防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   2010年10月15日号
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1枚の羽が大きな翼に!
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 2003年12月から2008年12月まで、自衛隊は様々な形でイラクにおける人道復興支援活動を実施した。2006年夏に陸上自衛隊が現地の活動を撤収した後も、航空自衛隊は国連等への空輸活動を行っていた。しかし、国内では陸自が撤収した際に全ての自衛隊がイラクから撤収したと思う人が大多数だった。
 そこで、空自の活動を再認識してもらう意味で、「Wing of Piece(平和の翼)」をキャッチフレーズとして腕にはめる「ブルーリング」を航空自衛隊が作成。防衛ホーム新聞社はその趣旨に賛同し部隊外に販売した。これは収益を得るためではなく、イラクの復興と空自隊員の無事を祈るのが趣旨だった。1個のブルーリングに20円の義援金を含めて販売し、イラクの子ども達に寄付をする事にした。43,914人に購入していただき義援金は878,280円となった。
 平成22年10月6日、イラク大使館において在イラク日本国大使館公使 高橋克彦氏、空自イラク派遣に縁の深い溝口博伸元空将補ら立ち会いの元、ルクマン・フェーリ イラク共和国特命全権大使にその義援金を吉田佳子本社社長から贈った。贈呈式でルクマン・フェーリ大使は「自衛隊がおこなってくれた支援は、復興活動だけでなく暖かい心も支援してくれた。これまで以上に日本が近くなった」等と謝辞を述べ、自分でイラクの子ども達に手渡してくると約束した。
 贈呈式後、大使自身も出席された小牧基地での隊旗返還式の記事が載った防衛ホーム新聞を感慨深そうに見ていたルクマン・フェーリ大使。「本当にありがとう」と自衛隊・国民に改めて感謝を述べた。
 現在も海外で活動している自衛官は多数いる。改めて、自衛官の無事任務完了することを祈りたい。ひとつひとつのブルーリングに込めた一人一人の思い、43,914人の気持ちが一つになって大きな「平和の翼」が完成した。


JPTECプロバイダー資格取得
3輸空飛行群本部 空曹長 高津芳治
《美保基地》
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 私と検査隊・種田1曹は6月20日、鳥取県東部広域行政管理組合消防局で開催された「第27回鳥取外傷セミナー」に参加し、JPTECプロバイダー資格を取得しました。
 このセミナーは、救急救命士や看護師ら医療従事者が、事故等の外傷患者を病院に搬送する間に、適切な救護措置を行い、防ぎ得た外傷死を無くすために、日本医師会が中心となり設立されたJPTEC協議会により行われています。
 JPTECとは、Japan-Prehospital-Trauma-Evaluation-and-Careの頭文字で、直訳すると「日本病院前外傷評価と処置」となり、また、プロバイダーとは、手順が出来る人というような意味になります。
 私達2名は、医療従事者ではありませんが、災害現場に派遣される可能性のある自衛官という職種により、受講することが出来ました。
 JPTECの手順は大きく、事故(災害)現場の安全等を確認する「状況評価」、傷病者を生理学的に観る「初期評価」、全身を解剖学的に観る「全身観察」、医療機関に受け渡すまでに行う「詳細(継続)観察」の4つに分けられます。その中で、「初期評価、全身観察」または「詳細(継続)観察」時の容体変化において、生命を脅かす傷害等を見つけ出し、処置できるものは応急処置をし、適切な医療機関に如何に早く搬送するかが一番大事な部分になります。
 私達2名は、4月から時間外に、衛生隊・宮本1曹(JPTECインストラクター)や西部消防局員の指導のもと、座学及び実技訓練を受け本番に挑みました。訓練開始当初は、医療用語等を正しく覚え、発声する事が非常に大変でした。
 当日は8時から15時すぎまで様々な状況の細部手順等を受講し、16時からの筆記及び実技試験に臨みました。実技試験では、事故現場等の詳細は知らされず、試験官4〜5名が見守る中、傷病者役に徹した本物の人間を相手に受講生1人ずつが試験を受けます。私は試験の途中で一度頭の中が真っ白になり思わず「元い」と自衛隊用語で叫んでしまいました。
 私達2名は資格を得ることができましたが、まだまだJPTECの表面的な部分しか分かっていないと思います。今後もセミナー等に参加し、更なる知識、技量の向上を図り、万が一という時に備えたいと思います。
 最後にこのJPTECの手順は有事に際し、自衛官として必要な物だと思います。皆さんも受講してみてはいかがですか。


5連覇達成
日本海駅伝競走大会
《米子》
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 10月3日、「第30回日本海駅伝競走大会」が倉吉市営競技場を発着点に、7区間(42・195km)で競われ、駐屯地から自衛隊米子チーム(監督=8普連2中隊・松原1曹)が出場した。
 大会は、県内外から一般、高校など123チームが出場し、自衛隊米子チームは一般の部で優勝し、30回という節目の大会を「5連覇」で飾った。
 スタートの号砲とともに先頭集団で競技場を飛び出した原士長(8普連1中隊)は好位置を確保、後続を40秒以上引き離すと3区の池本3曹(8普連本管中)が2位との差を2分以上に広げ終始優位にレースを進めた。自衛隊米子チームは7区間のうち5区間で区間賞を奪い2位と6分近く差をつけゴールした。
 大会を終え、監督の松原1曹は「今回の大会で若手がうまく育ってくれた事が最大の収穫であり、連覇につながったと思う。この結果は次につながる」と次の駅伝を視野に記者の質問に答えていた。
 自衛隊米子チームは、これからの駅伝シーズンに向け訓練を重ね、全国レベルを目指すとしている。


自衛隊サポーターズ
「気が付けば息子は自衛官」
遠藤雅子さん
地元FM局で市民にPR
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 静岡地本・伊東地域事務所の相談員である遠藤雅子さんは、日本大学付属三島高校国語科講師などを経て現在は国際観光専門学校講師などを務めている。「熱海まち歩きガイドの会」で広報を担当し、FM熱海・湯河原でパーソナリティとしても活躍。自分の担当する生放送番組に地域事務所の所長等をゲストに招くなどして広報に協力してもいる。多彩な顔を持つサポーターは、自衛官の母親でもある。(奥田壮太郎)

 ―自衛隊を応援するようになったきっかけは。
 遠藤さん 長男が小学生の頃に親子で訪れた浜松基地の見学がきっかけです。軍事ジャーナリストの佐藤守さんが現役当時に浜松基地にいらっしゃったのですが、基地訪問以来とても懇意にしてくださり、度々お手紙とともに自衛隊の資料を送っていただきました。それから親子で自衛隊に興味を持つようになりました。長男は少年工科学校に入学して今は自衛官です。私は平成10年から相談員を務めています。
 私は特別に愛国教育などを意識していた訳ではありません。親子で一緒に自衛隊について学んでいくうち、自然の流れのなかで息子が自衛官の道を選んだことがとても嬉しかったです。
 日大三島高校の講師時代に硫黄島の遺骨収集を題材に授業を行ったことがあります。デリケートなテーマを採り上げることに当初は迷いがありましたが、授業の感想文を読むと、良い意味での反響がとても多く、「やってよかった」と思いました。子どもたちに「見せないこと、教えないこと」は大人の罪です。どう受け止めるかはその子の感受性次第ですが、何も知らなければ判断のしようがありません。息子を見ていると、自衛隊が身近にあったことが彼にとっていかに大きかったかよく分かります。
 ―ご自身のラジオ番組で自衛隊の広報活動に協力されているのもそうしたお気持ちからでしょうか。
 遠藤 ガラス張りでひと目に付く熱海駅のサテライトスタジオに制服を着た所長に来ていただいたのですが、地元の方はもちろん観光客の皆さんの注目も浴びていました。地域事務所等のご協力を賜り、今後も継続していきたいですね。
 ―自衛隊へメッセージを。
 遠藤 私が自衛隊を応援するようになった理由のひとつに、自衛隊の「落伍者を出さない。誰も見捨てない」姿勢を教育者として素晴らしいと感じた事が挙げられます。あるとき息子が「同期が辞めてしまった。自分の身が切られる思いだ」と落ち込んでいました。
 自衛隊には、学校教育に限らず世間一般で失われがちな、人と人の絆を大切にする美風が色濃く残っています。そこに携わる方を知れば知るほど、「自衛隊を応援したい」という気持ちが深まります。普段、自衛隊を意識することが全くない人にぜひ自衛隊を知ってもらいたい。私も微力ながらお力添えが出来ればと思っています。〈シリーズ8〉


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