防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
スペーサー
自衛隊ニュース   2008年11月15日号
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寄せ書き

旬のもどり鰹
第15普通科連隊第3中隊=善通寺 陸曹長 武田幸八
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 秋と共に南下を始めるもどり鰹について少し説明します。私の故郷高知では、今年ももどり鰹の季節になりました。鰹は熱帯の海で生まれ2〜3kgに成長すると餌を求めて春から夏にかけて北上します。これを「のぼり鰹」と言い、秋に熱帯の海に戻っていく鰹を「もどり鰹」と言います。
 背は鮮やかな青紫色、腹は銀白色に輝く美しい「鰹」、身の鮮やかな色は血によるもの。刺身はその味を味わうもので、鉄分・ビタミン・ミネラルが多く含まれています。
 しかし鰹は傷みやすい為、昔からなまり節などにして保存されてきました。縄文時代には干鰹、室町時代には現在の鰹節に近い物が作られていたようです。
 そんな鰹の旬は春と秋の2回で秋のもどり鰹は脂がのって美味しいです。鰹の水揚げが盛んな港町では色々な鰹料理があります。まずは鰹のタタキ・刺身・鰹のお茶漬けがあります。
 珍味では鰹の心臓の塩焼き・はらんぼ(すなずり)・内臓を塩辛にした「酒盗」という珍味も10月中旬頃から美味になってきます。この秋は旨い鰹の真骨頂に触れてみませんか?
 昨年は、私の同僚3家族を実家に招待しもどり鰹を堪能していただきました。
 鰹の好きな方は是非高知へどうぞ。

感動、持続走
第7普通科連隊第2中隊=福知山 2陸士 沖松竜也
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 中隊配属初日に持続走競技会に参加することを聞いた時は、足を引っ張ってしまうのではないかと思っていました。練習に参加した初日のメニューは400メートルを10本走り、その時は息切れが早く、最後の方はついて行くことが出来ませんでした。しかし、練成を積み重ねていく事で、基礎体力が向上している事を日々感じとれるようになりました。
 そして本番当日、自分は4組での出走でしたが、出走前は緊張してしまいました。そして出走、自分の目標は最後尾にならないことで、その気持ちを持っていたためか、3キロ地点まで早いペースで走ってしまい、4キロ地点ではすでに体力の限界でしたが、2中隊の先輩達に応援していただき、最後まで頑張ることができました。共に練成をし、共に励まし合って結果を出せた時のあの団結力と感動は忘れられません。

ギターに思う
第303高射直接支援中隊=八戸 3陸曹 佐藤嘉文
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 私は、15歳の頃から趣味としてギターをやっています。ギターを始めたきっかけは、兄がギターを弾いているのを見て何気なく始めました。ギターを弾いていて学んだことは、弾いたら弾いただけ上手く弾けるようになるということです。ギターを弾いて指を動かすことにより脳が活性化され記憶力が良くなり、老化防止にも繋がります。その為にギターを弾いている訳ではありませんが、健康にも良いということです。
 ギターのみならず楽器とは、自分好みの楽曲を作ることが醍醐味であり、自分を表現することのできるものだと思います。そして、複数で一つの楽曲を弾くことで、そこに楽曲としての奥深さもあります。言葉では言い表すことが難しいですが、皆さんも自分の出したい音色を出し惜しみしないで表現できる楽器の内の一つのギターを、試しにやってみてはいかがでしょうか。但し、周囲に迷惑をかけないように気を付けましょう。

念願叶う空挺団
第1空挺団=習志野 3陸佐 三堀浩二
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 私は、自衛隊に入隊して17年経ちますが、幹部自衛官として充分な職能を持つことは勿論、常に「兵士」として強くありたいと思い日頃より最善の努力をしてきたつもりでした。
 特に3尉への任官時には、「精鋭無比」の空挺団に勤務したいという気持ちが強く基本降下課程入校を熱望していましたが、諸般の事情により念願かなわず、以来、基本降下課程に入校していない私にとって空挺団勤務は自衛隊生活の中での選択肢としてはありませんでした。
 それから10年以上も経ってから空挺団勤務の調整があり大変な名誉であると感じるとともに、体力面や年齢等から「私で勤まるのか」という不安も頭をよぎりましたが、かつての念願を叶える二度とないチャンスだと前向きに考え、8月の異動で空挺団勤務となりました。
 空挺団で勤務して、まず驚いた事は警衛隊の厳正な勤務態度、駐屯地内における隊員のきびきびとした敬礼動作に触れ今まで勤務した部隊との違いを感じました。また訓練日程等極めて多忙な中で、当たり前のように何の文句も言わずに任務を遂行していく隊員の態度には本当に驚きました。
 今回の入校に当たり幹部自衛官として空挺団に異動後に、基本降下課程に入校し、そのまま空挺団勤務をするのは私が初めてのケースであると聞いています。全国の幹部自衛官の中には、空挺団勤務への憧れを持ちながらも基本降下課程に入校していないからと諦めている人も多数居ると思いますが、今回の様なケースもありますので、チャレンジしては如何でしょうか。
 現在、約1カ月の基本降下課程に入校中でありますが、空挺団勤務への新たな道を切り開くのは私であるという誇りを持って無事卒業し、これからの空挺団勤務を全力で頑張りたいと思います。

一生の思い出
第8施設大隊第2中隊=川内 3陸曹 永田秀樹
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 私は、平成20年度新隊員後期教育隊の3班長を勤めました。まず、私は今年の7月1日付けで3等陸曹に昇任し、同日付けで新隊員後期教育隊の班長という大役を任され、新隊員と同様、不安と希望に満ち溢れていました。
 こんな私が教え子を持ち、施設科のことを右も左も分からない隊員に教育するという事にとても苦労し、教育することの難しさを実感しました。班員の中には、1回教えたらすぐ覚える隊員や、何回教えても覚えず理解できない隊員もおり、みんなが揃って覚えられるレベルまで持ってくることで、とても苦労しました。隊員には部隊配属してからも通用できるように厳しく指導してきましたが、誰一人の脱落もなく無事に終了できたことを、とても嬉しく思う限りです。また、「アメとムチ」の使い方も学べ、教官、先任、庶務陸曹、1・2班長、班付の助けもあり、感謝しています。初めての陸曹での初仕事が新隊員教育隊の班長という事でかなりの自信が付いたので、これから胸を張って頑張って行きたいと思います。この2ヵ月半は一生忘れません。

給養教育を終えて
第6施設群第370施設中隊=豊川 3陸曹 徳永亀行
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 私は、平成20年7月16日から9月26日までの間、需品学校で実施された給養(野外)課程に入校しました。
 私自身、この教育は以前から熱望しており、念願叶ってようやく入校することが出来ました。
 「給養(野外)」教育は、どの教育内容も面白く、その全てが私の印象に残る教育でしたが、その中で特に印象に残っている教育内容は東富士演習場で実施した「野外炊事」で、炊事班の指揮をした事です。
 教育で、「誰か組長をしないか?」と教官に言われた時、真っ先に志願しました。何故なら、教育で指揮をする機会が少ない事もありましたが、何より組長動作をする事により、教官等からの指導等で自分の成長の糧になると思ったからです。組長動作を実施してみると、組長は、なすべき任務が非常に多く、色々と勉強になりました。
 ただ、全部が上手く行く訳もなく、組長なのにパニックになって組員に迷惑をかけたり、何をして良いのか分からず、教官から指導を受ける事が何度もありました。当然の事ながら満足のいく結果を残す事が出来ず、落ち込んでいる時に、その時の組員が「徳永の班で良かったよ」という一言で、救われた様な気がしました。
 この教育で仲間も増え、辛い事も仲間と共に分け合い、勉学に励んでいました。ですが、修了が近づくに連れ、この仲間達と一緒に炊事することが出来なくなるなと考えると、教育修了するのが残念に思える時もありました。
 最後に、給養(野外)課程教育で学んだ事は、お互いに協力し合う大切さと、炊事の良否が部隊行動に及ぼす影響の大きさを改めて感じました。今後は、私自身の組長としての行動の練成と、後継者育成に励み、部隊の力になれる様に頑張りたいと思います。

隊員紹介
西部航空警戒管制団第17警戒隊通信小隊=見島 空士長 高橋 勝也
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 皆様、昼夜を問わずのお勤め本当にご苦労様です。今回は、航空自衛隊レーダーサイトの中でも五本の指に入る僻地であり、山口県最北端に位置する「孤島・見島」から、我が無線整備班「待望のメンテ侍」高橋士長を紹介します。
 高橋士長は、昨年7月に見島に配属となり、最近の若者では考えられないほど、とても「素直、素晴らしい、すてき、シャイ」の4Sの持ち主で頑張り者でもあります。曹候補生の試験も一発で合格し、小隊長や職場の先輩からも「出来る、やるな〜」と?一目置かれています。
 注目すべきは保育士、ホームヘルパー2級の資格を持ち、子供、若者が少なく高齢化が進んでいる見島にとっては、欠かせない存在となっており、無線整備員ではなく「衛生員?」の方がとてもお似合いではないかと思う今日この頃であります。次の目標は職種に関係ある「2通2技」の取得だそうです。
 他の人では考えられないほど純粋な心の持ち主でもある彼は、「クリーン美島」(見島を美しい島にする取り組み)に積極的に参加し、体育服装に運動靴、手袋と火ばさみ、ゴミ袋を手に、他国?他県?から漂流してきたさまざまな「ごみ・ゴミ・塵」を汗をかきながら黙々と集め、見島! いや日本国!を綺麗にしようと侍魂のごとく頑張っています。
 高橋士長に一目会いたい、自然をこよなく愛してる、釣りに興味がある、いろいろな野鳥を観察したい、天然記念物を見てみたいと言う方は、是非、MISHIMA無線整備班までおいでませ!
 きっと見島までの運賃の他や宿泊代はもちろんのこと、見島の新鮮な魚介類、見島牛のステーキ等を彼がご馳走してくれるはずですよ。(笑)(鬼ようず名人軍曹)

「頑張っています」新しい職場
活躍するOB シリーズ
まずはやってみること!を大事に
有限会社ORCAS 佐藤仁寛
佐藤氏は平成18年3月、空自第3補給処(入間)を空士長で定年退職。25歳
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 今から2年と少し前の平成18年3月、5年間の航空自衛隊での生活を終え、民間のIT系の会社へと転職しました。自衛隊にいる間も電算機処理員という職種であったため、コンピュータに関わる業務がメインではありましたが、より専門色の強い仕事をしたいと考えたのがきっかけです。
 合同企業説明会に参加した時、コンピュータ関係の人材を求めている企業さんのうち数社から説明を受けましたが、その中で特に興味をひかれたのが、私の入社した有限会社ORCASという会社でした。
 この会社はまだ設立からの期間が短く、人数も少ない所ですが、だからこそ出来る事があると感じました。また、面接の際もスキルや経歴よりも、もっと大切なものを重視する雰囲気があり、それも入社の決め手になったと思います。
 入社してからは、技術者としてプロジェクトに参加し、他社の方々と協力して設計から開発、テストといった流れでやっています。
 プロジェクトには短期のもの、長期のもの、インターネットに関するものや携帯電話などに関するものなど様々なものがあり、それらの中からスキル、適性に応じて選び、経験を積んでいくことになります。もちろん、最初から業務内容を理解し、無難にこなせるということはありません。
 むしろ、慣れていないのであれば分からないことがある方が普通で、覚えることはたくさんありますが、それを意欲的に調べていったり、現場の先輩方から教わることで成長していけると思います。
 今現役の自衛官の皆さんの中で、IT業界に興味はあるけれど、自分がやっていけるかどうか不安だ…という方がいましたら、“まずはやってみること!″と提言しておきます。
 自分でパソコンを用意して、本屋さんで入門書を読んでみて、やってみたいと思えれば、あとは突き進むだけです。正直なところラクな仕事ではありませんが、目標を持って楽しんでいきましょう!


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