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自衛隊ニュース   2010年8月1日号
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富士学校・富士駐屯地
開設56周年を祝う
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 富士のふもとの富士学校・富士駐屯地(富士学校長兼富士駐屯地司令・三本明世陸将)開設56周年記念行事が7月10日、行われた。駐屯地を全面開放するとあって、静岡県内のみならず県外からも多くの人が訪れ、来場者は1万1000人。
 朝6時には、開門を待つ大きなカメラバッグ等を持った人たちがすでに並んでいる光景は毎年のこと。人気の高さがうかがえる。
 10時より総合運動場では、国会議員や地元首長、歴代学校長ら来賓を迎えて式典が始まった。三本陸将の式辞、来賓祝辞のあとは、三本陸将を観閲官として観閲式が行われた。富士教導団本部から偵察教導隊、普通科教導連隊、特科教導隊、教育支援施設隊、戦車教導隊と続く。参加人数1400名、参加車両200両の迫力ある光景に圧倒される。

 先般テレビ出演をした富士学校音楽隊の演奏の後は、今年の目玉10式戦車(試作車)の登場。2台の10式戦車(試作車)が総合運動場を2周し、その後バック走行等の機動確認。カメラのシャッター音と歓声がひと際激しくなった。
 10式戦車(試作車)が離脱し、模擬戦闘戦が始まった。大きな音に手で両耳を塞いだり、写真を撮ったり、「プチ総火演だ!」と観客は大はしゃぎ。
 式典に先立っては、和楽館で感謝状贈呈式が行われ、個人5名と4コ団体に、三本陸将が感謝状と記念品を手渡した。
 前日には、富士学校新庁舎を記念したモニュメントの除幕式も行われるなど、イベントが盛り沢山の富士学校・富士駐屯地。東京から来た会社員は「この記念日で真夏が始まり、富士総合火力演習で真夏が終わる」と楽しげだった。


記念モニュメントお披露目
新庁舎完成を記念して
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 富士学校は7月10日、本部庁舎完成記念行事の中で、協力団体等から寄贈を受けた記念モニュメントとなる陶板画の披露を行った。
 新潟県の陶芸家高井進氏(72)が同校協力団体等の依頼を受け、1年3ヶ月の歳月をかけ実現となったものである。
 作品のタイトルは「秀麗富士」。厚さ1〜7センチの陶板187枚を使い、早春の富士山を描きあげており、高さ5・4メートル幅3・6メートルの大作で、麓には芦ノ湖が広がっている。
 作成過程では二度にわたって上空2000メートルから富士山を観察し、イメージを膨らませたという。また、今回作品は吹き抜けに設置するため“異例"の縦型であり、高井氏は、「裾野が広がるので横長が一般的で、縦にまとめるのが難しかった」と苦労を語るも、「イメージどおりにできた。複合的な色合いが見せ物のひとつ」と作品への自信を語っていた。
 富士学校には外国の軍関係者らが視察などでよく訪れ、今後、日本の象徴を海外に発信することになる。早速、翌日の富士学校創立記念日には多勢の見学者が押し寄せて力作に見入っていた。


雪月花
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 政府が第2次世界大戦で2万人を超す犠牲者を出した硫黄島の遺骨収集に真剣に取り組み始めた、内閣官房と厚労、防衛両省の審議官クラスで構成する特命チームの設置を決めたのだ。20年ほど前、日米開戦50周年の慰霊祭を同島に取材したことがある。硫黄の活動により滑走路がうねっている空港に着陸し、一番先に現地の駐在員に注意を受けた。「この島のどこに英霊がいるかわからないので、絶対につばをはいたり吸殻をすててはいけない、放尿などは論外です」。奉納相撲に同行した貴乃花や曙関も真剣に聞いていた。将兵が閉てこんだという小さな洞窟では絶えることなく硫黄が噴出していた、この洞窟をはじめ滑走路の下など同島には約1万3千柱が未収集といわれている。滑走路を掘り起こすとなれば莫大な予算と人員を要する、訓練にも影響は出るだろうが機運が盛り上がっている今をのがしてはなるまい。若い人たちの間でもこの問題への関心がたかまっている。35歳のジャーナリスト笹幸恵さんは平成17年から太平洋諸島の慰霊巡拝に出かけてブーゲンビル島では焼骨式にも参列し「女ひとり玉砕の島を行く」(文芸春秋社)を著している、60年余りも放置し続けたのは戦後生まれの私たちの責任ではないかと言う。また首都圏の学生たちで作るJYMA日本青年遺骨収集団では、旧戦地で傷みの激しい慰霊碑の再整備をしたり現地でのごみひろいや草むしり、ペンキの塗りなおしなども行っている。遺族や関係者の高齢化する中、若い力は素晴らしい。(所谷)

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