防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   896号 (2014年12月1日発行)
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しらせ、南極へ
56次観測協力が出国
晴海で盛大に家族ら見送る
 11月11日、東京晴海埠頭で砕氷艦「しらせ」(艦長・日高孝次1海佐)の第56次南極地域観測協力の出国行事が防衛省主催で行われた。寒空にも関わらず、多くの家族や関係者が約180人の乗員たちを見送るために集まった。自衛隊は昭和40年から、文部科学省に対し南極地域観測協力を行っており、今年で50年目。日本と昭和基地への物資や人員の輸送、艦上・野外観測支援、基地設営支援が主な任務だ。
 「しらせ」甲板で行われた出国行事で岡部俊哉統合幕僚副長が、統幕長の訓示を代読。「今年で50年の節目を迎える、本任務を通じ、重要な国家事業である南極地域観測業務の発展に直接寄与できることを無上の誇りとして任務に邁進し、この得難い経験を積むことで大きく成長してもらいたい」と期待を述べた。続いて武居智久海上幕僚長は「海上自衛隊への関心と期待が高まる中、本任務についても『ふじ』以来50年積み重ねてきた実績を踏まえ日高艦長のリーダーシップのもと一致団結し、平素から培ってきた実力を存分に発揮する事を期待する」と壮行の辞を述べた。
 式後、艦上では5カ月もの間の別れを惜しむように乗員と家族・関係者が最後のひとときを送った。我が子を抱き抱える隊員、繋いだ手をなかなか放すことができない恋人同士、心配そうに息子を見つめる母親。隊員の一人は「自分から志願しました。子供も小さく留守中は迷惑をかけるが、理解のある妻で助かっています」そう話すと駄々をこねる1歳半の我が子を抱き抱えた。「いってらっしゃい」「がんばっておいで」笑顔と涙で大勢の人に見送られ、「しらせ」は午前11時に晴海埠頭を出港した。
 「しらせ」はその後11月25日にオーストラリアのフリーマントルで観測隊員71人を乗艦させる。12月5日に南緯55度の氷海へ進入後、南極リュツォ・ホルム湾沖の昭和基地への接岸を目指す。復路は2月中旬に出発、3月13日に氷海を離脱後3月18日にフリーマントルで観測隊員69人を退艦させ、4月10日に東京晴海へと帰国する。総行動日数151日、南極行動日数99日、総航程約18000マイル。物資輸送は往路1、017トン、復路は約470トン(廃棄物等持ち帰り物資)

しらせ
幼稚園児もお見送り
30年続く乗員の活力 
 10月20日、横浜市の野庭幼稚園及び並木幼稚園の園児ら約190人が横須賀地方総監部逸見岸壁に係留中の砕氷艦「しらせ」(艦長・日高孝次1海佐)を訪問した。園児らの「しらせ」訪問は、2代前の砕氷艦「ふじ」に乗艦していた元隊員が同園で働いていたことが縁で昭和59年から続けられており、今年は30回目を迎えた。暖かい日差しが降り注ぐ岸壁で、お見送り会が始まった。はじめに園児からの言葉のプレゼントとして「お船に呼んでくれてありがとうございます。南極では病気やけがに気をつけてお仕事がんばってください。僕たち、私たちもお友達と仲良くします」と元気な声が響いた。続いて艦長、副長、先任伍長、曹士代表それぞれに、園児から花束が贈呈され、激励の旗振りダンスが披露された。かわいらしく一生懸命なダンスに隊員たちも頬を緩ませ、日高艦長からは「今年の旗体操はこれまでで一番上手でした。とても元気をもらいましたので、艦長たちも南極で一生懸命仕事をしてきます」とお礼を述べた。また、今年はお見送り会30周年の記念として、「しらせ」から両幼稚園長に記念の盾が贈呈された。
 その後、各グループに分かれて艦橋や食堂、理髪室などの艦内見学を行い、園児たちは、見慣れない艦内の様子や制服姿の海上自衛官を見て、少し緊張した様子だったが、隊員たちがわかりやすく説明すると、徐々に緊張が解けて楽しそうに見学していた。艦の大きさに戸惑いながらも、普段足を踏み入れることのない飛行甲板や遠くまで見える双眼鏡など、艦の備品に触れながらしっかりと広い艦内を見学する姿は、来年小学校へ進学する子供たちのたくましさを感じさせるものであり、しらせ乗員も、南極への出航に向けて活力をわけてもらった。

伊藤呉総監に米国勲功章
次期太平洋軍司令官が伝達
 呉地方総監・伊藤俊幸海将は11月4日、在日米海兵隊岩国基地において、米太平洋艦隊司令官・ハリー・B・ハリス大将から米国勲功章(Legion of Merit)の伝達を受けた。同勲章は、米国の国防・安全保障に功績のあった外国高官等に対して、米国大統領の承認に基づき国防長官から授与される。伊藤海将は、平成22年7月から同25年8月までの間、海上幕僚監部指揮通信情報部長および海上自衛隊第2術科学校長を歴任した。その間の実績が日米共同運用の向上と日米軍人間の関係の深化に対する顕著な功績として認められた。
 今回勲章伝達の労をとったハリス大将は、在日米軍での勤務経験もある大の親日家として知られ、伊藤海将とはワシントンD.C勤務以来旧知の間柄でもある。来日の機会を捉えて「是非とも自分から伝達を」との強い思いから、ごく短い滞在期間の極めて厳しいスケジュールの合間を縫って岩国滞在1時間の間でこの伝達が行われた。
 ハリス大将は、神奈川県横須賀市生まれ。日本女性を母親に持ち、日系米国人として初めて海軍大将の階級にまで上り詰めた。次期米太平洋軍司令官に指名されており、米国上院の承認を経て、近く就任することとなる。太平洋軍司令官は、統合幕僚長・河野克俊海将のカウンターパートに当たり、日米共同統合運用の強化に対する一層の貢献が大いに期待される。

在天の御霊に誓う航空無事故
第31航空群
PS-1事故殉難者を慰霊
 第31航空群(群司令・大瀬戸功海将補=岩国)は、9月30日、PS-1 5803号機航空事故殉難者の慰霊並びに青島島民に対する感謝状の贈呈を行った。
 PS-1 5803号機は、昭和59年2月27日、四国沖の訓練海面へ進出中、伊予灘の愛媛県大洲市青島北西1・2マイルの海面に墜落し、機長(故・道永2海佐)以下12人の搭乗員総員が殉職した。
 本慰霊は、事故発生海面及び愛媛県大洲市青島に建立された5803号機の慰霊碑において、殉難隊員12柱の御霊を慰霊するものであり、群司令以下19人が参加した。
 慰霊碑が建立されている青島までは、岩国航空基地から約30NM、岩国航空基地隊所属の設標救難船で約3時間の航程であり、途中、事故現場において群司令による献花に続き、第71航空隊司令(立石和孝2海佐)がお神酒を供え、その後英霊に対し総員による敬礼を行い志半ばにして職に殉じられた12人の御霊を慰霊し青島漁港に入港した。
 青島は、かつて住宅約200戸、島民数百人を数える漁業の島であったが、過疎化により現在は17人まで減少し高齢化も進んでいる。そのような状況下でも、花を手向け、慰霊碑を大切に守ってきた島民の皆様に対し、群司令から感謝状の贈呈が行われた。
 参加隊員は、島民に感謝しつつ改めて航空事故殉難者の慰霊碑周辺の環境整備を行い、清められた慰霊碑前で黙祷、献花に引き続き、総員による敬礼を行う慰霊行事を実施した=写真。
 この日参加した隊員は、30年もの長きにわたり我々の慰霊行事を支援して下さる青島島民の温かい心に触れ、航空無事故への誓いを新たにさせ帰路についた。

松前町民五輪に
松前警備所が参加
 函館基地隊松前警備所長・中田悦司2海佐以下9人は10月13日、新生松前町発足60周年記念行事松前町民オリンピックに参加した。これは、昭和29年の町村合併により、誕生した「新生松前町」の発足60周年を記念して、開催された町民自由参加の運動会である。
 台風19号が接近中であり、気温17度と、やや肌寒い曇天の下、石山松前町長の開会宣言に引き続き競技が開始された。松前警備所は団体、個人戦合わせ10種目中9種目にエントリー、所長を筆頭に、もっこリレー、大声大会等に出席、競技の経過に一喜一憂の歓声が上がり、参加者とともに、楽しく体を動かした。
 閉会式では、テレビや本マグロ一本等の豪華賞品が当たる大抽選会も実施され、当選者が発表される度に、歓声が上がり、盛会のうちに閉会した。
 松前警備所チームは、地域住民との交流をより一層深めることができた。

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