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自衛隊ニュース   2012年3月15日号
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航空救難団空輸戦技競技会を実施
入間ヘリコプター空輸隊が2連覇を達成

 平成23年度航空救難団空輸戦技競技会が2月20日から2月23日までの間、那覇基地及び浮原島訓練場並びに周辺空域において行われた。
 この競技会には、三沢、入間、春日、那覇の4個ヘリコプター空輸隊から、隊長以下、機長、副操縦士、機上整備員、空中輸送員、整備員あわせて11名の精鋭が参加し、日頃の訓練の成果を競い合った。
 21日から行われた競技では、「飛行」「整備」「指揮所活動」の3部門が実施され、各種目の評価を総合した結果、入間ヘリコプター空輸隊が2連覇の栄冠を勝ち取った。
 飛行部門では、飛行競技と地上競技に分けられ、飛行競技では、脅威下での緊急空輸(航法)、浮原島訓練場でのホイストによる人員貨物の吊り下げ及び同訓練場と南浮原島間における機外懸吊を実施した。また、地上競技では、那覇飛行場着陸後、那覇ヘリコプター空輸隊エプロン地区における貨物搭載を実施した。
 整備競技では飛行前及び飛行後の点検を実施させ、安全確実な動作及び状況付与による不具合等の発見状況等について評価した。
 また、指揮所競技では、山林火災に対する災害派遣の状況付与に対する指揮所活動を実施させ、その活動状況について評価した。
 各隊とも隊長の的確な指揮のもと、日頃の訓練成果が随所に表れており、各隊の戦技競技会への積極的な取り組みと意気込みを強く感じさせた。


「修武台記念館」がリニューアル
伝統を継承、教育の場に

 航空自衛隊入間基地内にある「修武台記念館」。平成18年1月に閉館してから6年余の時を経て3月1日リニューアルオープン。関係各者や来賓などを迎え修武台記念館開館記念式典が行われた。
 昭和13年陸軍航空士官学校の学校校舎として誕生、第2次世界大戦後は米軍の司令部としても使用し、その後航空自衛隊の施設となった。昭和61年には航空の歴史と先人達の遺徳を紹介するために「修武台記念館」となり、多くの見学者が訪れた。
 今後は、航空史だけでなく航空自衛隊史、航空自衛隊としてのよき伝統や先人の業績に思いを馳せ、肌で感じる場として、自ら考え学習する教育の場として使用されていく。
 片岡空幕長は式辞で「自らの組織の歴史と伝統にほこりを持つことにより、隊員の精神的基盤の強化に繋がっていく」などと述べた。


海自横須賀水泳部がスポーツ栄光章受賞

 2月11日、神奈川県横須賀市内で「平成23年度横須賀市スポーツ栄光章」の表彰式が行われた。様々なスポーツ種目で国際的な大会に出場または全国大会で上位入賞を収めた選手やチームに対して同市から贈られるもので、本年度は個人59名、12チームが選出され、海自横須賀水泳部は男子及び女子の2チーム、個人では10名が賞状とメダルを授与された。
 個人部門では、日本実業団大会で個人優勝を飾った北田健太郎3曹(横衛生)、中村隆彦3曹(横教)の両名をはじめ、西尾幸治1曹(横教)、古賀武文2曹(東京業務隊)細井成2曹(横教)、古賀早紀3曹(横造補所)、長屋有紀3曹(横教)、伊谷温子1士(体校)、田中咲紀1士(厚空基)、上名主里美1士(館空基)、西尾未苗1士(111空)がそれぞれ受賞した。またチーム部門では、男子チーム代表の榊原里志3曹(さわゆき)、女子チーム代表の小笠原舞3曹(横潜基)が受賞した。
 平成23年度を輝かしい成績で収めた横須賀水泳部。水泳部監督・林秀一1尉(横教)は「選手一同は、もう次を見据えてスタートを切っている。来年もこの輝かしい賞を受賞する選手が一人でも増えることを期待する」として、各部外水泳競技での選手のさらなる飛躍と上位入賞を目指す。


56期生が修了式迎える
職業能力開発センター

 自衛隊中央病院職業能力開発センター(センター長・神藤良作事務官)の第56期生修了式が3月8日、田部井貞明人教局給与課長ら多数の来賓を迎えて三宿駐屯地で行われた。今期修了生は9名で、約1年間にわたって木工、プログラム開発、建築設計、情報システム、一般事務の科目を履修してきた。
 午前10時に開会し、はじめに神藤センター長が厚生指導成果を報告、修了生について「部隊においても新局面を開くにふさわしい基礎的技能を確実に身につけた」と述べるとともに、一人ひとりに修了証書を授与した。
 次に修了生から申告が行われた後、小林秀紀中央病院長の式辞を副院長の後藤達彦陸将が代読し、「新たな能力を身につけた諸君は、部隊に復帰し再び自衛隊のため国民のために勤務に励み、何が起ころうとも初心を忘れることなく、さらに精進して素晴らしい自衛官となっていくことを願っています」と期待の言葉をかけた。
 続いて来賓からの祝辞と祝電を受けて、修了生代表・酒谷昌典3陸佐が答辞を述べた。その中で酒谷3佐は、関係者に感謝の気持ちを表しながら、「本センターにおいて習得した知識・技能を自らの人生の糧の一つとし、それぞれの勤務地・補職で余すところなくそれを生かし、それぞれ残された勤務期間において、自信を持って積極的な貢献を果たしていく所存です」と今後の意気込みを示した。


雪月花

 あの大震災から1年が過ぎた。「自衛隊さんありがとう」の声をたくさん聞いた1年だった。全国から参加したボランティアの活躍にも圧倒された、何万人なのか何十万人なのかおそらく正確な数は出ないのではないか。被災地の復興は思うに任せられないが被災者の頑張りには頭が下がる。先日の東京マラソンでは南相馬市の56歳の市長さんが完走した、「心ひとつに南相馬市の復興を」のタスキをかけて42・195キロを完走した。リーダーの意気込みに地元の人たちは奮い立たされたことだろう。まさに今からが復興の正念場だ。あの当時、「10万人も災害に出て国防の方は大丈夫?」よく聞かれた。3・11直後からわが国に接する国では動きが慌しかったからだ。領有を巡る日本海や沖縄近海では特に目立った、北の国に対する空自のスクランブルも二倍に増えた。「24時間体制で情報収集を行い警戒体制を強化しているがその時には災害出動中の隊員も即時その体制をとるだろう」私見をまじえて説明した筆者に納得してくれたかどうか。もうひとりの友人「災害出動のための自衛隊ではないでしょう、他の国が行かない所にPKOで日本の自衛隊ばかりがどうして行かなければならないの!」。本来任務と付随任務、そのかね合いの説明は難しい、長い説明になったが満足してくれた顔ではなかった。


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