防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
スペーサー
自衛隊ニュース   2010年5月1日号
-
1面 2面 3面 6面 11面 12面

駒門駐屯地で記念式典
創立50周年の節目を盛大に迎える
-
 駒門駐屯地は4月4日、創立50周年記念行事を盛大に挙行した。
 昨年は、北朝鮮による弾道ミサイル発射事件の影響で中止になったが、この記念すべき節目の年に榛葉賀津也防衛副大臣の部隊視察を受ける栄誉を得て、「わが国の平和と安定のためにも、50年にわたり築かれた良き伝統を引き継ぎ、自信に満ちた精強な部隊であり続けてほしい」と訓示を受けた。また、榛葉副大臣が静岡県菊川地区出身である事から、同出身地の隊員と駐屯地司令室にて面談・激励され、記念撮影も実施し、隊員にとっても貴重な経験となった。秋葉瑞穂駐屯地司令からは「隊員諸官は『活気溢れる規律正しい駐屯地』の具現実行に努めるよう改めて要望する」との式辞があり、部隊・隊員の士気を高めた。
 引き続き、観閲行進が行われ、90式戦車、74式戦車、96式装輪装甲車等が轟音と共に走行した。模擬戦闘展示訓練では、防衛出動時の作戦後方地域における活動中に、敵に襲撃を受け負傷者を出したという想定で実施された。
 その他イベントとして、駒門駐屯地の目玉にもなっている戦車試乗は、例年以上の行列ができ、家族連れで楽しんでいる光景が見られた。また、第1音楽隊・北富士天王太鼓の演奏や、模擬売店の完売続出、ちびっこ広場等各エリアとも盛り上がりを見せていた。
 当日は、桜がほころび始めたものの4月にしては肌寒ささえ感じられた一日だったが、地域住民との交流、自衛隊に対する理解を更に深めることができた。

「第1高射撃群行動の日」
“精強な部隊作り"決意新たに
第一高射群
-
 桜が満開の4月9日、航空自衛隊第1高射群(司令・池川昭司1空佐)は、「第1高射群行動の日」の式典を行った。昨年4月の北朝鮮による弾道ミサイル発射事案の際に第1高射群が行った任務を風化させまいと池川司令が新たに設定したこの記念日。式には、渡邊至之中空司令官の代理で詫摩浩士中空副司令官、吉川礼史第4補給処長ら高級幹部を始め、高翔会会長や各高交会会長、1高群に縁のある企業等が参加した。
 中空司令官らの祝辞に先立ち、池川司令は「本日のこの記念行事は、揺るぎない意志を持って臨んだ証を刻み込み、記憶を風化させることなく、今後起こりうるであろう事態に即応できる精強な部隊作りをしていく決意を新たにするものである。主役は全隊員諸官一人一人である」と訓示を述べた。それに応え、各高射小隊長による決意表明(写真・我々第1高射群に所属する隊員は、この経験を風化させることなく、首都防空を担う最重要部隊としての使命を自覚するとともに、ナンバーワン高射群としての誇りをもって、即応態勢の厳正な維持と実戦に即した錬成訓練に励み、行動時に臨んでは、群司令を核心とし、如何なる時も如何なる状況においても、不撓不屈の高射魂をもって、任務に邁進することを誓います)が行われ、記念式典を終了した。
 次いで高友会から寄贈された桜(品種・天の川)の植樹を行った。入間だけではなく、習志野・武山・霞ヶ浦の各高射隊へも記念樹が寄贈され、各隊長は目録を受け取った。
 その後行われた事案活動紹介では、制作にとても心のこもったスライドが流され、見ている者達は改めて活動の幅の広さに感嘆としていた。途中の機動展開開始や撤収のシーンでは、本物の高射部隊が車輌を動かすという憎い演出もあり、厳しい寒さも忘れる程の盛り上がりだった。「各界の皆様があれほどひとつに盛り上がることに心より嬉しく、感謝します」と高射OBも満面の笑顔だった。

44普連でも記念行事
創立40周年を祝う
-
 第44普通科連隊(連隊長・森脇良尚1陸佐)は4月11日、第4代連隊長千葉満氏、第8代連隊長楠木昭氏や連隊OB獅子の会会長古川氏をはじめ120名以上の来賓、OBを迎え連隊創立40周年行事を挙行した。
 記念式典で森脇連隊長は災害派遣や師団持続走、重迫競技会の2連覇を踏まえ「諸先輩方が築き上げた伝統を継承し、“陸上自衛隊の真の中核たれ"を旗印とし地域と共に歩み、郷土と国民の安全安心を確保するため精進していきたい」と式辞を述べ、連隊の更なる飛躍と発展を誓った。また、歴代連隊長がそれぞれ祝辞を述べた後、来賓や家族の前で観閲行進が披露された。
 式典終了後には記念カプセル開掘式が行われ、平成2年の20周年記念式典の際埋めたカプセルを掘り出し、当時思いを込めて詰め込んだ「お宝」の再会にそれぞれの思いを馳せていた。午後には「家族の日」としてグラウンドで焼き肉パーティを実施。最先任上級曹長が家族を対象に子供ファッションショーや借り物競争などのイベントを企画し、子供達の元気な声が響きわたり40周年記念の良き日を家族共々祝った。

雪月花
-
 さくら市 みどり市 みやま市。何県にあるのかちょっと想像できない、日本のどこにでも当てはまりそうな名前である。平成の大合併で誕生した市だが地域を想像できるような名前はなかったのだろうか、市民の投票や意見で決めたことにとやかく言う気はないがちょっともったいないような気もする、存在感をアピールする絶好の機会だったのに。町村合併では新しい名前と役場をどこに置くのかが市民の一番の関心事のようだ、議員定数や首長のことよりも。航空自衛隊基地のある百里は小川町と美野町と玉里町が一緒になって小美玉市になった。公平な名前として付けたのであろうが綺麗な名前にはなった。四国のある町は役場の設置場所で折り合いがつかず旧町役場を1年毎に行き来した。荷物を明けるひまもなかったそうだ、昭和の合併の時の話でさすがに今は1箇所に落ち着いている。町村合併により市になる条件はいくつかあるが一番のハードルは人口3万人の確保である。構想段階では3万人いたのだが最終的には数百人足りなかった所もあるし、苦肉の策で飛び地を編入した所もある。立地条件の所為で人口のためではないが岐阜県の中津川市は長野県の旧山口村と合併した、県境を越えるのは明治維新の廃藩置県以来かもしれない。手厚い財政支援が魅力だったようだが現状がそんなに変るわけでもないのだから無理して合併することもないと言う声も多い。久しぶりに帰ってきたらふる里がなくなっていたと嘆く人もいるかもしれない。(所谷)

Home
(ヘルプ)
Copyright (C) 2001-2014 Boueihome Shinbun Inc