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自衛隊ニュース   2012年10月15日号
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防衛副大臣に長島昭久氏
大臣政務官は宮島大典氏と大野元裕氏

 民主党代表に再選した野田佳彦首相は、10月1日に第三次改造内閣を組閣した。森本敏防衛大臣は留任。副大臣、政務官人事は2日の午後の閣議で決定し、防衛副大臣に長島昭久衆議院議員、防衛大臣政務官に宮島大典衆議員議員・大野元裕参議院議員が就任した。長島副大臣は平成21年9月から22年9月まで防衛大臣政務官を務めた。
 また、今回の新人事に伴い、3日には渡辺周前副大臣、下条みつ・神風英男両前政務官の離任行事、4日には新副大臣、新政務官の着任行事がそれぞれ行われた。
 長島昭久(ながしま・あきひさ)防衛副大臣
衆議院議員、民主党、東京21区、平成15年初当選、当選3期目
〈役職〉総理大臣補佐官、国家基本政策委員、防衛大臣政務官、党副幹事長、党国対副委員長、党政調副会長
〈経歴〉出身地・神奈川県横浜市、昭和37年2月17日生まれ50歳、慶応大院法学研究科修士課程修了、衆院議員秘書、米国ジョンズ・ホプキンス大高等国際問題研究大学院修士課程修了、慶応大院非常勤講師
 宮島大典(みやじま・だいすけ)大臣政務官
衆議院議員、民主党、長崎4区、平成10年初当選、当選2期目
〈役職〉党副幹事長、安全保障委理事、海賊・テロ特委理事、総務委理事、憲法審査会幹事
〈経歴〉出身地・長崎県佐世保市、昭和38年6月6日生まれ49歳、一橋大社会学部卒、参院議員秘書、県議
 大野元裕(おおの・もとひろ)大臣政務官
参議院議員、民主党、埼玉選挙区、平成22年初当選、当選1期目
〈役職〉党副幹事長補佐、内閣委理事、決算委員、拉致問題特委員、ODA特委員、党インテリジェンス・NSCワーキングチーム座長、党首都中枢機能バックアップワーキングチーム事務局長
〈経歴〉出身地・埼玉県川口市、昭和38年11月12日生まれ48歳、慶応大法学部卒、国際大国際関係学修士課程修了、在シリア日本大使館1等書記官、中東調査会上席研究員、防衛省防衛戦略委員会委員


東ティモールPKO4次隊が帰国
派遣先のUNMITは年内で業務終了

 9月19日に現地での派遣活動を終了した第4次東ティモール国際平和協力隊員(舘野智成1陸尉、中村陽1陸尉=いずれも中央即応集団司令部所属)の帰国出迎えが9月24日、防衛省で行われた。
 02年に独立した東ティモールの治安悪化に伴い06年に設立された国連東ティモール統合ミッション(UNMIT)は、本年12月31日に業務を終了する予定。10年9月から始まった自衛隊からの派遣は約半年のスパンで2名の要員を交替してきたが、今回の4次隊で最後となった。歴代UNMIT派遣要員は、非武装の軍事連絡要員として東ティモール国内2ヵ所に1名ずつ配置され、担当区域内の国境監視所や村落を訪問。治安状況や経済の状況などについて聞き取りによる調査を実施し、UNMIT本部へ報告を行った。
 出迎え当日に取材を受けた4次要員は、現地の情勢について、「特に大きな騒乱はなく治安は安定している」(舘野1尉)、「任務である地方の村々を巡回しての情報収集の際に車両を運転したが、インフラが未発達で道路状態が大変悪かった」(中村1尉)などとコメントした。丸2年間で4次述べ8名に及んだ歴代派遣要員は、前述のように、未舗装で劣悪な道路インフラや英語が母国語でない現地民への聞き取り作業など、地域特性に伴う様々な困難を乗り越えて任務を完遂。いずれの要員も、堅実な仕事ぶりがUNMITと東ティモール関係者から高い評価を受けた。


絆を更に強固に
4師団が米海兵隊と国内で実動訓練

 陸自第4師団(師団長・武内誠一陸将)は8月19日から30日まで、日出生台演習場で「国内における米海兵隊との実動訓練」を行った。
 訓練を担任した日米の部隊は、第41普通科連隊(連隊長・岡本良貴一陸佐)と米海兵隊第3海兵師団戦闘攻撃大隊(大隊長テリー・パーステンボー中佐)で機能別訓練と総合訓練を実施。
 米海兵隊とともに訓練開始式を行い、両統裁官が式辞を述べた。岡本連隊長は「訓練は日米同盟にとっても極めて有意義で重要だ。経験豊富な皆さんから多くのことを学びたい」と述べ、パーステンボー大隊長は「共同訓練は長い歴史を持ち、相互に学び合い、部隊の即応体制の維持のために極めて重要だ」と述べた。
式終了後、連隊主催によるウェルカムパーティを行い、そうめんなどの日本料理を振る舞って米海兵隊員との親睦を深めた。
 20日から開始された機能別訓練では第一線救護、ヘリボン訓練、接敵機動訓練、乗下車訓練、実弾射撃訓練を行い、日米相互の戦闘技能・戦術行動に関するノウハウをそれぞれ修得し、隊員各個および部隊の練度向上を図った。
 25日には下士官交流、史跡研修、ホームビジットを実施。米海兵隊員たちは日本の歴史と文化を肌で感じていた様子だった。
 機能別訓練の成果を踏まえ悪天候の中、始まった総合訓練では接敵機動、米軍との調整、超越交代、へリボン戦闘の一連の行動を2夜3日にわたり実施、共同作戦能力の向上を図った。


最後の別れを惜しむ
山口県甲飛会が解散式

 永きにわたり戦時の勇ましさと、当時の闘士を互いに称えあうため、昭和52年12月に発足した「山口県甲飛会」が、会員の高齢化および減少に最早、抗する術もなく、今年をもって惜しくも解散することとなり9月27日、解散式が行われ山口駐屯地から音楽部が演奏で協力した。
 山口県甲飛会とは、昭和12年に航空戦力の拡充のため搭乗員の大量養成が必要となり、従来の少年航空兵を乙種飛行予科練習生と称し、あらたに旧制中学校4学年1学期予期修了以上の学力を有し、年齢は満15歳以上20歳未満の志願者から採用甲種飛行予科練習生制度が設けられ、約2年半の厳しい教育を受けた勇士たちの集まりである。
 「最後の会を華やかに締めくくりたい」との強い思いから、「山口駐屯地音楽部に軍歌を演奏してもらい、有終の美を飾りたい」と山口駐屯地に依頼があり、諸先輩方の勇士に敬意を表し、当日は「軍艦行進曲」や「海ゆかば」など、旧日本海軍に縁のある6曲を演奏。会員たちは昔を思い出し、涙を流しながら声高らかに演奏に合わせて歌い上げていた。
 解散後、会員たちは酒を片手に集うことを約束。戦友に別れを告げ、山口県甲飛会の30有余年の歴史に幕を閉じた。


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