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自衛隊ニュース   2011年7月15日号
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合格率1%の最難関を突破!
横内1尉が剣道八段に
現役自衛官4人目の快挙
補統本部

 5月1日、2日の両日、京都市体育館で行われた剣道八段審査会で、陸上自衛隊補給統制本部(十条)の横内良道1陸尉(50歳)がみごと合格し現役自衛官で4人目の剣道最高段位の取得者となった。
 八段審査は、七段取得後10年以上修業し、かつ、満46歳以上の修練者を対象に年に2回、京都(5月)と東京(11月)で実施されている。審査では、毎回千数百人を上回る受審者が審査員(八段範士)の判定を受けるが、一次実技で約90%が不合格となり、二次実技、形審査を経て最終的な合格者は毎回約1%にしか達しない最難関審査として知られている。
 横内1尉は、小学5年生で剣道をはじめ、少年工科学校(22期)に入隊後も剣道の修練を積み重ね、48歳で八段審査の受験資格を得て一昨年11月に初めて受審するも一次実技で不合格、昨年5月の受審は、一次実技は合格するも二次実技で不合格、同年11月の受審では一次実技で不合格と、連続して3度八段審査を受審したが合格は果たしていなかった。
常に平常心保つ
 4度目の挑戦となる今回は、自分の剣道が全くできなかった前回の二次実技の経験を生かし挑んだ。一次実技審査は、6人の審査員の前で規定時間2分間の中で2人を相手に試合形式の立会が行われ、初太刀の面を決めるなど有効打撃を奪い合格判定を得た。
 続く二次実技審査では、同じく2度の立会を実施し、9人に増えた審査員の前でも驚くほどの平常心の中で思いきった技を繰り出すことで突破。
 二次実技合格者が打太刀と仕太刀に分かれ2人一組で行う最後の形審査も太刀の形7本、小太刀の形3本計10本の堅実な形を披露し、みごと合格を勝ち得た。
 全日本剣道連盟規則などによると、合格のためには「理合」と「風格・品位」を持ち、「剣道の奥義に通暁、成熟し、技倆円熟なる者」であることが求められ、今回の審査では、2日間で46歳から86歳までの1532人が受審し、一次実技を148人(最高年齢83歳)、二次実技では17人(最高年齢62歳)が突破、最終の形審査を経て17人が合格を果たした。
 昇段を果たした横内1尉は、「剣道歴40年、これからが本当の修業の始まりであり、慢心することなく八段の名に恥じないように日々精進いたします」と抱負を語っている。


小学生に防災教育
久居駐屯地
 久居駐屯地では6月20日、津市立立成小学校3年生の駐屯地見学を受け入れた。これは、3年生の総合学習の中で、東日本大震災における発災当初から宮城県南部での、75日間に及ぶ駐屯地隊員の災害派遣活動や、防災教育を目的に見学を行ったもので、3年生110人が午前10時、小雨降る中、6人の先生に引率されて駐屯地正門に元気よく到着した。
 当初、厚生センター入口でクラス毎に記念写真を撮り、体育館に準備された会場で広報幹部から「災害は必ず来る」「地震が来たら」「あなたの家族は大丈夫ですか?」などのプロジェクターを使用しての教育を通じ、物心両面の準備の大切さ、緊急時の家族との連絡法等の防災教育を受けた。
 その後、立成小学校3年生の父兄で東日本大震災で災派活動に参加した清原2曹より、宮城県岩沼市での被災地の状況や行方不明者の捜索等の話が始まると、生徒達は真剣な眼差しで話に聞き入っていた。
 教育終了後の質問では、「派遣中、自衛隊の皆さんは何を食べていましたか」「災害派遣に使う道具は、何を持っていますか?」など、数多くの質問が生徒達からあった。
 その後、3個クラスに分かれ駐屯地施設、東日本大震災に伴う災害派遣の活動写真展示、人命救助セットの各車両装備品展示などを見学した。初めて見る自衛隊の装備品にびっくり、エアーポンプを踏んで、ふくらむゴム製のジャッキを交代しながら体験した。
 駐屯地での総合学習を終えた児童達からは、「自衛隊の事が解ってよかった」との声も聞こえた。最後に見学を支援した広報の要員に児童全員で「ありがとう」と挨拶し駐屯地を後にした。

大学生が臨地実習
大宮駐屯地

 大宮駐屯地(司令・山澤將人陸将補)は6月6日〜10日及び6月13日〜6月17日の間、20人の城西大学薬学部学生の臨地実習を受け入れた。
 これは平成17年度から大宮駐屯地が城西大学からの依頼で実施しており、学生は期間中、業務隊糧食班において、検収・調理・配食・献立等の実務を実習した。
 実習生は最初、大量の食材と大型器材設備、広い食堂・厨房に圧倒されていたが、糧食班管理栄養士等の指導の下、日が経つにつれ実習にも慣れ、真剣に取り組んだ。
 特に今年度は東日本大震災の派遣隊員が多く所在する大宮駐屯地での実習に食の重要性を再認識するとともに、終了後の所見では「隊員から大きな声で『いただきます』と挨拶され規律の正しさも学んだ」また「『美味しかった』と言われた時は嬉しかった」「充実した実習になった」と感想を語り、この経験を将来に役立てたいと抱負を述べ駐屯地を後にした。


自衛隊サポーターズ
『自衛隊に触れて貰いたい』本田 功さん
「友の会」に携わり30数年間

 「富山地方協力本部友の会」で事務局長を務める本田功さん(72)。旧富山地方連絡部友の会の会員になって以来30数年になる。「30数年前は、殺風景だった地連の周囲を少しでも華やかにしようと花を持参して飾るなどしました」と振り返る。地連、地本で働く自衛官、事務官らと長年交流を深め、草の根の活動を通し富山県の自衛隊を応援してきた。

 —自衛隊ファンになったきっかけを教えて下さい。
 本田 私は福島県出身なのですが、高校卒業後に上京して職業安定所に通ううち、広報官に自衛隊入隊の勧誘を受けて2年連続で採用試験を受験した経験がありました。身長不足と眼鏡着用のために不採用でした。
 その後、昭和53年頃に富山地連(当時)友の会に入会しました。某社の社長に「君も会員にしたから」と事後報告を受けてのことでした。数年してその社長が亡くなると、地連から連絡が途絶えました。地連に問い合わせたところ、退会扱いになっていたため、改めて入会しました。その後、会の理事・監事を経て、現在は事務局長として自衛隊を応援しています。
 横須賀で護衛艦「ひゅうが」、富山伏木港で南極観測船「しらせ」を見学したおり、それぞれの艦長自らご案内いただいたことが、30数年間の一番の思い出です。
 —友の会ではどのような活動を行っていますか。
 本田 昨年は、小松基地の航空祭の見学をバス3台で120名の参加を得て実施しました。また、金沢駐屯地の記念式典の見学を10名程の団体で参加しました。このほかにも、入隊希望者の発掘など、市民の皆さんに積極的にお声がけしています。現在も2名の希望者(音楽隊入隊希望)について、入隊案内書を請求しています。今後も、駐屯地、基地の研修や見学を積極的に働きかけていきたいと思っています。体験入隊も様々な企業に勧めていますが、未だに実現には至っていません。富山県には大きな駐屯地や基地がないため県民の自衛隊に対する認知度はあまり高くありません。しかし、それだけに「何とか盛り上げよう」という関係各位の熱意は強く、微力ながら「少しでもそのお役に立てれば」という気持ちで、応援を続けています。
 —最後に、今後の抱負をお願いします。
 本田 友の会活動を通じ地連、地本に出入りするようになってから、自衛官や事務官の方と親しく交流を持つようになりました。任務に対する熱意や想いに感銘を受け、意気投合した方も大勢いました。東日本大震災以来、自衛隊に対する国民の関心は高まっていますが、被災地以外では自衛隊と直接交流する機会がある方は未だ多くはないでしょう。一人でも多くの方に自衛隊に直接触れていただく機会を作れるよう、今後も努力を続けていきます。


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