防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   881号 (2014年4月15日発行)
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寄せ書き
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チームを考える大切さ
第13普通科連隊(松本)3陸曹 飯嶋 健
 この度、私は冬季山地訓練に参加しました。訓練は、想像を絶する厳しいものであり、同時に素晴らしい我が国の景色に感動し、まさに充実した4日間となりました。真剣に訓練し、技術を残してくれた過去のアルペンレンジャーの諸先輩方のお蔭であり、私は感謝の気持ちで訓練する事が出来ました。夏山も厳しい事には変わりありません。しかし、冬山は気温、天候が著しく変わり準備の万全、これに尽きると訓練を通じて体得しました。準備とは命を預ける資材の整備はもちろん、服装・気持ち・普段言われている事・当たり前の事であり、どれか一つでも欠落していれば大きな事故の要因となり、怪我ばかりか生命に危険も及ぼすという事を体得しました。また、仲間との信頼、全力を出し、訓練する事の素晴らしさ、厳しい環境の先にあった答えは大きな感動でした。技術において印象に残ったのは、アイゼン登行です。しっかりとアイゼンに乗る。ピッケルの要領の演練もしかり、課題も残ったのも事実です。しかし、逆を言えば、課題があるからこそ成長できるのであり、成長出来ると前向きに考えています。一緒に同行して下さった教官方の技術には脱帽でした。そして、教官の言葉は、特に印象に残っています。「危険箇所でも素直に教えを守り、実行していれば確実に登行出来る」という言葉です。山での勝手な行動はやってはなりません。自分の事でなく、チームを考える。それが任務成功の近道です。今回の訓練を通じて得たものは、今後の自衛隊生活で大きく生きてくると確信しています。それを生かすのは自分自身と思っています。日々の行動においてももう一度振り返り、血肉としていけるようこれからも頑張っていきたいと思います。
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小銃小隊長を見据えて
第33普通科連隊(大宮) 3陸尉 村山輝明
 今教育は、私にとってとても良い経験になりました。また、教育とは一人の力ではなく部隊及び各隊員の協力があって完遂できるものであると改めて感じました。
 私にとって今教育は、ただの基本教育ではなく、色々な意味のあるものでした。色々な意味とは三つあり、一つ目は、任務である被教育者に対して到達基準に準ずる練度を付与することです。それは即ち、被教育者が小銃小隊に配置後困らないように、教範事項に基づく原理原則を教育史、その基板となる知識と技能を身に付けさせることです。二つ目は、自分自身のスクリアップの場、即ち教育者としてまた小銃小隊長としての知識および技能を高める場です。私は、昨年度幹部初級課程に入校しましたが、幹部初級課程では全員が小銃小隊長をできるわけではなく、各項目ごと役職小隊長が指名され、指名された者だけが実施の場を与えられます。教育に参加した方は知っていると思いますが私は、小銃小隊長として実員指揮を実施したことがありません。だから来年度小銃小隊長として部隊を指揮するであろう私にとってこの教育はただの基本教育ではなく、実員指揮による実践の場であり、命令下達及び戦闘指導も実施できるいい機会と捉えていました。また、教育者として人に物事を教えるためには、それ以上の知識と技能がなければならないと考えていたので、改めて教範をひも解いて勉強するいい機会でした。三つ目は、自己の経験の場であり、色々な制限(時間・場所・物等)がある中での計画作成・教育の実施及び物量的尺度・時間的尺度を計る場です。通常、陸曹特技(中級)課程は陸曹教育隊の様に環境の整った所で実施するものであるため、それを自隊で実施することは自体、多少の制約はありました。また、10週間で実施する教育を4週間で実施しなければならなかったり、教育に必要な人員(教官・助教)・装備品等が自隊にはなかったりと様々な制限がありました。しかし私にとっては、この制約等の処置・対策を考えること自体が大切なことであり、結果としては連隊、業務隊及び各中隊の御協力・御支援のおかげでなんとか対処することができましたし、良い経験になりました。
 この教育を振り返って、まずは他職種を含む色々な隊員との出会いがあり、特には非常に大変でしたが、この教育の教官を実施できて本当に良かったと思います。また、来年度小銃小隊長を実施する上でも少し自信が付きました。
 最後のこの教育に御協力・御支援頂いた連隊、業務隊及び各中隊に感謝の意を表すとともに、教育に携わった支援教官・助教として参加した皆様に心から感謝申し上げます。そして被教育者達の新天地での更なる活躍を祈念します。
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過去の大戦から得た教訓
第7普通科連隊(福知山)陸士長 岸本陽子
 今回、第57回西部防衛衛生学会に参加して、どの講演も衛生としてだけでなく、自衛官として勉強になるものでした。特に、印象深かったのが総監訓話でした。
 総監訓話の中で、大東亜戦争(ガダルカナル島の戦い)を例に掲げ、日本軍の戦死者2万2千人のうち、直接戦闘で戦死した者は4割、残りの6割は伝染病による病死等の非戦闘損耗によって敗れたもので、治療、後送、防疫、衛生資材の補給等、適切な衛生支援が如何に人的戦闘力の維持増進に繋がるかという重要性を再確認させられました。
 私は、このガダルカナル島の話を衛生科隊員のみならず、すべての自衛官に知ってもらいたいと思いました。なぜならば、救護支援や衛生教育の際に、衛生技能が軽んじられていると感じる事があるからです。日本は60年以上戦争をしていないため、戦傷病に対して意識が低い事はある意味仕方がないことですが、いざという時により多くの人を助けるためにも衛生科は重要な役割であると共に、一般隊員も最低限の技能を習得しておくべきだからです。
 昨今、救急法検定が施行され、衛生科以外の職種にも衛生知識に触れる機会が増えました。
 この機会を利用し、衛生の重要性を普及していきたいと思います。
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小山町内一周駅伝三連覇
普通科教導連隊(滝ヶ原)3陸曹 南 健志
 2年前7区アンカーの中村2陸曹が1位でゴールした時の興奮は今も忘れることはありません。「やっと勝てた…!」あれから二年まさか第3中隊が三連覇できるチームになるとは夢にも思いませんでした。
 私が、はじめて小山町(静岡県駿東郡小山町)駅伝に参加したのは、11年前持続走練成隊を挫折し、一人で走っている自分に、同じ営内班の先輩が声をかけてくれたのが参加のきっかけでした。同じ営内班員と仲の良い者数名(持続走経験者は自分だけ)の寄せ集めのメンバーで参加し、10位以内に入ることができました。今では第3中隊の持続走練成の指導者となり毎年希望者を募っては参加するようになりました。
 参加する目的は、順位・記録など関係なく楽しく走ることで少しでも走ることが好きになり、「自ら走る人が増えれば良いな」と言う考えでした。しかし、毎年のように連隊持続走競技会において優勝する第2中隊を見て羨ましくなり「どうせやるなら優勝したい」と思うようになりました。しかし第3中隊は持続走経験者などが少なく、10位以内に入るのがやっとで、第2中隊のBチームにも勝てない状況でした。もう優勝することを諦めかけていた2年前、転入者や新配置隊員で陸上競技経験者が数名入って来た事もあり、優勝出来る戦力が整いました。それでも勝てる確率は40%程度と思い、臨んだ大会でみんなが必死に襷を繋いでくれて、ついに優勝することができました。
 この経験を通じて感じたことは、結果が出ないからといってすぐに諦めず、長い目で見て目標に向かって取り組むことが大事だということです。
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防医大看護学科一期生として
防医大看護学科入校予定 坂田彩華(新潟地本投稿)
 私が防衛医科大学校看護学科に魅かれた理由は大きくは二つです。一つは看護師になりたかった事。もう一つは海外や被災地での医療活動に参加できる事です。
 私は、幼い頃に貧しい国や紛争がある国、災害や飢餓で苦しむ子供たちがいるという事を知り、そんな苦しんでいる子供達のために何かしたいとの思いを抱き将来は医療分野に携わりたいと思っていました。
 防衛医科大学校看護学科のパンフレットには、災害派遣や国際平和協力活動などといった活動のことも書かれていました。そのような活動に参加できれば、自分のやりたいことの一つが叶えられると思いました。また近年は災害が多く発生し、自衛官が働く姿をテレビや新聞でみることが多くなり、私もその中の一人として被災地の人たちの力になりたいと思いました。
 合格が決まり、今はとてもうれしいです。どんなことを学べるのかとわくわくしています。特に学びたいことは、どのように患者さんと向き合っていくかという事です。看護師について調べていた時に、看護とは「病気ではなく人を看る仕事である」という事が分りました。私自身も病院に行った時に看護師さんに話しかけてもらったりすることで安心できた経験があり、将来は患者さんから安心感や信頼感が得られる看護師を目指したいです。そのため大学校では、患者さんとの向き合い方を学び考えたいと思っています。
 うまくやっていけるかという心配もありますが、今まで応援し見守ってくれた方々のおかげで合格通知をもらうことができた事を忘れず、また期待に応える事ができるように精一杯努力していきたいと思います。
 春からは新しい友達と充実した学校生活を送り、有事の際は頼りになる看護師たる幹部自衛官になれるよう防衛医科大学校看護学科の一期生としての自覚を持って頑張ります。
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海の仕事にあこがれて
一般幹部候補生(海)入校予定 中澤修司(新潟地本投稿)
 私は、26年年度から海上自衛隊の幹部候補生になることになりました。
 そもそも私が自衛隊の中でも海上を選んだ理由は、父がタンカー船の航海士をしており、海の仕事にあこがれを抱いていたからです。日本は四方を海で囲まれた海洋国家であり、資源を海外からの輸入でまかなっています。その際、タンカー船等の海上輸送が中心となりますが、周辺国との安全保障環境が厳しい状況の中、様々な外的脅威から日本の生命線である海上輸送を守り、国民の安定した生活を守りたいと考え、海上自衛隊を志望しました。
 大学では民法を専攻し、部活動は写真部に所属していました。
 あまり体力には自信がありませんが、幹部候補生学校では体力に自信がなくても、段階的に体力を向上させるように練習が組まれているため、入隊後は体力錬成に励みたいと考えています。
 自衛隊の幹部は国防の最前線で様々な判断を下す立場にあり、時には命にかかわるような重大な判断を迫られることもあります。そのため幹部候補生学校では、自衛隊の幹部に必要な教養や体力を身につけ、また困難が立ちはだかっても乗り越えていけることができる精神力を鍛えるために、日々の授業や訓練を精一杯頑張ります。そして、日本の国防を担う海上自衛隊員として、責任を持って職務を全うできるように頑張りたいと思います。
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かたいもんそを通じて
第12普通科連隊(国分)3陸曹 田島政彦
 国分駐屯地(司令 照沼敏 一陸佐)が、平成25年11月4日から担当している地元霧島市のコミュニティーFM番組「きりしまの自衛官とかたいもんそ」の第九回目の放送に出演することとなり、滅多にできない経験をすることができた。
 参加者は、MCの連隊本部の総務幹部、第1科から1科長、人事陸曹、広報陸曹である自分、そして急遽参加することになった第3科運用訓練幹部の計5名で放送日3月3日のひな祭りに相応しくないメンバーで実施された。
 放送時間は30分と長くはないが、生放送ということで緊張してしまい、声が上擦ってるのが自分でも分かる程であった。
 番組内容は,霧島の特産品を鹿児島弁で紹介するもので、普段使いなれていないせいか鹿児島弁のイントネーションで話せても言葉が出てこなく話が途切れることもあった。又、特産品も知らないものがあって、霧島に関しての知識不足を認識することと併せて、貴重な体験をすることができた。
 これを機に霧島市に関することを勉強し直して、機会があれば再度ラジオに出演し広報活動、市民と自衛隊の融和に邁進していきたい。

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