防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   2010年9月1日号
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寄せ書き

砲班長への道
第6特科連隊(郡山)陸士長 水野谷幸一
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 入隊して間もなく心に決めました。「俺の人生、自衛官」。まずはじめに「砲班長をやりたい!」と強く思う時期がありました。
 でも陸士長であるうちはできません。陸曹となり、砲班長をする為、私は、陸曹候補生対策の教範等を数10冊購入。「買いすぎだ!」と冷やかされましたが、自分の気持ちは変わらず、ゆっくり1年かけ勉強し、試験に臨みました。
 結果、陸曹候補生指定(内示)を勝ち取る事が出来ました。この間、大隊・中隊等の関係上司の方々の温かいご指導があったからこそと、感謝の気持ちでいっぱいになりました。指定を受けた日の夜、嬉しさのあまり寝つけなかった事を今でも鮮明に憶えています。その日から隊務において服装・態度・言動等全てにおいて「プロになる!」という気持ちを念頭において、常に考えて行動する事に心掛けました。
 履修前教育終了後、2曹教(野戦砲)に教育入隊します。陸曹になると決めた時と同様、今決めた事があります。「俺の人生、勝負の時!」まずは基本・基礎を一隊員として任務遂行出来るようにしっかりと身に付け、その上で砲班長・一班員に至る全ての任務を自ら理解し、指揮能力を高める事を1番の目標としたい。そのため、教育入隊間は、時間を無駄にすること無く、多種多様な事を全て吸収するつもりで自主積極的に取り組みたい。
 その一方で、陸曹教育隊に至る迄の環境は違えど、陸曹になるために集まる候補生、どの様な同期と営内班及びベットバディになるのかがとても楽しみです。その中でわたしは一自衛官として真摯な態度で教育に臨み、互いに切磋琢磨し、自分で決めた「決心と覚悟」を胸に秘め頑張ります。
 妻子有り、今年で30歳の俺、「やるしかない!」
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儀仗指導の難しさ
第7普通科連隊(福知山)陸士長 中尾由希
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 私は、伊丹駐屯地で実施された方面儀仗隊に参加しました。
 初日に身長の関係で予備隊員になり、儀仗隊のサポートや元302保安警務中隊の酒井曹長の指示で動き、他の人たちの指導や上将の役などをさせてもらいました。
 サポートをしていて感じたのは、7普連の他中隊の陸曹の方や他部隊の方を指導するのはとても難しいということです。
 声もかけづらいし、下の自分が指導しても怒られないだろうかと心配でしたが、酒井曹長から「何か言われたら、自分が言っていることにしていいから、自信を持って言ったらいい」と言われ、指導すると、全員がしっかりと聞いて下さり、とてもやりやすい環境でした。
 人に教える難しさや自分の伝えたいことをわかりやすく、正確に言葉に表す難しさを感じました。
 今回学んだことを、今後の訓練に活用するとともに、営内生活にも反映させていきたいと思います。
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念願の体験航海
内田優美さん(群馬地本投稿、体験航海参加者)
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 以前から海上自衛隊やその艦船に興味があり、その為今回の体験航海は非常に貴重な体験となりました。
 当日の朝はいつもより早起きをし、支度を済ませ最寄りの新町駐屯地へ向かいました。前日からの緊張のせいで少し寝不足でしたが晴海ふ頭に到着し「たかなみ」が眼に入った瞬間眠気が吹き飛びました。
 美しいグレーの船体に風に揺れる旗、そして真っ白な制服をまとった海上自衛隊の方の敬礼です。
 タラップを上り、自衛官の方からの気持ちの良いあいさつに「ああ、護衛艦に乗っているんだ」と改めて感じることができました。
 初めて見る艦内は何もかもが新鮮で、急な階段や小ぢんまりとして味のある食堂、素晴らしい眺めが広がる艦橋。途中自衛官の方から説明を受けたり会話を交わしたりなど普段遠い存在だった隊員の方々が、ぐっと身近に感じられました。
 先に書いたように艦内で色々な体験をさせて頂きましたが、その中でも特に印象に残っているのは隊員の方のラッパ演奏及び手旗信号の実演です。真面目な実演のはずが急にユーモアたっぷりな実演に豹変したりと予測できない面白さがあり思わず吹き出してしまう場面もありました。一度最前列で見てみたいと思ってしまいました。
 数時間の乗船体験でしたがとても有意義なものとなりました。もし機会に恵まれたならもう一度乗船してみたいと思います。
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高速無料化万歳
第6師団司令部(神町)2陸佐 吉田昌功
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 6月末から始まった高速道路無料化実験の恩恵を受けている一人です。週末には、職場のある山形県の東根市から家族の住む鶴岡市を往復しています。
 これまでは一般国道を通っていましたが、7月からは無料化された山形自動車道を利用しています。その結果、片道の所要時間は10分ほど短縮されます。たかが10分ですが、家族の顔が近くなり、気持ちに余裕が生まれます。また高速道路には信号がなく、カーブがきつくないため運転は大変楽で、安全性の向上にかなり寄与しています。
 色々な問題があると思いますが自衛隊の車両は全ての高速を無料化にすべきだと考えたりもしています。
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初めての検閲
第4施設団本部付隊(大久保)陸士長 田中 良
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 今年の6月、第4施設団本部付隊通信班有線通信手として初めての検閲を受けました。初日は初めて行った青野ヶ原演習場での徒歩行進でした。完歩できるか不安でしたがここ数ヶ月間何度もこの日のために徒歩行進訓練をしてきた成果が実り、完歩できました。徒歩行進が終わり、夜中に日本原演習場へ移動しました。
 ここからが有線通信手としての本番です。到着してすぐに偽装し8キロもの距離を食事も摂らず一挙に有線構築しました。あと残り1キロの距離に差し掛かり体力も気力も限界に近づいてきて心が折れそうになったとき、有線組長が「あと少しだ。頑張れ」と言ってくれて最後まで頑張ることができました。目的地にたどり着くと「凄いな、お前たち」と褒めてくれ、達成感があり嬉しかったです。
 長距離の有線構成は初めてで不安でいっぱいでしたが、知識と技術を向上することができ、自分自身にとってとても良い経験になりました。9月下旬には後輩が入ってくるので先輩として色々教えられるよう、この検閲で学んだことを活かし、これから更に通信訓練などに気合を入れ、日々努力していきたいです。
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バッジを付け心新た
第35普通科連隊(守山)3陸曹 辰田真樹
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 4月15日から7月12日にかけて実施された第48期部隊集合教育レンジャー。
 私の長い人生の中では、たった3カ月間という短い期間でしたが、何十年分の年月を過ごした気がしました。
 私は学生長という立場で教育に参加し、ずっと「責任感」を背負いながら、学生全員をまとめなければならないという重圧に毎日苦しんでいました。
 教育前半の基本訓練や、岐阜県白川町における1カ月間の行動訓練は過酷を極め、特にロープ訓練と地図判読が不得意であった私は、自分自身のことで精一杯となり、学生長としての役割を果たせなかったこともありました。
 しかし、そんな時でも周りの同期がすぐに声をかけて励ましてくれました。
 そのことで、仲間に対する「ありがとう」という気持ちと、「絶対に全員を引っ張っていく」という気持ちがより強くなり、最終的に学生長という重責を全うすることができました。
 7月6日、最終想定である長距離離脱を経て、守山駐屯地に帰還、そして連隊長からレンジャーバッジを首からかけていただきました。今は私を熱く指導してくれた教官、助教の方々をはじめ、応援や激励に駆けつけてくれた部隊の皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。
 レンジャー隊員は胸にバッジを付けてからがスタートラインだと思います。これからもこのバッジに恥じぬよう訓練に邁進したいと思います。
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過酷な教育で得た物
第304施設隊(出雲)3陸曹 中原輝人
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 今回、13旅団のレンジャー集合訓練に参加して、多くのことを学びました。
 大きく二つをあげると、ひとつは、時間の大切さです。教育の時間は無限にあるものではなく、限られた時間の中で、多くのことを学ばなければならない。
 だから、一瞬、一瞬を集中して、学び、その場で吸収していかなければならないということです。
 もうひとつは、「日々感謝」ということです。
 非常呼集後の山での行動は過酷で、駐屯地での日常、夜に布団で寝ること、温かいご飯が食べられること、水分が自由に取れること、朝が迎えられること、日々何気なく過ごす日常はとても幸せなことだと実感しました。
 レンジャー教育は過酷ですが、学ぶことは多く、とても身になる教育だと思います。
 これから自分は、ダイヤモンドが輝き続けるように日々体力、技術、知識の向上に努め、後輩育成に努め、304施設隊の力になれるように努力していこうと思います。

レンジャー教育
最北の帰還式
《名寄駐屯地》
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 第3普通科連隊(連隊長・高橋武也1佐)は、7月20日、部隊集合教育「レンジャー」の最終想定終了に伴う帰還式を実施した。
 無事帰還を果たした隊員15名は、駐屯地隊員・近隣各部隊長・同僚及び家族等の待つ花道の間を鳴り止まぬ拍手と約100本のシャンパンシャワーに迎えられ、最後の任務終了を報告した。
 想定初日から降り続く雨によりボロボロになりながらも大きく目を見開き、連隊長から勲章とも言えるレンジャーバッジを授与されたレンジャー隊員たちは、達成感と苦しかった日々を思い出し、涙にのどを詰まらせていた。
 帰還式には、隊員家族らが遠くは青森県から駆けつけ、彼等の勇姿を出迎え、1人1人に花束を渡した。
 この教育期間中、帰りを待ち続けた想いが一気に溢れ、参列者全員が涙と笑顔で無事に帰ってきた喜びを分かち合っていた。

活躍するOB シリーズ
「頑張っています」新しい職場
沖縄赤十字血液センター 吉田友榮
吉田氏は平成21年7月、第1混成団第6高射特科群を3陸尉で定年退職。54歳
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 昭和46年4月、中学校を卒業し陸上自衛隊生徒として入隊以来、38年有余の自衛隊生活を、平成21年7月沖縄での勤務を最後に定年退官いたしました。
 沖縄勤務は26年間という長期の勤務となり、第二の人生を送るには最適の地と考えました。
 退職までの期間はハローワーク通いや、硬直化した頭に鞭打って各種資格の取得のための勉学、また、就職を希望する企業の面接等で、のんびりとしている暇はありませんでした。しかし資格の取得には至らず、4社ほど面接を受けましたが不採用となりました。5社目に自衛隊で取得した車両操縦免許を活かし、沖縄県赤十字献血センターの面接を受け献血推進課に内定を頂くことができたのです。
 退官して2日後にはオリエンテーション、3日後には現場での仕事と、頭にも汗をかきつつ早く仕事を覚えなければいけないという焦りから、なんと3ヶ月の間に体重が5キロも減少したのには驚きました。
 私が言える立場ではありませんが、定年退職予定隊員の皆様に伝えたいことは、いろいろな資格等を取得された方がいいということです。一般的には資格があってもそれに見合う仕事がこの大不況下にあるとは限りませんが、それでもいろいろな資格等をもっていると援護担当官の企業開拓、また、希望職種の幅が広がり就職活動をする上において極めて有効になると思います。私には信念が足らなかったのだと思いますが、資格取得にはやる気と信念があれば、通信教育等を活用し取得することが出来ると思います。是非チャレンジすることをお勧めします。第2の人生も長いものです。前向きに常にチャレンジ精神に心がけてください。
 最後に自衛隊在職中お世話になった良き上司・先輩・同僚・後輩の皆様、ありがとうございました。敬礼!


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