防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   2012年6月1日号
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「感動と勇気を与えてください」田中大臣
防衛省でロンドン五輪出場内定自衛官を激励・見送り

 5月17日、防衛省でロンドン五輪出場内定自衛官に対する激励・見送り行事が行われた(写真)。内定者10名(全12名のうち試合・合宿参加で2名欠席)は、第1省議室において、田中大臣をはじめ副大臣・事務次官等を前に、自己紹介や意気込みを語った。
 「目標は金メダルです!」(湯元2陸尉)、「メダルを取って(故郷福島県の)良いニュースになれるよう頑張ります」、(須佐3陸尉)、「国民に勇気と感動を与えられるよう頑張ってきます」(山崎2陸曹)、「最後まで諦めず、メダル獲得をしてきます!」(富井3陸曹)。
 大臣は、内定者に対して、「選手の皆さんの努力に敬意を表します。オリンピックで日頃の練習の成果を如何なく発揮して、確たる成績を収めて頂きたい。我々に感動と勇気を与えてください」等の激励の言葉を送った。その後、内定者は庁舎1階ロビーに集まった隊員の盛大な拍手と歓声に送られ、田中大臣に力強く敬礼。ロンドン五輪での健闘を改めて誓った。
 「想像以上の盛大な激励・見送りに、『ロンドンでは負けられないな!』という気持ちになりました。結果を残して(自衛官の)皆さんの励みになれたらと思います」(高桑3海尉)、「『お前が競技で頑張っているから、俺たちも頑張れる』など、(出身部隊の)仲間からいつも温かい言葉を受けています。ロンドンで良い結果を残して、それがみんなの活力になったら嬉しいです」(山中陸士長)。

※ロンドン五輪出場内定自衛官〔レスリング〕▽女子48kg級・小原日登美1陸尉▽フリー66kg級・米満達弘3陸尉▽フリー55kg級・湯元進一2陸尉▽グレコ66kg級・藤村義2陸曹〔ボクシング〕▽フライ級・須佐勝明3陸尉▽ウエルター級・鈴木康弘3陸尉▽バンタム級・清水聡3陸尉〔近代五種〕▽男子・富井慎一3陸曹▽女子・山中詩乃陸士長〔ライフル射撃〕▽谷島緑2陸曹〔水泳〕▽200m個人メドレー・高桑健3海尉▽〔陸上〕▽50km競歩・山崎勇喜2陸曹


橘剣士が日本一に輝く
全日銃剣道大会で初優勝
板妻34普連チーム

 第34普通科連隊(連隊長・斎藤兼一1陸佐=板妻)は4月15日、日本武道館で開催された全日本銃剣道連盟主催の第56回「全日本銃剣道優勝大会」に参加し初優勝、日本一の栄冠を手に入れた。
 大会は東日本大震災により2年ぶりの開催となった。試合はすべて予選を経て選抜された5名を1チームとした団体戦方式で行われた。Aグループ(一般)とBグループ(防衛省)に分けられ、Bグループはさらに1部(陸自の普通科・特科・戦車連隊〔群〕、施設群、特科教導隊、空挺大隊群)と2部(海自、空自、1部出場以外の陸自)に区分された。34普連は65チーム389名参加のBグループ1部で戦った。
 初戦で2特連(4—1)、続いて46普連(5—0)、20普連(5—0)、15普連(4—1)、14普連(4—1)、決勝では42普連と技を競い合い3—2で勝利。見事、初優勝した。

【34普連「橘剣士」】
先鋒=菊池貴文3陸曹(2中)、次鋒=鳥澤俊輔3陸曹(4中)、中堅=荻田修弘2陸曹(3中)、副将=村山貴彦2陸曹(5中)、大将=勝又秀太3陸曹(2中)


五輪体操選手が小牧基地を訪問
お父さんは自衛官

 5月21日、航空自衛隊小牧基地をロンドンオリンピックに出場する体操選手、寺本明日香さんが訪れた。明日香さんの父親は第1輸送航空隊第401飛行隊所属の寺本1空曹。
 小牧基地司令の荒木淳一空将補は「高校生とは思えないくらい、しっかりしていますね。期待しています」と明日香さんを激励した。
 明日香さんの可愛らしい笑顔の中に決意が見てとれたひとときだった。


米5空司令官が操縦経験を語る
JAAGA創立15周年

 日米エアフォース友好協会(JAAGA、元航空幕僚長・吉田正会長)の総会と講演会、親睦会が5月18日、グランドヒル市ヶ谷で行われた。同友好協会は航空自衛隊と米空軍の相互理解と友好親善を支援する組織で、主に空自OBらで構成されている。
 15周年記念講演では、米第5空軍司令官兼在日米軍司令官であるバートン・フィールド中将が「第5世代戦闘機」と題して自ら操縦経験があるF—22について語った。360度の捜索範囲を持つパッシブのセンサを併用することで相手より先に探知できステルス性の真価が発揮できるなどの話に皆、聞き入った。
 親睦会は岩崎統幕長、片岡空幕長をはじめ現役空自幹部や歴代空幕長など錚々たる顔ぶれで、JAAGAの創立15周年を祝った。


海外からの便り
ジブチ ゴラン
初心忘れず「兵站」極める
中央即応集団司令部(朝霞) 1陸尉 板垣 通夫

 ジブチ共和国における任務も2ヵ月を終え、折り返し点に達した。我々補給整備班の業務は警衛隊が保有する装備品等の維持・管理、現地における操縦手の練成、車両の管理を含む輸送業務支援など幅広い。日本とは全く違う劣悪な道路環境下で、かつ操縦する車両は左ハンドルのマニュアル車であるが、我々は事故を起こすことなく現在まで任務を完遂してきた。
 また、アフリカ特有の酷暑、砂塵による器材の不具合など発生する事案は、その都度、班が保有する各機能の専門性を駆使して問題点を排除し克服する。その際、海上自衛隊及び中央即応集団司令部との連携が必要不可欠である。海外における統合作戦において、まさに補給整備の実践の場に立っている事を実感する。それと同時に沢山の人々の協力により、その業務が成り立っていることを心から感謝している。
 私が補給整備の道を志したのは約10年前だ。それまで普通科連隊で弾薬手から分隊長までを経験した。陸曹となり、第一線部隊の苦労や実情を知る者が補給業務に携わる必要があると考え、需品科の幹部自衛官になった。イラクでは撤収業務を、東日本大震災時は統合任務部隊、司令部では糧食関係の幕僚として勤務してきた。
 困難な状況に追い込まれるたびに、第一線で泥にまみれ汗を流す隊員の事を思い浮かべる。その隊員のために何が出来るかが残された自衛隊生活におけるテーマでもある。初心を忘れる事なく自分の選んだ「兵站の道」を徹底的に極めていきたい。

厚生に尽力充実発展図る
第1空挺団(習志野) 1陸尉 竹内 義和

 私の所属している輸送班の任務は生活物資(食糧品、水、日用品など)をキャンプ及び工場へ輸送することです。私は輸送計画陸曹であり、その任務は輸送に関する計画、調整及び車両配車です。ゴラン高原に派遣され2ヵ月が過ぎましたが、一番苦労していることはインド、フィリピン及びオーストリアの方との調整であり、言葉の壁があることです。派遣当初はインドの方の英語のなまりが強く、何回も聞き直したりもしましたが、1ヵ月経過すると何となく聞き取れるようになってきました。「ワタル」「ナンバル」「ドール」…… 今の私には「水」「番号」「ドア」と聞こえるようになりました。
 次にゴラン高原周辺の交通事情についてですが、イスラエル側の交通事情は日本とはあまり変わらないと感じました。違う点としまして、制限速度が平均80?と速いのですが、車の流れは非常にスムーズです。また、ロータリーが多く、信号の役割をしているせいか車が止まることが滅多にありません。それ故、路肩に止まっている故障車も多く見受けられます。
 反面、シリア側は常に集中をして走らなければならないほどの環境です。逆走、無灯火、割込、急停止、人の飛び出しなど日本ではあり得ないことが常に待ち受けています。キャンプに帰って来た時には、くたくたになっています。
 このような環境で日々任務をこなす輸送班全隊員の運転技術は、派遣当初よりも見違えるほど向上し、運転のプロとしての自覚が出てきています。
 帰国まで、精一杯UN要員として安全に輸送任務を完遂し、無事みんなで日本へ帰ることを想いながら頑張ります。

プロの自覚 悪環境克服で
第2後方支援連隊(旭川) 2陸曹 遠藤 裕樹

 私は2012年1月からアフリカのジブチ共和国に派遣され、派遣海賊対処行動航空隊の業務隊厚生幹部として勤務しています。
 私の任務は活動拠点内にある厚生施設の維持・管理・運営を行うことです。拠点内にある厚生施設は図書室、家族通信用のITルーム、体育館及びトレーニングジムなどがあります。それぞれの施設を使用して、日本から遠く離れたアフリカの地で任務に就いている隊員が、日々の余暇を有意義に過ごしています。
 厚生施設の従業員は、現地の人々が主であり、日本語をほとんど話せないので、彼らとのやりとりは英語を中心にコミュニケーションをとっています。派遣当初は、現地の従業員の人達の国民性がどのようなものなのかが分からず、どうやってコミュニケーションをとったら良いか分かりませんでしたが、こちらから積極的に話しかけることにより、次第に打ち解けられるようになり、業務を円滑に実施できるようになりました。
 帰国するまでの残りの期間、現地の従業員の人達と連携し、隊員たちが課業外に充実した生活を送れるように厚生面の充実・発展に尽力したいと思います。


雪月花

 防衛省から歩いて15分の距離に宮城道夫記念館がある。ここ牛込中町は宮城さんが昭和5年から晩年まで居を構えていたところで閑静な住宅地だ。館内には筝曲のBGMが流れ愛用の琴やパスポート、点字タイプライターなど遺愛の品々200点が展示されている。宮城さんは戦中戦後にわたり活躍した琴の大御所としてあまりにも有名だった。今でも新年のテレビやラジオからは氏が作曲した「春の海」や「越天楽変奏曲」が流れ「いいなあ!」と感じるのが大方の日本人ではないだろうか。宮城さんは琴の演奏家であり作曲家であり随筆家で発明家でもあった。洋楽も演奏するために音域を広げた八十弦の琴や17弦の琴、低音と音量を増やすための大胡弓などを考案した。8歳で失明したが14歳で名曲「水の変態」を作曲した。昭和28年には生涯一度の海外ツアーで英国BBCで放送もしている。遺品には懐中時計も並べられているが針を触って30秒単位まで分かったという。屋敷内にある離れは作曲や著作の時に利用し「検校の間」として保存されている。昭和31年、演奏旅行の途中、愛知県の刈谷駅で急行「銀河」から転落し62歳で亡くなった。筆者はこの時の大きな新聞見出しの記事を鮮烈に憶えている、偶然この記念館を知り半世紀前のことを思いだした。気持ちが素直になれるここを散策コースに入れられることをお勧めしたい。


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