防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
スペーサー
自衛隊ニュース   2010年4月1日号
-
1面 3面 5面 6面 7面 8面 9面 10面 12面

榛葉副大臣、支援チームを視察
初めて技官3名が同行
被災家屋を耐震診断
《ハイチPKO》
-

 榛葉賀津也防衛副大臣が3月18日、装備施設本部(岡崎匠本部長)に設置したハイチ派遣隊技術支援チーム(約30名)を視察、現地の状況報告を受けるとともに直接職員に声をかけて激励した。この技術支援チームは、2月24日から順次現地に派遣されている技官3名と連絡を取り合いながら国連に提出する耐震診断レポートを24時間体制で作成している。
 ハイチ派遣国際救援隊第2次隊(隊長・福永正之1陸佐以下約350名=第5旅団主力)の一員として初めて現地に派遣された技官は南雄介部員(経装局施設技術官付)、植田良治専門官(経装局施整課5班)、坂本倫嗣係長(装本施計課計調1)で、陸自派遣隊員と常に行動を共にして活動を続けている。
 この3名は、地震で被災した建物の耐震診断を行う建築資格(1級建築士、応急危険度判定士)を取得しており、耐震診断の手順や診断項目などを国連に提案するとともに日本の提案する手法で診断を行っている。
 活動期間は約1カ月間で、国連からはポルトープランス市と近郊都市の建物約40棟などの診断を依頼されており、現地の建物の構造上の特徴(ハイチスタンダード)を把握しながら耐震診断を実施している。
 ログベースにある国連文民警察などの事務所から耐震診断を開始して以来、3月18日までに10棟を診断している。


空幕長
米空軍少佐に感謝状贈呈
ハイチ空輸隊を支援
-
米空軍少佐に感謝状 外薗健一朗空幕長が3月18日、チャールズ・S・パレント米空軍少佐に防衛省A棟大会議室で感謝状を贈呈した。式には空幕副長、総務部長、米第5空軍副司令官、米国大使館空軍武官らが陪席した。
 パレント少佐は平成20年4月1日に米空軍要員として第1輸送航空隊第401飛行隊に着任。同隊が米国高等空輸戦術訓練センター(AATTC)での訓練に同行中、ハイチ大地震が発生した。その際、空自隊員と引き続き米国に滞在し、1月17日から2月4日までの間、ハイチ国際緊急援助活動に対して支援するとともに空輸隊の円滑な任務遂行に著しく貢献した。その主な功績は(1)ホームステッド空軍基地で運航関連情報の収集、ポルトープランス空港の離着陸時間枠の調整に関する助言、燃料補給、気象支援、飛行計画などの各種調整を積極的に実施(2)ホームステッドからポルトープランスへの全ての運航に同乗し、運航間における航空交通管制や他機の運航に関する乗員への助言、戦術空輸統制所(TALCE)との調整、他機情報に関する助言等を積極的に実施したことなどがあげられている。
 また、パレント少佐は小牧基地に着任以来、飛行訓練で優れた操縦能力を発揮、米軍の最新戦技の普及に努めるとともに、自ら英会話普及教育などを企画実施して飛行隊員の語学能力向上に尽力、航空自衛隊の任務遂行能力向上に寄与している。写真=パレント少佐(左)と外薗空幕長が固く握手を交わす

双子の兄弟、ハイチで握手
-
 1月13日にハイチ共和国で発生した地震災害の復旧支援のため、緊急展開が可能な中央即応集団(CRFの要員(約200名)がハイチ派遣国際救援隊1次要員として派遣された。
 3月に入って、北部方面隊を基幹とする2次要員への交代が始まったが、この交代の際、北海道岩見沢出身の双子の自衛官が3月9日ハイチで対面する状況が生まれた。
 ハイチでの活動を終え、帰国する隊員は、第1次要員警衛小隊の松本将洋3陸曹(兄、所属?中央即応連隊(宇都宮))、新たにハイチで活動する隊員は、第2次要員施設中隊の松本貴泰3陸曹(弟、所属?第12施設群(岩見沢))で、兄から弟へ「今回、入れ違いで一緒に任務にあたる事は出来ないが、弟と同じハイチPKOに参加出来てうれしく、また、心強く思う。長期の任務になると思うが、身体に気をつけて、任務完遂に努めてほしい」
と激励の言葉をかけると、弟から兄へ「2月6日から、約1ヶ月間の任務、本当にお疲れ様でした。心も身体も相当疲れていると思うので日本に帰ったら納豆、ラーメン等おいしいものを食べ、ゆっくり疲れを癒してください。本当にお疲れ」と労をねぎらう言葉が返され固い握手を交わし、国際貢献の現場におけるひと時の再会を喜び合った。

5面へ
(ヘルプ)
Copyright (C) 2001-2014 Boueihome Shinbun Inc