防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   2010年3月15日号
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心肺停止の男性救助
49普通3中の即応予備自衛官・粉川士長
招集訓練の救急法を実践
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 第49普通科連隊第3中隊所属の即応予備自衛官が、心肺停止の男性を救助するという善行があったので紹介する。
 人命救助を行ったのは、粉川誠司(こかわ・せいじ)即応予備自衛官陸士長(27)で、1月8日夕方、勤務先のパチンコ店(和歌山県田辺市)で遊技中の男性が突然倒れ心肺停止状態になったのを確認するや、直ちに心臓マッサージを始めた。招集訓練時に教育を受け習得した救急法での心肺蘇生法を実践した。同店従業員の丸山達也(まるやま・たつや)さん(35)と協力し、2人で交代してマッサージを続け、約15分後現場に駆けつけた田辺消防署の救急隊員に男性を引き継いだ。男性は、市内の病院に運ばれたが、1月28日に無事退院した。
 田辺市消防本部は2月10日、2人の勇気ある素速い行動を称え感謝状を贈呈した。
 また、この救助劇と田辺市消防本部の感謝状贈呈について、2月11日付「紀伊民報」(紀伊民報社:和歌山県田辺市)に詳しく掲載された。
 粉川士長は「咄嗟にあわてず行動できたのは、招集訓練の賜だと思います。男性が助かって本当によかった」と振り返る。
 粉川士長のとった行動は、即応予備自衛官、常備自衛官共通の鏡であり、全陸上自衛隊の誇りです。企業等一員としての本業と、国防の任に燃え招集訓練に汗を流す即自隊員の両立を図り、これからも輝いて下さい。『愛と勇気と感動をありがとう』(第10師団司令部広報室)


人命救助に貢献
宗村空士長に感謝状
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 空自第3輸送航空隊(美保)検査隊所属の宗村友紀士長は2月24日、人命救助に貢献したとして鳥取県西部広域行政管理組合消防局(浦木昇局長)から感謝状が贈呈された。
 宗村士長は、今年1月17日午後12時50分頃、米子市米原の理髪店で、店主の男性店員が突然倒れ、心肺停止状態になり、直ちに119番通報を行った。その後、救急隊員が到着するまで心肺蘇生を実施し、尊い人命を救助した。傷病者の男性は入院治療の結果、順調に回復し、現在は社会復帰されている。
 米子市冨士見町の米子消防署会議室で行われた贈呈式では、内田幸治局次長が宗村士長に感謝状を贈るとともに、「尊い人命を救助していただき誠にありがとうございました。我々も、今日を起点に心肺蘇生法の更なる普及に尽力してまいります」と謝辞した。宗村士長は、「基地での心肺蘇生法等の教育が役立ち、とっさに体が動いた。整備員として、また国民の生命を守る一隊員として、今後も努力を惜しまず頑張っていきたい」と力強く語った。この功績は、1月29日の3輸空隊朝礼で紹介され、田中隊司令より善行褒賞が贈られた。

「しらゆき」榎3海曹にJRから感謝状
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 護衛艦「しらゆき」(補給科)所属の榎隆宏3曹は、JR横浜駅における救助活動の功績により2月12日、JR東日本横浜支社より感謝状を贈られた。
 榎3曹は、1月20日夕刻、ホームで電車を待っていた男性会社員が線路上に転落したことに気付き、付近にいた男性に緊急停止ボタンの操作を依頼するとともに、線路に飛び降り、転落した男性を線路上からホーム下に退避させた。
 その後、電車が停止したことを確認し、駅員と共に男性を担架に乗せホームに引き上げ救助した。
 事故当時、男性の意識は無かったものの、病院に搬送され診断を受けた結果、右ひざを数針縫うケガを負った程度で、命に別状は無いと診断された。今回の授与に際し、榎3曹は「男性が転落したことに気付いた時には、自然と体が動いていました。男性のケガも軽く済んだのでホッとしています」と話している。

彰古館往来
陸自三宿駐屯地・衛生学校
新「彰古館」(医学情報史料室)
〈シリーズ97〉
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 貴重な軍人医学史料を所蔵する、国内唯一の医学情報史料室「彰古館」ですが、これまでの保存環境には厳しいものがありました。
 彰古館の前身は、昭和31(1956)年1月27日、陸上自衛隊衛生学校教育部に参考品展示室が、学校本部庁舎内に発足しています。
 その後、プレハブ教場に移転し、老朽化により再び本部庁舎2階にて再編、次いで3階へ移転して現在に至ります。
 3回の引越しと、縮小によって四散した史料も多数ありますが、平成12(2000)年に湿度管理が可能なエアコンが設置されるまで、真夏には湿度95%、室温38度という劣悪な環境に晒されていました。
 現在の彰古館は、125゚の教室の1室で、数多くの収蔵品が所狭しに、脈絡無く集積され、30人も入館すれば満員状態で、説明文を置くスペースすら無いというのが現状です。
 実は、新彰古館への移転計画が進行中です。ブリーフィングルーム、展示室、書庫、保管庫、事務室など最低限の機能を確保し、430゚という必要にして充分なスペースが、三宿駐屯地内に完成しました。
 これから、各所に分散保管されている一次資料を統合して、分類、リスト化、電子ファイル化、検索システムの構成、原本の脱酸処理、各種の修復作業が必要になります。
 どれも予算取得が極めて困難な事業です。陸上自衛隊の教育機関が所蔵する意義からも、教育史料としての活用、学術史料としての情報整理、文化遺産としての継承といった意義深いプロジェクトです。
 実作業では、電子情報としての整備と平行して、電子ファイル化の際に原本の修復、脱酸処理を同時に実施するのが効率の良い方法です。しかし原本は、和紙、酸性紙、わら半紙、青焼き、印画紙、鶏卵紙と紙質も状態も均一ではありません。補修の方法・手順も修復期間も異なりますので、一律に予算を組むことも出来ません。多数の崩壊寸前の一次資料の中から、優先順位を絞り込んでの、綿密な予算計画が必要となります。
 衛生資材の復元はもっとハードルが高く、欠品の補填については、当時の図面や教範、図版などの史料、当時の規格のネジや部品を調達しなければなりません。欠品のほか、破損箇所の修復作業も、木製部品以外に皮革、真鍮、鉄、布など各種の材質があり、当時の方法どおり漆、膠、亜麻仁油、軍用規格の塗料などで仕上げなければなりません。
 物によっては、時代色の付いたヤレを生かしながら、現状よりも劣化させないための化学的処理が必要になります。後から手を加えた形跡を残さずに、作業を進める必要もあるのです。
 これらの史料を展示、保管するに当たっても、紫外線カットの蛍光灯や、温度管理、湿度管理、展示方法、保管要領について、綿密な検討が必要になります。
 建物の完成が、そのまま新彰古館への体制移行ではないのです。100年先を睨んだ移転計画は今、始まったばかりなのです。
 現在は閉館中の彰古館ですが、近いうちにまたお目に掛かれると思います。


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