防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   2011年2月15日号
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寄せ書き
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年男の抱負
都城援護センター(宮崎地方協力本部) 陸曹長 平部 雄
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 今年4度目の年男を迎え、自衛隊勤務も残すところ7年となりました。ラストスパートでがむしゃらに突き進むのみ!28年ぶりに故郷日南の地を踏み思うことは「住んで初めて見える故郷の華」ということ。今まで知らなかった日南市の素晴らしさを発見!
 宮崎地本都城援護センターに勤務して2年が経とうとしています。地本は、陸・海・空の自衛官、事務官が従事する異色な職場であり、それぞれの考え、発想が豊富で大変面白く、充実した日々を送っています。
 援護陸曹としては、笑顔が一番!短髪頭に苦虫噛んで、スーツを着ると「ヤ×ザかな?」。企業の方に「今まで何をしていたんですか?」と、遠回しに聞かれることも多く。笑顔が出来れば……と思います。また、我ら若輩者を育てていただいた先輩方を大切にし、自分をも成長させること!今年は、「心機一転!」初心に返り、援護業務に邁進していきたいと思っております。
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マイベイビー
第15普通科連隊(善通寺) 3陸曹 竹本 臣
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 子育てというのは非常に大変である。最近つくづく思わされる。
 娘は1歳と10ヵ月になるのだが、これがまた非常に元気。いつも家中を走り回ったり飛び跳ねている。外出先でも、あっちこっち走り回り非常に楽しそうである。おかげでこっちはへとへとに……。好奇心旺盛の為か、つい悪さもしてしまう。普段なら軽く「だめだよ」と言うところを疲れた時なんかは、つい大声で「ダメ!」と叫んだり、泣いても放っておいたりしてしまう。
 やり過ぎたかな、と後悔したり、反省するのはいつも娘の寝顔を見た時。自分の怒りを抑えて叱るのはとても難しい。自分の未熟さを痛感させられる。
 大変な中にも楽しいこと、嬉しいこと、幸せに感じる時もたくさんある。それもすべて、この子がいるからこそだと思う。
 我が子は宝。今の時を大切に子供と共に成長していきたい。

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キズナやっぱり絆
第33普通科連隊(久居) 3陸佐 常山真杉
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 数年前から「絆」という言葉をよく耳にしませんか。
 私のモットーは、「礼儀・絆・やせがまん」です。この言葉をモットーに決めた出来事があります。
 12年前、当時久居駐屯地にあった第116教育大隊で、1年間教官として勤務したとき、唯一、4月に新隊員が入隊し、区隊長として勤務できる機会を得ました。その時、隊員への「要望事項」を何にするかを考えることをきっかけに、初めて自分の人生を振り返り、人に要望する重要性を噛みしめながら考えました。学生の頃は、好き嫌いを前面に出し協調性の欠片もなく、自衛隊に入隊してからも「長いものには巻かれろ」状態で、さっぱりな人間でした。ただ一つ、親のお陰で必ずしていたことがあります。「あいさつ」です。
 平成6年に幹部に任官し、勤務した25普連(北海道・遠軽駐屯地)での誰にも言えないさみしさ、受け入れられた時の温かさにより、人との繋がりの大切さを肌で感じました。生活や仕事を通して、辛いときでも出せる「笑顔」の大切さ。これから生きていく上で自分らしさも確認させられた大切なひと時でした。
 今も私に大層なことは言えませんが、大事なのは、自分の本当の性格を知り、それを認める勇気と、少しでも変える勇気を持つこと……かな。キズナ……やっぱり絆。今の自分に再度言い聞かせています。
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初の器材管理換え
第5高射特科群(八戸) 3陸曹 木下あゆみ
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 第321高射中隊は、11月中旬、三菱電機(株)鎌倉製作所下志津出張所において、地対空ミサイルである改良ホーク改善V型の定期整備完了に伴う管理換え(受)を実施した。私は初参加であったため、管理換えがどのような手順で実施されるのか、また、操縦手として、目的地までのルートや首都高速道路の走行が初めてであったため、不安と緊張で前日は眠ることが出来なかった。
 管理換えは、業者立ち会いのもと、員数点検と外観点検等を済々と行い器材を受領した。受領後、中隊長が業者の方々に一言、「点検整備をしていただいた器材を受け、身の引き締まる思いです。これからも国防の為に尽力します」と感謝を述べた。この言葉を聞いて私は、更に訓練を重ね、器材操作の習熟と後輩隊員の育成に努め、東北の空の安全を守らねばと思った。
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高工校生徒の息子は私達夫婦の誇りです
池田由里子(三重地方協力本部、池田正春陸曹長夫人)
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 息子は中3の頃、地元の進学校を目指し勉強を頑張っていました。少年工科学校(現・高等工科学校)の1次、2次合格を頂きましたが、県立・私立高への志望は変わらず受験に取り組んでいました。息子はある日、「もし県立高が不合格で私立高に行っても何をしたいという目標がないので意味がないような気がする。僕は自衛隊(少年工科学校)に進む!」と言いました。私は、「自分で決めた道ならお父さんお母さんはどんなことがあっても応援するから」と答えました。
 迎えた着校日。父親は「2週間は頑張れ。それが過ぎたら大丈夫!」と激励しました。息子は2週間をがむしゃらに頑張ったそうです。後日、息子がこの2週間が今までで一番の苦難だったと言っていました。
 2週間後の入校式、自衛官となった息子は何かが変わっていました。学校の雰囲気、心地よい挨拶、生徒達のきびきびした様子に、私は少年工科学校が大好きになりました。15歳で親元を離れての生活は親が思う以上に大変な事ばかりだったと思います。幼い頃、気弱で弱虫だった子なので涙することも多かったでしょう。仲間との友情や区隊長・教官・班長への信頼を育み、自分自身で自力を養っていくことを覚えたのも、少年工科学校でなければ経験できなかったと思います。
日本一の「高校」
 親としては高等工科学校2年生になった今でも「さみしい」のが本音ですが、息子は日々成長し大人になろうとしています。勉強、クラブ活動、訓練を仲間と頑張っています。今でも週に一回の電話は欠かさずかけてきてくれます。
 思い出すのは、着校式の当日、ホテルのエレベーターの中で息子が口にした、「お母さん、僕はここ(少年工科学校)で頑張ると決めたから!今まで育ててくれてありがとう」という言葉です。少年工科学校に進んでいなければこんなに早く息子からいい言葉をもらうことはなかったでしょう(今でも私と息子の2人の内緒の話なのですが……)。
 今、高等工科学校生徒である息子は、私達夫婦の誇りです。何より、高等工科学校は日本一の高校です。
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パパになって
第6戦車大隊(大和)3陸曹 小野寺信一
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 はじめまして、小野寺優人です。パパ新一がいつもお世話になっています。今日は、作文が苦手なパパに代わって自己紹介します。
 僕は、平成23年1月15日に3690gで生まれました。ママは32時間半の陣痛と闘って勝ちました。女の人は強いです。パパもずっと一緒に頑張ってくれました。感動の対面だったけど、パパもママも僕が誰に似ているのか……ガッツ石松にしか見えないっていう顔をしていました。
 そんな顔をされても、あなた達のDNAですから……。看護婦さん達も、何かにつけて「大きいね」と言ってきます。周りが小さいだけだろ!純真無垢な赤ちゃんに大人達は残酷です。
 僕がまだママのお腹にいた頃、「マメちゃん」と呼ばれていた僕はどんな名前を付けてくれるのかドキドキして生まれてきたのにいつまで経ってもマメちゃんのまま。こんな時、お互い優柔不断のO型だから……とか、末っ子同士だから決められないね……と、傷の舐め合いをするパパとママに僕はガッカリです。そんな僕もO型かと思うと先行きが不安でなりません……。
 こんなパパとママだけど、一応子育て論があるらしいです。
一、デブにしない為、お菓子は与えない。
一、健康になる為、常に裸足で生活
一、インドア回避の為、ゲームは与えない。
 以下、同趣旨のため割愛します。ここで、親になったパパの心境を聞いて下さい。
 「優人」は字の通り、優しく、沢山の人に支えられているという意味を込めて名付けました。生まれたての我が子を抱いた時、しっかり守ってやらねばという強い気持ちが湧いてきました。これから先、少しずつ物事を覚えていく優人とともに、家族3人で成長していけたらと思います。まだまだ未熟な小野寺家ですが、変わらぬご指導をお願い致します。
 以上、新生小野寺家の速報を終わります。
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初めての実弾射撃
普通科教導連隊(滝ヶ原) 2陸士 溝口綾香
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 新隊員後期教育中で一番印象に残っていることは120mm迫撃砲の実弾射撃です。縮射弾射撃とは比べものにならない音と衝撃波にとても驚きました。以前から富士総合火力演習等で射撃の様子を見る機会は何度かありましたが、実際に近くで見るのは初めてで「ドーンッ」という大きな音と地面から伝わる振動に体が浮きそうになりました。
 自分の番になり副砲手として踏み台に登った時は、緊張で手に汗をかき、砲弾を落とさないようにするのと、分隊長の射撃号令に遅れないようにするので精一杯でした。初めて持った実弾の重さに装填もなかなか上手くいかず改めて自分の腕力の無さを知り、情けなく思いました。また、今回の射撃で、少しのミスでも着弾が大きくずれてしまう事がどれだけ危険な事なのかも、実際に砲測や観測をしてみて分かりました。
 この射撃で得たことを教訓に、今時分がやるべきことや出来ることを一生懸命にやり、誰からも頼られるような隊員になりたいと思います。
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お薦めの一冊
第6師団司令部(神町) 3陸佐 松原末広
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 「人間の関係」(五木寛之著・ポプラ社刊)は、スラスラと流れるような文面でわかりやすくスムーズに読めましたが、文中の一文一文に大変重みを感じました。特に、第1章「鬱からぬけだすための3冊のノート」が印象的でした。@歓びノート。毎日の最も嬉しかったことを書き留める。何か喜びを見つけて書くA悲しみノート。最も悲しかったことを書き留める。最後に「悲しかった」で締めるBあんがとノート。ありがたいと感じたことを書く。何も無い時は「一日無事に過ごせてありがたい」と書く。
 筆者は鬱対策ではじめたそうですが、「あんがとノート」は普通にやっても非常に良いと思いました。この他にも沢山印象に残る深い味わいのある本でした。皆さんも是非一度どうぞ。

頑張っています 新しい職場
活躍するOB シリーズ
54歳で一番若い新入社員
富士航空整備(株) 村 田 和 亮
村田氏は平成22年2月、空自防府南基地航空教育隊司令部を准空尉で定年退職。54歳
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 平成22年2月に、防府南基地で無事定年を迎えることができました。お蔭様で定年後は防府北基地にある富士航空整備(株)に再就職させて戴くことができました。
 皆さんもご存じのとおり、防府南基地は教育部隊で航空機は展示機のみ、航空機整備出身とはいえ航空機整備歴にも空白があり、入社当初は仕事の不安を感じておりました。
 しかし、富士航空整備(株)には社内教育制度が充実しており、安心して現場作業ができるように配慮していただきました。とはいえ入社して数ヶ月は整備マニュアルが夢に出てくることもしばしば、それなりの努力をしていたと思います。
 自衛隊在職中に、定年退職し再就職された先輩たちの再就職先における人間関係での失敗例を耳にしたこともありましたが、この職場にあっては仲間に恵まれ全く杞憂でした。
 私は54歳にして、なんと一番若い新入社員で、文字通り新兵なのでそれなりの苦労も多少あります。
 しかし、一般の会社のように、大卒の若い幹部に「ため口」をきかれて腹を立てるといったようなことはありません。また、会社のお得意様が航空自衛隊ということもあって、未だ現役時代の延長線上にあり、「おじぎ」ではなく、ついつい「敬礼」をしてしまったりする等、現役当時の習慣が抜けきっておりません。
 さて、どんな一流会社に就職をしようとも一番大切な事は、心身ともに健康である事だと思います。ここでは昼休みを利用して走る人、ウォーキングをする人、あるいは通勤に自転車を利用する人、勤務後にスポーツジムに通う人など、それぞれ健康管理に気をつけ皆さん元気いっぱいです。元気いっぱいだと仕事も精力的に進み、ストレスを感じる暇もなく過ごすことができます。
 最後に「人生80年」。現役時代の約30年間とほぼ同じ長さが再就職後に待っています。もう一度、定年後について考えてみるのもいいのではないでしょうか。


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