防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
スペーサー
自衛隊ニュース   2009年1月1日号
-
1面 2面 3面 4面 5面 6面 7面 9面 10面 12面

寄せ書き

精強な中隊へ
第15普通科連隊第3中隊=善通寺陸曹長 織田英二
-
 私は、平成20年3月23日付で先任上級曹長を命ぜられました。
 上番にあたり、ある上司から中隊は、中隊長、運幹、先任がまとまれば必ずうまくいくと助言をされました。当然、それだけで精強な中隊が育成できると思っていませんが、まず、その助言を意識しつつ訓練・服務等に邁進してきました。
 精強な中隊、連隊から信頼される中隊を作るにはどうしたらいいか私なりに考え、陸曹が強いこと、競技会で優勝することで中隊の伝統を継承し築き上げることができるのかを自問自答してみました。確かに、陸曹が引っ張り、競技会に優勝することで士気は高揚し団結は強固になるとは思います。現在中隊には100名強の隊員がいます。十人十色と言うように人にはそれぞれ持ち味(個性)があり、考え方も違い、また、それをまとめるのは並大抵なことではありません。現に我が中隊は、幹部におんぶにだっこの状態の感が多々あります。そこで私は、各指揮系統(各係陸曹・小隊陸曹・営内班長という核の確立)を通じた指導をすることにより彼らに権限と責任を与え、その役割を確実に果たすことにより少しずつ幹部への負担が解消できると考えています。
 精強部隊を育成するために、適切な指導や助言は必要ですが、手のかけすぎは本人の持っている力を奪い、かえって成長を妨げる要因になりかねません。大事なのは、本人が自ら考え、意欲とやる気を出すまで辛抱強く見守ってやることだと思っています。
 連隊から信頼される中隊を育成するため隊員とともに今後も日々前進いたします。

年男の抱負
第304施設隊=出雲 1陸曹 脇山昌夫
-
 今年は、4回目の年男であり自衛官として最後の年男となります。振り返れば昭和54年11月に入隊し、30年の節目の年でもあります。自衛官としてあと6年ですが定年までは、20年度のカウンセラー教育を活かし隊員の悩み相談が出来ればと考えています。
 私自身、19年に左膝の半月板損傷で手術をしましたが、軟骨の損傷が酷いため完全に治ることはないと医者に言われました。病気の人がカウンセラーするとよくないと思いますが、部隊の相談員として自分に出来る範囲で悩みなどの解消に役立てれば良いかと考えています。
 最後に、定年まで今の状態を維持して色々な人の相談をやっていけるよう頑張りたいと思います。

自衛隊の威風
第13旅団司令部付隊=海田市 3陸尉 平子 昇
-
 平成20年11月2日、秋晴れの下で旅団・駐屯地創立記念行事が盛大に行われました。普通科部隊に勤務していた曹士時代から幾度となくこの創立記念行事に参加してきたのですが、今回は特に現職務である化学防護隊の新任幹部として身の引き締まる思いで参加するとともに、観閲式においては初代偵察小隊長として(化学防護小隊は平成20年4月に化学防護隊へ改編)参列できた記念すべき日でもありました。 しかし、普通科部隊にいた頃とは異なり司令部付隊の特性上、約8割の隊員が式典を支援し、残り2割の隊員が観閲式に参加するという「理想」と「現実」のギャップに少し寂しい気持ちにもなりました。
 支援の内容も、国旗旗手・観閲部隊指揮官・操縦手といった非常に注目の集まる主要な任務から散水・受付といった裏方の支援まで幅広く多種多様です。支援の調整をすればする程苦労する毎日でした。特に散水支援にいたっては、不明事項だらけの中、予行により試行錯誤しつつ、より効果的な散水支援ができるよう調整に駆けずり回り慌ただしい日々が過ぎて行きました。しかしながら、これはすべて支援するのではなく訓練の一環であると考え直すとともに、支援する隊員に対しても「観客はお前たちの一挙手一投足を見に来られる。一つ一つの動作に自衛隊の威風を示せ」と指導した結果、満足のいく良い支援ができたと思っています。
 今回の記念行事を通じどんな些細な業務に対しても「目標」をしっかりと確立し、その目標達成のため、隊員に対して何のためにどうするのか具体的に示し、指揮官の意思をしっかりと「徹底」させることの重要性を学びました。今後、様々な訓練や支援を担当するにあたり、この経験を活かし意識(気持ち)の重要性をしっかりと伝えていきたいと思います。

故郷を見直す
第38普通科連隊第4中隊=八戸 陸曹長 荒川亨雄
-

 私の故郷は、岩手県の北部に位置し西に北部奥羽山脈、東に北部北上高地が縦走し、稲庭岳、折爪岳など標高700から1000m前後のなだらかな山々と丘陵地で占められており、平坦地は馬淵川、安比川などの標高100から200mほどの川沿いにあり、周囲には豊かな自然環境が残されています。
 景観は、国の名勝に指定された男神岩・女神岩を抱える馬仙峡や折爪馬仙峡県立自然公園、かつて南部藩の指定湯治場だった金田一温泉など多くの観光地があります。
 また、東北一の古刹(こせつ)天台寺や九戸城跡に象徴されるように歴史的な文化遺産に恵まれ、神楽(かぐら)等数々の伝統芸能も伝承されています。
 以上で二戸市の紹介を終わりますが、28年ぶりに実家付近の勤務となり、改めて故郷について見回してみました。皆さんも何かの機会に自分の故郷を見直してみてはいかがでしょうか。


体力オタク?
指方 綾
-

 私の夫は、付き合っていた頃、1番の趣味は「筋トレ」でした。
 暇さえあれば筋トレばかりしてプロテインを飲み、その副産物はとても臭いオナラでした。その香りを嗅がされつつ結婚し、2年が経ちます。
 そんな私たちの間にも子供が一人生まれて幸せ一杯の毎日ですが、なぜか夫はそれを言い訳にトレーニングをサボリがちに…。しかし最近はショボくなった自分の体を鏡で見て「これではいかん!」と奮起。子供を抱きながら腹筋やスクワットをしたり、腕立て伏せをしながらあやすなど、子供の服を自分の汗でビショビショにして育児参加をしてくれています。本人は一石二鳥だと言っていますが、実際は余計な洗濯物まで増えているような気が…。
 でも何だかんだ今の家の中は明るく元気いっぱい!これからも楽しくやっていこうね。
 でも来月からはプロテイン代は自分のお小遣いから払ってね。
(第25普通科連隊重迫撃砲中隊 指方陵仁3曹夫人)


成人になって
第304施設隊=出雲 陸士長 武田一将
-
 18才で入隊して早2年、今年から大人の仲間入りです。無事成人を迎えることが出来たのも両親のおかげだと思います。これからは育ててくれたことに感謝し恩返しをしていきたいと思います。
 成人を迎え、まずやってみたいことは選挙です。最近は選挙に行かない若者が多いと聞きます。私は、友人を誘い積極的に選挙に参加をしたいと思っています。次に、仕事面では辛いことがあっても負けないように頑張り、振り返って悔いの無いように全力で突っ走りたいと思います。

伴走者として
第7普通科連隊第4中隊=福知山 2陸曹 平井 勝
-
 私は、11月23日に行われた第18回福知山マラソンに視覚障害者の伴走者として参加しました。このマラソンは盲人マラソンの全日本選手権大会と位置づけられており、また、オリンピック前はパラリンピック日本代表を決めるためのレースになったりととても大きな大会です。今年は、参加希望者は多いのですが伴走者が足りていないということで市内の市民ランナーの方からの誘いを受け、走力には自信のあった私は軽い気持ちで引き受けました。しかし、伴走を受けてからしばらくして私の所に入ってきた連絡にビックリしました。伴走相手がなんとバルセロナパラリンピック6位、アトランタ1位、シドニー6位という経歴でベストタイムは2時間50分56秒という記録の持ち主でした。そこから私の戦い(焦り)が始まりました。練習嫌いの自分が一番苦手なペース走を走り込み、夜は送られてきたビデオを見てどんな風に走れば相手が走りやすいか、何に注意したらよいのかといろいろ考えました。
 そして大会当日、私は福知山マラソンの折り返し地点の24km付近からの後半部分を担当しました。今回は完走と走りを楽しむということが目的で、ペースはゆっくり、人混みがすごいなど目の見えない柳川さんをエイドステーションで止まる人や急に歩き出す人にぶつからないように障害物や傾斜の変化などを伝えながら走り、次第に自然と二人三脚のように足が合い、すると自然とペースも上がりだした。職業病のように足並みを合わせられる自衛官は伴走に向いているのではないか?障害物を知らせるタイミングも「弾着5・4・3・2・1今」のように「マンホール5・4・3・2・1今」のように表現した。走るのはあくまで柳川さんで自分はその補助をしただけ。走り終わってから「とても走りやすかった。また来年もよろしくお願いします」と言われたときは「伴走をして良かった」と思った。来年以降もこの感動を味わうため、引き続き伴走者として登録しようと思う。

輸送技術競技会
第305輸送隊=桂 1陸士 三宅扶悠
-
 私は、輸送技術競技会に車両操縦の特大型セミトレーラの部に出場する機会を得ました。初級輸送特技取得後約6ヶ月の経験しかなく、超大型セミトレーラの練成訓練中であるため不安な点はたくさんありましたが、第305輸送隊の選手として参加し、いろいろな経験をすることができ本当に良かったと思います。
 実際、競技会前に選手要員として軌跡コースを訓練したときからすごく難しさを感じました。特に、車両感覚の把握、チェンジ操作、後退時のハンドル操作のタイミング等において言葉に出来ないほどの難しさを初めて感じ、普段、支援等でスムーズにセミトレーラを操縦している先輩方を改めて尊敬しました。また本番においては、期待されていたことに対するプレッシャーのため、練成中には出来ていたところがうまく操縦できず、悔いが残りましたが、今後はその悔しさをバネに先輩方の良い部分を吸収しながら、周りから認められるトレーラ操縦手となれるよう訓練に励み、早く部隊の戦力となれるように頑張りたいと思います。

「頑張っています」新しい職場
活躍するOB シリーズ
本庄市管工事共同組合 岩城 章
岩城氏は平成20年3月、12施設中隊(新町)を陸士長で任期満了退職。23歳
-
 平成20年3月、陸上自衛隊を任期満了退職し4月1日、本庄市管工事協同組合に入社しました。
 自衛隊に入隊した動機は、災害派遣等で住民の方々のために頑張っている隊員の姿に感動し、自分自身も人のために役立てる仕事がしたいと思ったからです。配属も入隊前から熱望していた第12施設中隊となり、A小隊で施設手として勤務しました。また、第一種大型自動車免許と大型特殊免許を取得することができました。この資格は新職場でも非常に役立っています。
 自衛隊勤務での一番の思い出は、災害派遣です。被災地の方にとっては非常に辛いものでしょうが、私自身も忘れられない経験となりました。中越・中越沖地震の災害派遣に参加し、炊事という形で被災地の皆様に感謝していただき、自分自身も精一杯勤務させていただきました。
 再就職のきっかけは、合同企業説明会です。求人票に「レンジャー・空挺隊員と同等の体力が必要」とあり、自分はそれらの資格を有してはいませんでしたが、体力には自信があり、部隊での経験も生かせる職場だと感じ、希望しました。具体的な仕事の内容は、水道管の埋設工事及び漏水工事等、公共工事や水道メーター器の交換工事等です。
 職場には自衛隊OBの先輩方が多く、色々と丁寧に教えてくれますが、市内の地理を覚えるのは大変でした。今では単独で現場まで運転を任せてもらえるようになりました。
 自衛隊勤務で役立っていることは「3歩以上駆け足」です。現場の状況にもよりますが、仕事が半人前のうちは、言われたことを素早くこなせるよう意識して行動しています。
 現在の職場では、一歩先を読み効率よく仕事をしています。目の前のものに一生懸命取り組めばその先には何かあると信じていますし、部隊での経験が力になっていると実感しています。これから再就職を考えている皆さんは、自分に何が合っているのかをよく考え、具現化する努力を惜しまないでほしいと思います。

12面へ
(ヘルプ)
Copyright (C) 2001-2014 Boueihome Shinbun Inc