置されてから、約1ヵ月が経ち、先輩方が親身になって、指導して下さったこともあり、少しずつですが、中隊での環境にも慣れることができました。
 しかし、訓練面では、配属されてからはじめての演習で、施設科との協同訓練に参加した際、敵の障害発見時の対処要領、敵に対する警戒要領等、戸惑うことが多く先輩方の行動に付いて行く事ができませんでした。
 新隊員教育で学んだことは、基本的事項に過ぎず、普通科隊員としては、学ぶべき事、やるべき事が沢山あることを痛感しました。
 今後の勤務において、「いざ」という時に力が発揮できるように、日々の訓練において、何事にも一生懸命に取り組み、必要な知識及び技能を修得し、自衛官として成長していきたいと思います。
(竹井1陸士)
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73回目の愛の献血
 第38普通科連隊(八戸) 2陸曹 向谷地宏治
 この夏、73回目の献血をしました。思い起こせば最初にはじめたのは、18歳の時でした。きっかけは、自分の血液が各医療機関等へ提供され輸血等へ使用される事を知ったからです。
 2014年現在、血液に完全に代わるものは、未だ開発出来ておらず、また代替血液は開発されてはいるが限度があります。そのため輸血には、人の血液を使用せざるを得ません。献血制度が整備される以前は、売血によって血液の需要を充たしていました。しかし金銭を得る目的で過度に売血をする者が多数現れ、これらの得られる血液は血液としての質「黄色い血液」また供血者の健康の面で問題がある事が多かった為、献血制度が整備された2010年現在は日本では輸血用血液は、専ら献血によりまかなわれています。
 献血の種類は、全血献血(400ml、200ml)成分献血(血小板、血漿)に区分されています。私は、成分献血を行っていて、採血には1時間ほど要します。また、次回の献血までには、3週間ほど間をおかなくてはなりません。
 その他献血には、献血したくても出来ない場合があります。その理由は様々ですが、その日の体調不良の者、輸血経験がある者、抜歯を行い4日以内の者、HIV疑いの者、外国へ渡航経験があり、帰国してから渡航国に応じて設定された献血条件を満たしていない者などがあげられます。私は、国際貢献活動に参加していた期間がありましたが、帰国後の献血が出来ませんでした。予防注射を受けた場合献血条件を満たすまで間をおかなければなりません。
 現在、日本では、4人に一人は、中高年の時代です。中高年にも献血条件があり、若年層の献血が必要なのですが現在若年層の献血が減ってきているのが現実です。その為輸血を必要としているが、血液が不足している患者も多いでしょう。
 献血には、縁のない人も居ると思いますが1度献血センターへ行ってみてはいかがでしょうか。なにか視野が大きくなると思います。今後は、先ず100回を目指したいと思います。
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87ATM射撃を実施
 第48普通科連隊(相馬原)  1陸曹 加邉 稔
 11月15〜16日、関山演習場において連隊として初めてとなる87ATM戦闘射撃を実施した。戦闘間の一連の状況下における実弾射撃によりこれまで常備自衛官と即応予備自衛官一体となり練成してきた成果を確認し、かつ、今後の練度向上につながる非常に効果的な射撃訓練が実施できた。
 本訓練を計画するにあたり、即応予備自衛官の練度向上は必要不可欠であった。各中隊は、限られた出頭訓練期間を活用し、誘導技術及び分隊の行動を練成したが、射撃実施分隊を選定し、同じ隊員で訓練することは、出頭人員がその都度変わる即応予備自衛官部隊では多くの苦労を伴った。しかしながら、小隊員全員を戦闘射撃に対応できる練度まで引き上げる事が出来たことは、効率的かつ効果的な訓練の重要性を改めて認識する場となった。
 この訓練を担当して得た全ての事を、即応予備自衛官とともに戦うため、そしてあらゆる任務を遂行できる部隊の育成のためにじ後の訓練に役立て、より強い第48普通科連隊にしていきたい。
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儀仗ラッパに参加して
 第32普通科連隊(大宮) 陸士長 菊池龍二
 この度は、陸上幕僚長メダルを受章する事ができ、大変光栄に思っております。思い返せばラッパの特技を取得してから2年たちましたが、ラッパ手としてこれほど名誉なことはありまぜん。
 今回私は、儀仗隊ラッパ手として参加し、儀仗隊長及びラッパ隊長の指揮のもと、陸上幕僚長に対して栄誉礼と巡閲の譜を吹奏し、その結果「素晴らしい」という一言を頂くことができました。儀仗の訓練中はなかなか動作が合わず、幾度となく訓練し、皆で話し合い「もっとこうしよう、こうすれば更に良くなる」等のやり取りにより、本番一回の緊張の中で成功することができました。
 儀仗の任務が終了し、ラッパ隊の指揮も解かれましたが、私には引き続き陸上幕僚長が退庁の際の送迎ラッパ手として別の任務が与えられていました。早めに警衛所に行き、警衛司令の号令のもと、予行を実施し整列を完了し、概ね予定通り警衛司令へ、「陸上幕僚長の車が出発した」と連絡が入りました。その瞬間から警衛所一帯が緊張感に包まれ、そんな中、私も緊張に飲み込まれそうになりましたが、ラッパ隊長の「緊張している時ほど息をたくさん吸いなさい」という言葉を思い出し、吹奏に影響が出ぬよう呼吸を整え、その時を待ちました。「捧げ銃」の号令がかかり、私は一つ一つ音を慎重に吹奏し、今までで一番良い送迎の譜で陸上幕僚長を送ることができました。その時の吹奏を評価して頂き、メダルを受章することができました。
 この度の受章について、私にラッパを教えてくださった部隊の方々のおかげだと思っております。
 これからもこの結果に奢ることなく日々錬成し、中隊や連隊に貢献していきたいと思っています。
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私が自衛隊で感じたこと
 新潟地本投稿 日本生命 古川悦子
 私は、平成17年から保険の外交員として陸上自衛隊高田駐屯地で隊員の皆様の将来設計等をご提案させて頂いております。
 そんなある夏の日、長い上り坂を歩いている時に自然と「イッチニー・イッチニー」と重くなった心と身体を振起し号令を掛けていたことがあり、自衛官の習慣を自然としている自分に思わず苦笑いしたことがありました。また娘の就職試験前に面接練習をした際、挨拶の要領に違和感があり、そこで自衛官の敬礼動作のスマートさを真似たお辞儀の仕方や言葉(挨拶)の間の取り方をアドバイスしました。すると見違えるほどすっきりと爽やかに感じる動作になり、お陰様で採用試験も見事合格することができました。自衛官の皆様は気付いていないようですが、数人いれば足を合わせ、列を揃えて歩く姿は凛々しくかっこよく見えます。
 以前、高田援護室長の佐藤さんが「基本教練は指揮者が号令を掛け、隊員に同じ動作をさせる。誤った動作や従わない隊員には指導・矯正をし、指揮能力を高めている。またこれが部隊を動かす根底となるし、隊員は規律心や服従心を養い、部隊の団結心の強化に繋がっている」といった話をしていました。駐屯地を訪問し感じることは、自衛隊で身についた動作や躾は、今日の社会でも役立つことが沢山あるということです。冒頭のエピソードもその例です。こんなに潜在的に魅力のある組織「自衛隊」の皆様をこれからも応援したいと思います。

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