防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   2012年1月15日号
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寄せ書き
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3つの感謝を胸に
第43普通科連隊(都城) 3陸曹 長谷場智彦

 昨年12月1日に待望の長男、煌希(こうき)が生まれた。この長男の誕生で3つの感謝の気持ちを感じた。
 1つ目は妻、こずえへの感謝である。生まれる前の日まで家事を行い、分娩時に叫び苦しんでいる妻を見て泣きそうになっている私に「大丈夫だよ」と声をかけてくれ、生まれた後はクタクタになりながらも長男を抱きかかえ、ほほえんでくれた。そんな妻を見て幸せを感じたと同時に感謝の気持ちでいっぱいになった。
 2つ目は息子の煌希への感謝である。身長50センチ、体重3155グラムの標準ではあるが、生まれた時は小さく弱々しく感じた。しかし第一声の泣き声はすごく大きくて、感動し涙が出たと同時に父親としての自覚が芽生えた。「生まれてくれてありがとう」と感謝したい。
 3つ目は周囲の方への感謝である。私と妻の親にはもちろんであるが、特に中隊の方々に感謝している。予定日を過ぎ、心配している私にアドバイスをしていただき、また生まれた日はお祝いの言葉をいただくなど、気遣っていただいた。こんなにも私のことを思ってくれているのだと思うと涙が出そうになった。
 このように私は泣き虫であるが、この3つの感謝を忘れずに妻と息子を守る覚悟と、中隊との絆を大事にして日々精進していきたい。

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市民と一体となる
第7普通科連隊(福知山) 2陸士 河本拓也

 私はこのほど、福知山市三段池総合体育館で行われた第8回「北近畿の都・福知山産業フェア」で音楽支援を行いました。内容は開会式のファンファーレとステージ演奏でした。
 福知山産業フェアは多くの市民の方々が集まり賑わう催し物です。沢山の人の前で演奏するのは久しぶりなので緊張しましたが、会場の雰囲気もよく、気持ちよく演奏できました。
 ステージ演奏は懐かしの曲から最新の曲まで様々でしたが中でも今年、ドラマの主題歌で人気となった「マルマルモリモリ」を演奏すると、踊ってくれる子供もいて演奏しているこちらまでとても楽しい気分になりました。
 今年もこのような支援に参加できる機会があれば、さらにレベルを上げてよりよい演奏をしたいと思います。

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2人のために頑張る
第36普通科連隊(伊丹) 3陸曹 木本寿誠

 昨年6月19日に第2子「隆聖」が誕生しました。長女「絵茉」との仲睦まじいツーショットです。
 お母さんの母乳を沢山飲んでスクスク育っています。笑って泣いて大きくなっていく2人を見守りつつ、これから頑張ろうと思います。

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一家でツーリング
第318基地通信中隊大津派遣隊  3陸曹 渡邉恵美

 私は2年程前にバイクの免許を取得しました。夫に出会う前は全く興味がなかったのですが、夫と夫の両親に出会いバイクの楽しさを知りました。
 夫とは月に一度、夫の両親とは年に2度ほどツーリングに出かけています。バイクは車と違い、春夏秋冬を全身で感じることができます。また、旅先で同じ趣味を持つ人々に出会いコミュニケーションを図ることもできます。
 目標は「一家で北海道一周」。そして最終的には「アメリカ大陸横断」を目標にしたいと思っています。

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初任務ラジオ出演
掃海母艦ぶんご 海士長 野田慎太郎

(熊本地本投稿)
 私はこのほどハイスクールリクルータとして約1ヵ月間、八代出張所に勤務しました。募集広報の仕事は初めてでしたので何かと戸惑うこともありましたが、八代所の方々のご指導のもと無事終えることができました。
 着隊して初めての任務はラジオ出演でした。原稿を読むだけだと聞いていたので安心していたのですが、予行練習時に時間が余ってしまい、本番では趣味や休日の過ごし方についての質問に答えることとなり、とても緊張しましたが何事もなく終えることができました。
 勤務期間中は今年度自衛隊を受験する志願者に対して資料の配布をしたり、募集対象者の自宅を訪問して採用試験に関する説明や部隊での生活、自分の体験談をお話ししたりと普段なかなかできないことを経験しました。
 現在、私が所属している艦でも広報活動はあります。呉や寄港地に停泊している際に、一般の方々に艦の中を見学していただいたり、艦の装備について説明したりしています。これからはこの1ヵ月間勤務して学んだことを活かして、率先して自衛隊のすばらしさを伝えていきたいと感じました。

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将来の夢は自衛官
会津若松市立湊中学校 3年生 加藤翔太朗

(福島地本投稿)
 私の将来の夢は自衛官になることです。
 心を決める一つの出来事がありました。そうです、東日本大震災です。
 私の父は若いころ自衛官でした。そのため私は小さいころから、父の自衛隊での体験談をよく聞かされていました。内容は厳しさに関することでした。一つは訓練の厳しさで、もう一つは上下関係の厳しさについてです。耳にたこができるくらい聞かされました。楽しい話はほとんどありません。自衛官になろうとは、これまで考えたことは一度もありませんでした。
 今回の東日本大震災における自衛隊の方々の活躍には目を見張るものがありました。人命救助はもちろん支援物資の供給、行方不明者の捜索、ガレキの撤去など被災地の方々のために、色々な仕事をしていました。また被災者の方がお風呂に入れずにいたとき、お風呂を作り入れてあげている映像を目にしました。そのときの被災者の方の顔は忘れられません。
 幼いころ父がすすめる自衛官という職業につくことは嫌でたまらなかったはずなのに、今回の出来事で自衛隊のみなさんの骨身をおしまず人を助けようとする姿を見て自分も将来、人の役に立てるこの職業につきたいと強く思いました。
 最近になってまた父から自衛隊の話を聞く回数が増えてきました。父は決まって言います。「きびしいけれど、やりがいのある仕事だ」と。
 なぜ自衛隊の訓練が厳しいか、いまになってわかったような気がします。それはどんな困難だろうと前向きに考えるため、また強い心を作るための訓練なのだと思います。そして父が私に自衛官になることをすすめる気持ちも、いまは理解できます。「厳しさ」から逃げるのではなく、それを受け入れて強く大きな人間になりたいです。

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人の話は「聴く」
第32普通科連隊(大宮) 陸士長 志賀一也

 私は新隊員課程後期の班付として教育に参加しました。自分に教育や服務指導ができるのか、と不安でしたが「やるしかない」と心に決めて教育に臨みました。
 教育が始まると毎日、沢山の問題が起きました。特に苦労した点は、退職の申し出をしてくる隊員への対応でした。教育が始まってすぐに3名の班員から「辞めたい」という申し出がありました。私はどうしていいか分からず戸惑いましたが、班長と連携を図るとともに、話を「聴いて」やることが大切だと思い、班員の話を課業外に夜遅くまで「聴き」ました。3名に共通していたのは環境の変化による不安と、教育への不安でした。私は彼らの不安を解消し、立派な隊員になって欲しいという一心で毎日話す機会を持ち、彼らと正面から向き合いました。結果、2名が退職を撤回しましたが、1名は退職することとなりました。退職した隊員とは最後まで真剣に話をしたせいか、お互い笑顔で別れることができました。
 今回、多くのことを学びました。中隊長が以前、言っていた「人の話は聞く(耳で音や声を感じとる)のではなく聴く(耳を傾け注意して聞き取る)ことが大切だ」という言葉の意味を少し理解できたような気がします。これからは今回の教育の経験を活かし頑張っていきたいと思います。

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じゃじゃ麺が自慢
第102特科直接支援隊(八戸) 陸士長 菅原 仁

 自分の出身地である岩手県盛岡市の自慢として、「じゃじゃ麺」というおいしい麺料理が挙げられる。じゃじゃ麺とは、茹でたうどんのような麺の上に肉味噌、刻んだ胡瓜、長ネギ、おろし生姜をのせ、よく混ぜて食べる料理である。お好みで酢、ラー油、おろしニンニクなどを混ぜてもよい。食べ終わった後は「ちーたんたん」という卵スープを頼むことができ、これがまたさっぱりとしていておいしい。
 元々全国的にはほとんど知られていない食べ物だったが、朝の連続テレビ小説「どんと晴れ」の劇中で、じゃじゃ麺を食べるシーンが放送されて絶大な反響を呼び、土日や連休などには長い行列ができるほどの人気が出た。県外からわざわざじゃじゃ麺を食べるために盛岡に来た、という人もいるくらいである。
 「冷麺やわんこそばは食べたことがあるが、じゃじゃ麺はない」という方は、ぜひ一度盛岡に来て食べてみていただきたい。


「頑張っています」新しい職場
活躍するOBシリーズ
岩沢測量コンサル 小笠原 俊彦
まだまだ勉強、勉強の毎日
笠原氏は平成22年8月、第2航空群司令部広報室を3海尉で定年退職。55歳

 私は一昨年8月5日第2航空群司令部を最後に無事35年間の勤務を終え海上自衛隊を定年退官しました。再就職は地元でのサービス業を希望しておりましたが、生活習慣病持のため健康に不安があり、この就職難の中、私を雇ってくれる企業があるか心配でした。何とか、就職援護室の尽力で地元の企業に無事就職する事ができ感謝しております。
 私が勤務する(株)岩沢測量コンサルは、八戸市内根城博物館近くにあり市内でも大手の測量会社です。我が社は、測量全般、地質調査、建設設計、土木設計、表示登記、各種申請及び補償交渉等幅広い業務を手掛けています。
 私は補償交渉班に所属し、地権者宅訪問等をしておりますが、最初のころ地権者宅を訪問したときには不審者のように思われたり、押し売りと間違われたり、言葉一言で相手に不信感を抱かせてしまったりと、失敗ばかりでしたが先輩から何度も指導を受けながら何とか頑張っています。又、測量の現場に出てもどこを測るかわからずおろおろしたり、測った場所の名前を言えず何を測っているのかと指導されたりで四苦八苦しています。再就職してから1年以上過ぎましたが、まだまだ勉強、勉強の毎日です。
 会社では、経験も浅く半人前の私ですが、自衛隊時代に培った気力と体力を維持し、司令部広報班での渉外業務経験を生かして会社に貢献できるように頑張って、働ける喜びを実感していきたいと思います。
 これから定年退職する皆さんは、健康には十分気を付け、持病をお持ちの方は治療をして、自分の希望する仕事ができるよう努力して下さい。又、早く自分で目標を立て必要な免許を取得するとともに、援護室に相談する事をお勧めします。
 最後に、自衛隊時代に御世話になった方々及び就職活動に尽力頂いた関係者に感謝申し上げます。
 皆さんも体に気を付けて頑張ってください。


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