防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   2012年11月1日号
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寄せ書き
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娯楽のような2重生活
305基通中八戸派遣隊 2陸曹 平塚 恵

 平成24年3月末、私は夫を青森に残し、八戸での新しい生活をスタートさせました。自ら望んで赴いた新天地の環境は、私にとって非常に過ごしやすいものでした。
 私の異動先は、前の部隊の派遣隊です。そのため、業務内容が以前とほとんど同じであることから、私は最初からスムーズに動くことができました。また、同僚の方々の大半が顔見知り。誰もが親切かつ礼儀正しいので、コミュニケーションに苦労することもありません。前の部隊で学び損ねた様々な知識を吸収していく毎日に、私は新鮮な歓びを感じ続けています。
 もちろん大変なこともあります。週に一度の割合で私は青森の夫のもとに帰っていますが、建築士である夫は、毎日が演習であるが如く深夜まで仕事をしているため、残念ながら夫には家事をこなす余裕がありません。私は八戸の官舎と青森の自宅の両方の家事をこなす必要があるのです。
 とはいえ、それも私が選んだ生活。綺麗にした部屋で夫に感謝されると、達成感もひとしお。青森八戸間の往復200キロは、時間帯と経路を選んでわくわくドライブ。官舎に残ってゴロゴロするのも、また一興。
 こうした、私にとって娯楽のような2重生活は、周囲の人々の理解によって成り立っています。心優しき夫と個性溢れる同僚に囲まれ、私は本当に幸せ者です。

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「パパお帰りなさい」
102特科直接支援隊(八戸) 1陸曹 國分裕次

 私の幸せは風呂上がりのビールと、娘の出迎えである。家に帰ると娘が「パパお帰りなさい」と満面の笑みで出迎えてくれる。この瞬間、仕事の疲れも吹っ飛び、明日も家族のために仕事を頑張ろうという気持ちになる。
 このように娘が出迎えをできるようになったのも、つい最近である。現在6歳の娘だが、3歳の定期検診で障害が発見された。紹介された病院で受診すると、知的障害と睡眠障害と診断された。幸い睡眠障害については手術と薬の投与で改善でき、知的障害については焦らず、怒らず、気長に物事を進めること、そうすればいずれ言葉を話すようになるとのことだった。
 それから4歳でいくつかの言葉を話し、5歳で私が「ただいま」と言うと「ただいま」とオウム返しで答えてくれるようになった。
 6歳のある日、いつものように帰宅し「ただいま」というと「パパお帰り」と満面の笑みで出迎えてくれた。これが今、私の一番の幸せです。

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臨時広報で貴重な体験
第6通信大隊(神町) 3陸曹 佐藤秀也

 6月下旬から約3ヵ月、神町駐屯地業務隊広報班で臨時勤務しました。初めての広報勤務でしたので、すべてにおいて未知な部分ばかりで前任者の業務をしっかりと引き継ぎ、駐屯地の顔としてやっていけるのか不安で一杯でした。
 前任者からの申し受けの期間は1週間のみ、その後は前任者が北方演習へ参加することとなり軽易に連絡が取れなくなるため、業務について一つ一つ念入りに確認し、抜けがないよう準備しなければなりません。
 いざ駐屯地広報係として勤務が始まると、初めの1週間は部外の方からの電話対応、駐屯地見学・施設利用の申請の調整などに追われ大変苦労しました。しかし普段、職務中に一般の方とあまり会話する機会のない自分にとってはとても新鮮であり、やりがいのあるものでした。
 一般の方が駐屯地見学に来られた際に「自衛隊さん頑張ってるね」などの言葉をかけていただいた時は大変嬉しく大きな励みになりました。その反面、駐屯地の部隊で不祥事が起きた際は、自衛隊を応援してくれている方々の信頼を裏切るようでとても悲しい気持ちになりました。
 初勤務から2ヵ月が経ち8月25、26日にかけて行われた部外の方々を招待した親子キャンプでは参加者の方から「来年も参加したい」「とても楽しかった」など多数の喜びの声をいただき、広報班長はじめ広報班の少ない人員で各種調整、準備を2週間かけて行ってきたことが報われ、成功に繋げられたことに大きな達成感と自分にとって何より大きな自信となりました。初めはつらく大変だった広報班での勤務も、終了した今では、大きな糧となり、今後の自衛隊での勤務へ活かせる貴重な経験となりました。
 今後はこの経験を活かし、日々自分を向上させ部隊にますます貢献できるよう頑張っていきたいと思います。


「頑張っています」新しい職場
活躍するOB シリーズ
(株)エムケービジネス 中寺則昭
焦らずゆっくり構え幸運待つ
中寺氏は平成22年11月、第2飛行隊(旭川)を1陸尉で定年退職。55歳

 平成22年11月をもって無事国防の任務を終え、現在は旭川市内にある病院で守衛勤務(夜間受付業務)主に夜間救急車の受入(カルテの作成)を実施しています。ようやく足掛け2年になりました。勤務は男性中心の自衛隊勤務から、一変して女性中心の勤務となり、まして救急車対応となると、患者さん・看護師対応と苦労話は沢山ありますが、今回は仕事を選んだ理由、自分なりのちょっとしたポリシーを書いてみたいと思います。
 何せ就職難の真最中での退職のため、即、次の仕事が決まるとは思っていませんでした。まして自分のやりたい仕事なんて贅沢な選択だと思い、むしろ付配置の期間(3ヵ月)中に決まれば儲けもんとの思いで、駆け足などをやり健康増進に専念していました。
 ちょうど付配置になって1ヵ月が経過した頃「病院勤務(夜間守衛)があるけど、どうですか」との連絡があり、私は即「よろしくお願いします」と返答しました。
 決断した理由は、その1「援護担当官が部隊の後輩で話しやすかった」その2「病院は一般の旭川の企業より安定している」その3「守衛勤務は人とあまり関わらないから自分には向いている」の3つです。後日詳しい勤務内容・給与を聞き、その3はちょっと違いましたが。その後、面接、採用通知と、とんとん拍子に進み、2ヵ月の研修という名の実戦が始まりました。そこで良かったことは、自衛官2名の採用予定であったことと、職場に自衛隊のOBが3名勤務していたことです。これでいかに気持ちが楽になったか、初めての勤務場所では誰と話していいのか戸惑いますが、同じ自衛官だと話しやすく、やはり心の友だと実感しました。    
 勤務が始まって1ヵ月、ストレスMAXの時に自衛官同士での夜の団結会を実施しエアー抜き、やはりOBが勤務していると勤務場所の裏事情など、様々なことで心強いと感じました。
 私が思う新勤務場所における心構えとしては、自衛隊生活、どれだけの地位で勤務し後輩や部下がいたかも知れませんが、新しい職場ではニューフェイス、新人です。いかに頭を下げられるか、これが勝負かもしれません。これはOBの皆さんは絶対に言うことだと思います。そして私は、3年間は「丁稚奉公」、3年を過ぎると、ようやく自分の居場所や地位が確立すると思って勤務をしています。
 再就職にあたって、好きな仕事を出来れば一番いいのですが、もし何をやりたいのか悩んでいたら、高い給与に目を眩ますより、これだけは出来ないという仕事を自分で確認して望む方が、後々になって良かったと思う確率が高いと思います。2回目の職場で歳も歳だし笑って楽しい職場環境がベストですね。少子高齢化で年金が支給(概ね65歳)されるまで健康で元気に就職出来る場所、そして最後の決断は自分自身です。焦らずゆっくりと構えて幸運を待ちましょう。


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