防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   887号 (2014年7月15日発行)
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海自特集
海を守るわれら
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派遣搭乗員帰投
22航空隊
 5月16日、京都府舞鶴市に所在する第23航空隊(司令・山内康司1海佐)は、ソマリア沖・アデン湾における派遣海賊対処行動水上部隊への派遣護衛艦「さみだれ」にSH60K型哨戒ヘリコプター1機をもって乗組んだ派遣搭乗員(派遣隊長・野蕪N也3海佐以下8人)の出迎えを行った。
 航空機から降りてきた搭乗員8人は、舞鶴市議会議員、地域協力団体等、隊員家族及び基地の隊員に見守られる中、野部h遣隊長が力強く帰投報告を行い、山内司令は「君らが時には危険を顧みずに行ってきた任務が、国益をしっかり守るとともに、我が国の発展、ひいては国際社会の安定につながる有意義な活動であったことは明白」、「しばらくは家族とともにゆっくりと疲労の回復に努め、また新たな気持ちで勤務に励んでもらいたい。」などと訓示した。
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慰霊祭参列
対馬防備隊
 対馬防備隊(司令不在のため上対馬警備所長・山口正光3海佐)は5月27日に行われた対馬市上対馬町西泊地区主催の日本海海戦慰霊祭に参列した。今回の慰霊祭は1905年5月27日から2日間に及ぶ海戦にて日本海軍お連合艦隊とロシアのバルチック艦隊が戦った対馬沖にて眠る日露両国の英霊に対する慰霊を目的としたものであり、自衛官としての知識見聞を広める良い機会であった。
 慰霊碑の建立された殿崎公園は対馬の北部、上対馬に位置し、景観豊かな位置に新緑の山と群青の広がる海に面した景勝地である。また近隣には第22航空群等が離島慣熟訓練等で使用する殿崎ヘリポートを有している。
 慰霊祭当日は前日の雨も上がり、好天に恵まれ多数の地元対馬の参列者や対馬在島の陸海空自衛官が参列し、挙行された。
 対馬防備隊ラッパ隊の吹奏で日露両国旗、自衛艦旗、Z旗を掲揚し、紺碧の海、対馬沖に眠る約5千数百人の英霊に対し参列者一同で黙祷を捧げた。
 また、殿崎公園にはロシア兵士上陸地点があり、この日本海海戦において対馬の人々が島の各所に流れ着いた兵士たちを分け隔てなく手当てをし、負傷した兵士たちは対馬の方の暖かい人情に接し、回復したと語り継がれている。
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「久松5勇士」
46掃海隊
 4月22日、沖縄基地隊所属の第46掃海隊(司令・加藤寛和2海佐)及び「あおしま」(艦長・松葉元昭1海尉)は宮古島(平良港)に入港し、乗員有志による「久松五勇士顕彰碑」の奉仕活動(清掃)を実施した。
 日露戦争時、ロシアのバルチック艦隊が宮古島付近を北上し日本本土へ向かうのを島民が発見。当時、宮古島には電信施設がなかったため、漁夫5人が派出された。久松五勇士とは、宮古島から電信施設のある石垣島まで約170キロの距離を「サバニ」と呼ばれる小さな木製の小舟で、荒波の中15時間かけ30キロの山道を走破した勇気あるこの漁夫5人の呼び名である。
 久松五勇士の話は、現在も宮古島及び石垣島では「郷土の英雄」として語り継がれており、奉仕活動に参加した乗員有志も愛国心及び自己犠牲の精神を再認識するとともに、英雄の功績に敬意を払い、汗を流した。
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100q行事完遂
22航空群
 第22航空群(群司令・西成人海将補)は5月28、29日の2日間、飛行幹部候補生鍛錬行事の一環として100k行軍を実施した。この行軍の目的は飛行幹部候補生の気力の充実と体力練成を図ることであり、毎年実施している。
 行軍コースは長崎市の女神大橋を始点とし大村湾沿いを約半周する地域特性を生かした総行程101・4kの経路で、飛行幹部候補生8人のほか大村航空隊基地所属の有志隊員を含む総勢39人で敢行した。
 天候にも恵まれ行軍途中の休憩地点等では自衛隊父兄会、協力団体の激励、長崎地方本部の支援を受けつつ地道に歩を進めた。夜間には疲労の他眠気との闘いを強いられたが、風光明媚な大村湾沿いの風景に心安らぐこともあり、夜が明けるころには意識が朦朧とする中互いに励ましあい歩き続け、初夏の陽気の暑さと疲労に耐えながら隊員の暖かい拍手と笑顔に迎えられ目的地である大村航空基地に総員で到着することができた。
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UH60J初号機除籍
大村航空隊
 5月30日、UH―60J初号機の8961号機は、大村航空基地において航空機としての用途を終え、除籍した。61号機は海上自衛隊の救難航空機S―61Aの後継機として平成3年12月9日、性能試験、運用試験等のため第51航空隊に配備され、厚木航空基地隊救難飛行隊を皮切りに下総、鹿屋及び八戸各航空基地で運用された。
 その後、平成19年度の海上自衛隊の体制移行により第22航空群隷下に新編された第72航空隊に配備され、主として大村航空基地及び徳島航空基地において運用された。
 同機は救難に携わる部隊の特性ともいえる緊急時の即応性を維持し、荒天下における長時間に及ぶ厳しい運用にも十分に応え、約22年6カ月にわたり実に地球36周半に相当する距離を飛行した。
 この間、航空救難待機、艦艇への輸送及び89件の急患輸送に従事するなど、救難・輸送任務の第一線で活躍し、海上自衛隊の任務遂行に寄与するとともに多くの人命を救ってきた。除籍前日の29日には、61号機を保有する72空(司令・木内啓人1海佐)が同機の除籍セレモニーを執行し、第22航空群司令、西成人海将補以下、大村航空基地所属の100人を超える隊員たちが見守る中、機長中村3海佐(87飛幹候)による最後の飛行を終えた。セレモニーでは機長の帰投報告、群司令に対する72空司令の61号機の除籍報告及び同機の略歴紹介に続き、隊員一同からの花飾りを捧げ、お神酒を奉奠し長きにわたる同機の活躍を労った。
 セレモニーを終えた後も隊員達はそれぞれに思い思いに61号機を感慨深く眺め、機体を撫で、一緒にカメラに収まる等厳粛の中にも隊員一同の心のこもったセレモニーとなった。
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火山観測で感謝状
72空鹿屋分遣隊
 第72航空隊鹿屋航空分遣隊(隊長・今西良昭3海佐)は6月2日、気象庁長官から感謝状を贈呈された。毎年6月1日の気象記念日に気象業務へ協力又はその発展に貢献した団体及び個人が気象庁長官から表彰されており、今回72空鹿屋分遣隊が平成23年1月19日以降、51年振りに噴火した新燃岳(霧島山)の火山活動をUH―60Jにより観測支援している功績が認められたものである。
 鹿屋分遣隊は平成22年以降、桜島をはじめとする南九州の火山活動に伴う観測支援を続けており、飛行回数は延べ20回に達している。
 最近、新燃岳の活動は小康状態を保っているが、桜島は依然として火山活動が活発化している。
 今回の表彰を機に鹿屋分遣隊隊員一同「平素からの活動が国民一人ひとりの役にたっている」との思いを新たに任務へのまい進を決意した。
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巨大プロペラ切断
艦船補給処

 艦船補給処(処長・松浦清1海佐=田浦)は6月16日、17日、除籍に伴い不用となっていた護衛艦「はるな」型の予備プロペラ(直径4メートル、重量約11トン)2枚及びシャフト(長さ約18メートル、重量約17トン)などを処分した。
 この予備プロペラは「はるな」型2番艦「ひえい」の除籍後に不用決定され転活用等の所要がなかったことから処分されることになった。しかし大型で重量物であり倉庫から搬出するだけでも相当な手間がかかるため処分業者との契約条件が合わず現在まで存置されていた。
 艦船補給処では「いずも」などの新型艦の予備品格納スペース確保のため、昨年度倉庫内のリロケーション(配置換え)等を実施し、処分予定の物品を搬出しやすい位置に変更した結果、処分業者との契約が成立し処分が実施されることとなった。
 プロペラ1枚切断するのに約3時間、シャフト1本を切断するのに約2時間を要した。作業を行った処分業者は「初めて自衛艦のプロペラとシャフトを切ったが予想以上に硬かった。作業は予定通り安全に行うことができた」と語った。
 海上自衛隊の現在の大型艦艇のプロペラはほとんどが可変式プロペラを採用しており、予備プロペラは羽根とボスが別々に保管されている羽根とボスが一体で直径が4メートル近い固定式プロペラは、護衛艦「しらね」型のプロペラを残すのみとなった。


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