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自衛隊ニュース   2012年10月15日号
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「規律正しく、活躍期待できる」と好印象
鳥取地本が支援した美保基の体験搭乗で
退職自衛官雇用企業主など参加

 鳥取地本(本部長・住谷正仁1陸佐)は9月22日、鳥取地本が就職援護する退職自衛官雇用企業主等18名の航空自衛隊美保基地研修の支援を実施した。鳥取地本は、美保基地計画の体験搭乗を通じ、退職自衛官雇用のため、勤務する自衛官の勤務状況や勤務環境を説明した。企業主からは、「規律正しく、一般社会で必要な素養があり、就職後の活躍が期待できる」との声があった。
 体験搭乗は、航空自衛隊第3輸送航空隊に配備されている輸送機YS-11、C-1が飛行したが、雇用企業主等の家族の方から、「貴重な体験ができた」、「よい記念になった」、「違う航空機にも乗ってみたい」等とあり、就職援護のほか、自衛隊広報、募集広報に繋がった。
 今後、鳥取地本は「各種広報の機会を通じ、募集・援護・予備自衛官等業務の一体化した広報を実施したい」としている。


雪月花

 テレビドラマ「坂の上の雲」を見てから一度行ってみたいと思っていた中国の大連に行ってきた。反日デモで北京や青島などは大荒れの時だったがここは無風だった。日露戦争の主戦場になった旅順港も快晴だった。高台から見える範囲には中国の5隻の艦艇が係留されていた。1904年当時のロシア艦艇もこんな風景だったのかもしれない、数も50隻余と威容を誇っていたのだろう。旅順港の入り口は岬が両手で欠けた輪を作ったようにくびれている。日本海軍はロシア艦艇をここに封じ込める作戦を実行した。273mの入り口に日本の艦船を自爆沈没させたのだ。身動きの取れなくなったロシア艦隊を攻撃する見事な戦略だった。この時自沈する福井丸からの退船に遅れた杉野孫七兵曹長を探す広瀬中佐の「杉野はいずこ」は筆者が子どもの頃までよく聞かされたものだ。後に軍神と称えられる広瀬武夫中佐である。旅順港閉塞作戦で福井丸を沈める重りに使った石が日露戦争終結後海中から引き揚げられその一片が岡山県奈義町の陸自日本原駐屯地の屋外展示場に飾られている、そして大阪・玉造の真田山陸軍基地には日露戦争で散った400余柱の墓碑もある。静かにたたずむ歴史の証人たちは今なにかを語りたいはずだ。


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